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『PostPet』産みの親に聞く、時代に先駆けたソーシャル・コミュニケーションの作り方 【連載:匠たちの視点-八谷和彦】

タグ : PostPet, Web, ソーシャル, ニコニコ, 企画, 八谷和彦, 業界有名人, 開発 公開

 

「ネット上に綴られたさまざまな人の日記を集め、時系列に沿って読む」。これは、今われわれが慣れ親しんでいるTwitterの話ではない。さかのぼること約17年前、100人のユーザによる100日間限定で実施されたあるアート・プロジェクトの話だ。

「『メガ日記』っていうんですけど、このプロジェクトを実施したのは1995年のことで、ちょうど阪神淡路大震災が起こった年でした。震災直後からネットの掲示板には、被災者の経験談が上がり始めていて、それらを読んだ時、燃えさかる街の空撮映像以上に震災のリアリティを感じた。それがこのプロジェクトをやろうと思ったきっかけです。

見ず知らずの人の生活がうかがい知れる日記を、ネットを通じてたくさん集めることで、何を感じるか。それが知りたくて始めました」

この企画の発起者であり、中心人物である八谷和彦氏は、『風の谷のナウシカ』に登場する一人乗り飛行装置『メーヴェ』を実際に飛べるジェットグライダーとして制作するプロジェクト『OpenSky』など、多様なアプローチで作品づくりを行うメディア・アーチストとして知られる。

東日本大震災後、注目を集めた『うんち・おならで例える原発解説』も、八谷氏の発信した作品から生まれた

東日本大震災後、注目を集めた『うんち・おならで例える原発解説』も、八谷氏の発信したtweetから生まれた

最近では、福島第一原発事故直後、放射線にまつわる正確性が乏しい情報が錯綜する中、『うんち・おならで例える原発解説』をTwitterで発表。有志により動画化されるなど大反響を呼んだのは記憶に新しい。

「『メガ日記』を100人、100日間限定の活動したのは、長文におよぶこともある日記があまりに増えると読み切れないと思ったから。このプロジェクトのずいぶん後にTwitterが出てきた時、140文字の文字数制限は本当に絶妙だと思いましたね。あれならたくさんの人の日記が読めますから。ただ、当時は『日記』がこれほどのビジネスになるなんて考えもしませんでしたけど」
 

プロフィール

メディア・アーチスト
八谷和彦氏

1966年生まれ。九州芸術工科大学卒業後、CIコンサルティング会社を経てメディア・アーチストに。代表作は『視聴覚交換マシン』や『見ることは信じること』、『PostPet』、『OpenSky』など。現在はアーチスト活動と並行して株式会社ペットワークス取締役兼航空事業部部長、2010年からは東京芸大先端芸術表現科准教授も務める

「夢」から得た着想を、ソーシャルの力を借りて形に

八谷氏が、メディア・アーチストとして活動を開始したのは、九州の芸術大学を卒業し、CIコンサルティング会社に在職していた1991年のこと。当時まだ無名だった演出家の松尾スズキ氏や、現代美術作家の村上隆氏などのインタビュービデオを個人放送するプロジェクト『SMTV』や、『視聴覚交換マシン』、『Light/Depth』など、作品制作を通じてメディア・アートの世界に急接近していった。

「スケートボードで乗るパブリックアート『Light/Depth』」など、独自の世界観でモノづくりをしてきた八谷氏

「スケートボードで乗るパブリックアート『Light/Depth』」など、独自の世界観でモノづくりをしてきた八谷氏

しかし、当時はまだサラリーマンと二足のわらじを履く『兼業アーチスト』。そんな八谷氏に転機が訪れたのは、1995年のことだった。

「この年、ジャパンアートスカラシップという賞を受賞しまして、制作資金として1000万円をもらったんです。そのころはまだ、外注を使って作品づくりをする技術も経験もなかったので、平日は会社員、土日はアーチストという生活でした。このままだといずれ両立が難しくなる思っていた時の受賞でしたので、思い切って退職することにしたんです」

賞金は制作資金以外には使えないという制約もあったため、失業保険と貯金で食いつなぎながら、1995年『WorldSystem』を完成させ、公開にこぎつける。ちょうど前述の『メガ日記』と同時期のことだった。

そしてこの直後、八谷氏の名前を一般に知らしめるプロジェクトが動き始める。それが、後に多くのユーザを獲得する『PostPet』だった。

「理系と芸術系が一つになったような大学で学んでいたことと、CIコンサルティングの会社でプランナーだったバックボーンを活かすプロジェクトとして、いつかソフト開発に取り組みたいと思っていました。当時はまだインターネット黎明期で、使いやすいメーラーはありませんでしたから、この分野なら何か面白いことができるんじゃないかとやることにしたんです」

(c)So-net Entertainment Corporation 90年代後半から2000年代初頭に一世を風靡した『PostPet』は八谷氏の見た夢から生まれた

(c)So-net Entertainment Corporation

90年代後半から2000年代初頭に一世を風靡した『PostPet』は八谷氏の見た夢から生まれた

そもそも『PostPet』の着想は、八谷氏がある晩見た、『テディベアがメールを運ぶ』という夢が原点になっている。その夢の話を『メガ日記』プロジェクトの期間中、八谷氏が情報交換に使っていた掲示板に書き込んだところ、周囲が面白がり『PostPet』誕生の引き金になった。

実は、後にメインキャラクター『モモ』のデザインを手掛けることになる真鍋奈見江氏も、『メガ日記』の参加者であり、その掲示板のユーザだったことから、期せずして『メガ日記』が『PostPet』の産みの親の役割を果たした格好になる。

90年代から常識にとらわれずアジャイル的開発を実践

時代を先取りして、最近注目のコワーキング的な働き方をしていた八谷氏のチーム

時代を先取りして、最近注目のコワーキング的な働き方をしていた八谷氏のチーム

「開発には、デザイナー真鍋に加え、当時IMJに在籍していたプログラマーの幸喜俊(こうきたかし)、そしてわたしの3人で行うことになりました。あまり大人数で動くつもりもありませんでしたしね」

八谷氏は、『PostPet』をゲームとアプリケーションの要素を併せ持つメーラーと位置づけ、企画書を携え売り込みを掛けたところ、最終的にこの企画に目を留めたのがISP事業を立ち上げたばかりのSo-netだった。

「恐らく、愛嬌のあるキャラクターが、親しい友人たちに『勝手に』メールを送るという面白さが、会員獲得のためのコンテンツとして評価されたんだと思います。ただ、契約できたのはよかったのですが、当時はまだ僕らはフリーの集まり。オフィスも持っていなかったので、開発に加わった幸喜が所属していたIMJに間借りする形で開発を進めることになりました。期間はおよそ8カ月ぐらいでしたね」

そして1997年1月、『PostPet for Macintoshβ版』をリリース。ユーザの多いWindowsではなくMac向け、それもβ版としてリリースしたのは、当時はまだ対応アプリケーションが少なかったことや、新しモノ好きのMacユーザならバグフィックスにも喜んで協力くれるだろうという読みもあったからだ。

「プロバイダごと異なるメールサーバの挙動を、あらかじめ調べてからリリースする余裕が僕らになかったというのが本音です。今でこそ、β版を出してユーザーに使ってもらいながら少しずつ修正していくスタイルは当たり前ですが、あのころの常識からすると相当珍しいことでしたね。当時から少人数のアジャイル的なスタイルで開発していたので、自然とオープンなやり方になっていたのかもしれません」

その後『PostPet』は、会員制サイトの『PostPet Park』オープンやWindows版リリース、β版から1.0、1.1とバージョンを重ねながら、着実にユーザー数を増やしていく。そして、最初のリリースから10カ月後には、『マルチメディアグランプリ通産大臣賞』受賞、同じ月に発売したパッケージ版の『PostPetDX』は13万本。翌1998年に発売した『PostPet2001』に至っては、87万本の売上を記録。文句なしの大ヒットだった。

個人参加が可能になった航空・宇宙分野に深い関心を傾ける

八谷氏はこれまでの自分を振り返って、「会社を辞めた時にもらった賞にしても、狙って獲れるものではないし、『PostPet』も最初は受け入れられるかどうか分からなかった。運には相当恵まれた」と話すが、もちろんそれだけで乗り切れるほど甘い世界ではない。

「僕にはアーチスト、経営者、大学教員としての顔がありますが、その土台になっているのはプランナーとしての資質なんです。次にリリースするソフトのキャラ設定はもちろん、営業的に考えてこの会社と組めばイケるんじゃないかとか、次に取り組むべきテーマを探したり実現したりするのもそう。今これを作ったら面白いとか、これを作るべきだという判断は、一見アーチスト的に見えるかもしれませんけど、僕としてはプランナーの視点で判断している。そういう意味で、計算高いと言えるかも知れませんね」

もう一つ、八谷氏の行動を規定するものがある。それは、「一緒にいて面白いと感じるメンバーと行動を共にする」ということ。これが、ハードワークの中でも楽しく仕事をする秘けつだ。

「もともと僕らは会社を大きくしようとは思っていませんでしたし、どこかから投資を受け入れ、キツい思いをして売り上げを増やすくらいなら、自分たちのコントロールが利く範囲で楽しいと思える仕事だけをしていく方を選ぶ。ですから、なるべく小さなユニットで仕事がしたいですし、一緒に仕事をする人は知り合いの中から『これは』という人にしか声を掛けないようにしています」

そんな八谷氏が今最も注目しているのが、航空・宇宙分野だという。前回この連載に登場した牧野一憲氏や堀江貴文氏も所属する『なつのロケット団』や、「野生の研究者」(八谷氏)が集う『ニコニコ学会β』に手弁当でかかわるのも、こうした関心ゆえのことだ。

「今、世界的に『オープンソース・ハードウエア』や『パーソナル・ファブリケーション』の世界が盛り上がっていることもあって、航空・宇宙分野にはとても面白い人が集まっています。今のところ、あまりお金の匂いはしませんが(笑)。ただし、この世界には明らかにフロンティアがある。未開拓の荒野を旅するのって、やっぱり面白いものですね」

八谷氏の関心は技術的な興味だけに留まらない。プランナー的視点でこの分野を見直すと別の側面も見えてくる。

「ひょっとしたら、航空宇宙分野が日本の地方を救う可能性があるな、とも思うんですよ。日本には高度な加工技術がありますし、地方には広大な土地があるけど産業が乏しい。個人が参加する航空・宇宙分野は、この2つを組み合わせた地方振興のカギになると思うんです。まだまだロケット1つ打ち上げるのも、規制が多くて大変ですけどね」

困難さえプロセスとして楽しむ。そんな八谷氏の歩みは、われわれのあずかり知らぬところで、すでに次のステップに向かい始めているようだ。果たしてそこから何が飛び出すのか。もしかしたら、そうした期待感に胸を膨らませているのは、われわれよりむしろ八谷氏本人の方なのかも知れない。

取材・文/武田敏則(グレタケ) 撮影/竹井俊晴




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