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[連載:匠たちの視点‐吉岡弘隆] 2度の”技術大革命”をサバイブした男、世界に誇れる「楽天コンピュータ」を創る

タグ : Linux, mixi, OSS, Web, インフラ, クラウド, コミュニティ, スキルアップ, スペシャリスト, 勉強会, 日本DEC, 業界有名人, 楽天, 発想, 転職, 開発 公開

 

プロフィール
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楽天株式会社 Development Unit アーキテクチャー&コアテクノロジー課 アーキテクトグループ 技術理事
吉岡弘隆氏

1958年生まれ。エンジニア歴30年でオープンソースの先駆者。慶應義塾大学工学部・修士課程を修了後、日本DEC研究開発センターに入社。1994年に日本オラクルへ転職し、米オラクルで『Oracle8』を開発するなどの実績を残した後、2000年にミラクル・リナックスの創業に参加して取締役CTOに就任。2008年に退任し、2009年より現職

取材場所となるミーティングルームに向かうと、入口に、凛と立つ男。あごひげに少し白いものが混じっているが、とても50代とは思えない若々しさだ。その人が、2009年、楽天に転職した吉岡弘隆氏。技術理事として、巨大なシステム基盤の整備やアーキテクチャーの方向付けを指揮している。

近年、アジア各国にも急速に販路を拡大する『楽天市場』にとって、ECシステムはビジネスインフラそのものだ。少しでも止まれば、楽天だけでなく数万もの出店社のビジネスにも悪影響を与えてしまう。年々増え続ける取引量にも、確実に対応していかなければならない。

「今の仕事で大変なこと? スケーラビリティはもちろん、開発のスピードも求められる。まぁ、全部です」

そう言って苦笑する吉岡氏は、1984年にエンジニアとしてのキャリアをスタートして以来、技術トレンドの変わり目に何度も直面してきた。大変さにはもう慣れっこ。苦笑いには、そんな思いも見て取れる。そして、大きな変化が来るたびに偶然と直観に導かれて、今、クラウドコンピューティングの最前線に立つ。

DECからオラクルに転じて初めて気付いたオープン化の流れ

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淡々とこれまでの経歴を話す吉岡氏だが、くぐり抜けてきた修羅場の数は常人の比ではない

最初に経験した大変化は、1990年代急速に進行したオープン化の流れである。日本DEC研究開発センターで働いていた吉岡氏は、親会社である米DECの変調を不思議な気分で眺めていた。

「80年代から90年代前半にかけて、DECは必死でIBMを追いかけていました。だから競争相手はIBMだと思っていたけれど、実は足元をサン・マイクロシステムズに脅かされていたのです。サンやオラクルなどが本当のライバルだと気付いた時には、もう遅かった。ゲームのルールが変わっていたのです」

吉岡氏がそれに気付いたのは、二度目の希望退職に応じて、1994年に日本オラクルに転じた後のことだ。日本DECでデータベース技術に携わっていたころには、「オラクル製品に比べてウチの方がずっと性能が良いのに、何でやられちゃうの」と思っていたと言う。

小さな波なら、船上からでも発見できる。しかし、船をゆっくり持ち上げるような大きなうねりを、乗客が知覚するのは難しい。

「おそらくDECの中にも、オープン化の破壊力に気付いていた技術者はいたでしょう。しかし、わたしを含めて、多くのエンジニアはその認識を持てませんでした。中にいると、気付かないことがあるんですね。怖いことです」

技術の世界では、その「怖いこと」がたびたび起こる。経営学者クレイトン・クリステンセンの言う「破壊的なイノベーション」である。オープン化の後に出現したオープンソースやクラウドなどの動きも、同じ類に入るだろう。

ネットスケープのソースコード公開で受けた衝撃

オープン化の旗手だったオラクルへ入社後、吉岡氏は日米間を行き来しながら、RDBMSの専門性を高めていく。シリコンバレーにも3年半ほど滞在し、米オラクルで『Oracle8』の開発に携わった。

順調にキャリアを重ねていたが、1998年1月、衝撃的なニュースに脳を揺さぶられる。米ネットスケープが、ブラウザのソースコードを公開すると発表したのである。

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過去の勤め先の買収劇とネットスケープの”奇行”が、人生を変えるきっかけに

「そのすぐ後にコンパック(後にヒューレット・パッカードに買収される)によるDEC買収のニュースが流れたこともあって、当時のことはよく覚えています。DECにいたころ”子どものおもちゃ”だと思っていたPCのメーカーに、あのエクセレントカンパニーが買収されるのかとショックを受けていましたが、ネットスケープのニュースはそれ以上の驚きでした」

ソフトウエアを無料で配り、周辺サービスで稼ぐというビジネスモデルは当時からあった。しかし、ソースコードの公開となると、話は違ってくる。

「会社のトップシークレットを公開するなんて狂気の沙汰だ。瞬間的に、そう思いました。しかも、その奇行に走ったのが『シリコンバレーの救世主』と言われたネットスケープだったので、なおさらでした」

マイクロソフトの『Internet Explorer』とのブラウザ競争で劣勢に立たされたネットスケープにとって、それは起死回生の策だった。この戦術は成果につながったわけではないが、時代の変わり目を象徴する出来事だったのは間違いない。

吉岡氏も、「今までの理屈では説明できない、とんでもない変化が起きた」と感じたと言う。そしてこの直観が、次の行動に駆り立てるまでに、それほど時間はかからなかった。

新技術をキャッチアップし続ける秘けつは「ワクワクしたら、すぐ行動」 

1990年代後半、オープンソースは大きな潮流になろうとしていた。その中心にあったのがLinuxである。「またすごいことが起きそうだと、とにかくワクワクしていた」と吉岡氏は振り返る。

と同時に、このころになると、行動パターンが如実に変化し出したと懐述する。ワクワク感をエンジンにして、自ら進んで変化の中に飛び込むようになっていた。

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2000年代の吉岡氏を象徴する言葉がLinux。そのきっかけは2000年の起業だ

オラクルを含め、多くの大手ITベンダーが”Linuxシフト”を強めていった2000年、吉岡氏は日本オラクルの仲間たちとともにミラクル・リナックスの創業に加わった。大企業で相応のポジションを得ていたにもかかわらず、40代で起業に踏み切るのは勇気のいる決断だが、「オープンソースをやるならどっぷり浸かりたい」という思いが先行した。

「新しいテクノロジーで一発当てようとか、人より一歩先を行こうと思って決断したわけじゃありません。若い人に『変化を先取るコツは何か』と聞かれても、誠実に答えるなら分からないとしか言えない。あえて言うなら、直感に従うしかないんじゃないかと。わたしは、ずっとそうやってきました」

2008年、創業以来務めてきた取締役CTOを退任し、自身のブログで「生涯一プログラマー」宣言を行ったのも、直感とワクワク感の追求といえるかもしれない。

「経営の仕事をやってみて思ったのは、管理の仕事はあまり好きではないし上手でもないということ。一方、技術とか開発については、上手、下手は別にして大好き。なら自分が好きなことで、会社や社会に貢献したいと思ったのです。最近はプログラムを書いていないので、内心忸怩(じくじ)たるものがありますが……」

現在の仕事、つまり楽天の技術理事としては、「多くの尖った技術者を輩出できるよう、”楽天の芸風”を変える取り組みを続けている」と言う。パッチ提供などオープンソースコミュニティーへの貢献活動や社内外の技術勉強会に、若いエンジニアを巻き込みながら、彼らに刺激を与え続けている。

自ら読書会を主宰して知った、Webインフラの革新性 

吉岡氏が長年好奇心を維持できた理由の一つには、この勉強会やカンファレンスへの参加がある。さまざまなエンジニアとの出会いが、新しい知識を学び、深める原動力になってきたからだ。自身のブログやTwitterでも、頻繁に開催情報と参加の成果を発信している。

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勉強会マニアぶりは有名で、今では週に2、3のコミュニティーに参加することも

極め付けは、米国から帰国して以来、自ら主宰してきた「カーネル読書会」である。年に10回程度のペースで開かれる読書会は、今も続いている。

「米国のオラクルにいた時、シリコンバレーのエンジニアたちがやっているカジュアルな情報交換を見て素敵だなと思いました。同じものが東京にも欲しいと思って始めたのが、カーネル読書会です。欲しいものがあるのなら自分で作ればいいし、後先考えずにやっちゃえばいい。誰かに禁止されているわけではないのですから」

2006年ごろ、その読書会に講師として招いたのは、当時mixiのCTOだった衛藤バタラ氏(現・えとらぼ代表)だった。友だち10人程度を対象に始まったSNSは、サービス開始から2年半で瞬く間に500万会員を突破。『mixi』のサービスは、システムの圧倒的なスケーラビリティに支えられていた。

「最初から500万ユーザーを想定して作るシステムなら、以前からあったと思います。しかし、『mixi』は違った。これほど急速にスケールするシステムは、当時の日本にはほとんど存在しませんでした。バタラさんのお話を聞いて、『これからはWebサービスの世界がシステム開発で一番ホットな場所になるんじゃないか』と直感しました」

この時の驚きとワクワクが、楽天への転身の伏線になっている。オラクルでRDBMSを極めた吉岡氏は、RDBMSの常識が通用しない世界へ、強烈に惹き付けられた。そして、自身にとって3度目の大変化となるクラウドコンピューティングを前にして、それすら乗りこなそうとしている。

基礎をどれだけマスターしたかで、適応力が変わる

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「技術トレンドが変わっても、身に付けた知識は錆びない」と若手へエールを送る

コンピュータの世界は何度も破壊的イノベーションにさらされてきたが、吉岡氏は古い技術にしがみつくのではなく、未来に向かって軽やかにジャンプし続けてきた。「一番ホットな場所に身を置きたい」と思うからである。

ただ、その一方で、こうも考えている。

「メインフレームからオープンシステム、クラウドへ、というように、技術的な変遷はありました。しかし、コンピュータの動作原理そのものは、ジョン・フォン・ノイマン(1940年代初頭に活躍した計算機科学の大家)の時代から変わっていません」

確かに、今でもムーアの法則は有効だし、約40年前に生まれたC言語もまだまだ使われている。

「クルマの主流が内燃機関からEVに変われば、機械工学を学んだエンジニアは本当に大変だと思います。でも、コンピュータに携わる人たちは、そこまで抜本的な変化に遭遇したことがないはずです。しっかりした蓄積を持ってさえいれば、ソフトウエアエンジニアがそれを活かす場所はまだあると思います」

その見本が吉岡氏である。徹底的に専門性を突き詰めること、新しいものにワクワクする好奇心を失わないこと。それらは、吉岡氏の中ではバランスよく同居している。

取材・文/伊藤健吾(編集部) 撮影/竹井俊晴




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