SPECIAL INTERVIEW 特別インタビューSPECIAL INTERVIEW 特別インタビュー

SPECIAL INTERVIEW特別インタビュー

曖昧な理想だけでは夢は叶えられない。
ミュージカル俳優の夢を掴んだ山崎育三郎の「目標設定力」

“なりたい自分”になる。言葉にすれば簡単だが、それを実行に移すことは非常に困難だ。まず多くの人が、なりたい自分をクリアにイメージすることができない。仮にそのビジョンが明確でも、そこへ至る地図を持っていなかったり、突然の嵐に見舞われたり、ゴールに辿り着くまでには予測不能の出来事がいくつも待ち構えている。
そうした艱難辛苦をたくましく乗り越え、“なりたい自分”を掴み取った人がいる。それが、ミュージカル俳優の山崎育三郎さんだ。山崎さんは幼少の頃からミュージカルの世界に憧れ、30歳までに「『レ・ミゼラブル』『ミス・サイゴン』『モーツァルト!』『エリザベート』の4つのミュージカルに出演すること」「帝国劇場(帝劇)で主役をやること」という目標を打ち立てた。そこから19歳で『レ・ミゼラブル』のマリウス役に抜擢されると、24歳のときに『モーツァルト!』で帝劇初主演。さらに26歳で『ミス・サイゴン』、29歳で『エリザベート』と次々に大作に出演し、自ら課した大目標を自分の力で実現してみせたのだ。
そんな山崎さんに聞く「“なりたい自分”になれる力を強くする方法」とは――そこには、きっと多くのビジネスパーソンにも役立つヒントがあるはずだ。

カーテンコールで浴びた万雷の拍手。その瞬間、山崎育三郎の人生が決まった

カーテンコールで浴びた万雷の拍手。
その瞬間、山崎育三郎の人生が決まった

山崎育三郎さんとミュージカルとの出会いは、実に四半世紀もの年月を遡る。音楽好きの母親に連れられ、幼稚園の頃に観たミュージカル『アニー』。それまで大人しく引っ込み思案だったはずの山崎さんは、その日を境にミュージカルの虜になった。劇場で買ったCDを流しては、飽きることもなく歌い続ける日々。その歌声に音楽的素養を見出した母親の勧めで、小学3年生から歌のレッスンに。そして12歳のときにミュージカル『フラワー』で主演デビュー。この経験が、山崎さんのその後の人生を決定づけた。

「そのときの稽古がものすごく大変だったんです。と言うのも、周りは今までバレエや演技の勉強をしてきた子たちばかり。ダンスも演技も未経験の僕は、半年間の稽古中、ずっと『いちばんできてない』って怒鳴られ続けていました」

そう懐かしそうに振り返る山崎さん。今でこそ笑い話だが、当時は逃げ出したいほどつらかったという。だが、その厳しさの先に待ち受けていた光景に、12歳の少年の心はたちまち掴まれてしまった。

「本番初日のカーテンコールでお客様から拍手をいただいた瞬間、しびれるような感動が全身を駆けめぐりました。こんな世界があるなんて、それまでの僕はまったく知らなかった。あの瞬間ですね、僕は一生この世界で生きていくんだと決めたのは」

それは、ミュージカル俳優・山崎育三郎が産声をあげた瞬間だった。中学入学の際も自己紹介で堂々と「将来はミュージカルスターになりたいです」と名乗りを上げた。

「そしたら教室のあちこちから笑いが起こって。そもそも中学生くらいの年齢でミュージカルを観たことがある人なんてほとんどいません。だからみんな『ミュージカルって何?』『自分でスターって言ってるよ』という顔。でも僕は全然気にならなかった。なぜならあの頃からずっと僕はミュージカルを仕事にするんだと固く心に誓っていたからです」

中学生と言えば、まだ大半の人が自分の進路も覚束ない時期。そんな頃から、山崎さんはその澄んだ目ではっきりと将来を見定めていた。しかし、そんな決心を試すように、思春期特有の避けては通れない身体の変化が、山崎さんに降りかかった。

絶望の中で決心した、ゼロからの再出発

大好きな歌がうたえない。
絶望の中で決心した、ゼロからの再出発

「変声期を迎えて、声がまったく出なくなったんです。音域が1オクターブくらいしかなくて、これまでのボーイソプラノはもちろん、女性の声も男性の低い声も出ない状態。おかげでオーディションにもまったく通らなくなりました。あの頃はもうずっと落ち込みっぱなしで、毎晩布団の中で泣いてばかりいましたね」

内気だった自分に初めて自信をくれたもの。それが歌だった。しかし、強みのはずのボーイソプラノを奪われ、山崎さんは完全に希望を失った。舞台に立てない。そのことがどれほど苦しいものなのか。まだ中学生だったからこそ、目の前に降りた闇の帳の厚さに、ただ絶望するしかなかった。そんな山崎さんを、厚い帳の向こう側、光の溢れる世界へと連れ出したのが、周囲の温かい支えだった。

「塞ぎこんでいる僕に、将来本気でミュージカルをやりたいなら、今ちゃんと勉強をしておこうと提案してくれたのが、母でした。ちょうどその頃、クラシックの歌の先生に出会ったんです。その先生からも『ミュージカルがやりたいなら、クラシックの基礎を勉強しておけば絶対にプラスになる』とアドバイスをもらいました。当時の僕はただ歌が好きなだけで、楽譜も読めなければピアノも弾けなかった。それで、もう一度、あの大きなステージに立つために、ゼロから勉強することを決めたんです」

以降、それまで精力的にこなしていたミュージカルの仕事を一時中断し、山崎さんはレッスンに専念した。目指すは、音楽大学附属の高校への合格。夏休みは先生の家に泊まりこんで練習に明け暮れた。

19歳、プロへの挑戦

大いなる野望を胸に。19歳、プロへの挑戦

たとえオーディションに落ち続けるという苦渋を舐めてもなお、ミュージカルへの情熱は決して衰えることはなかった。高校合格後、山崎さんは様々なジャンルの音楽を学ぶため、1年間、アメリカへ留学。あらゆる経験が、ミュージカル俳優になるためのステップだった。
そして大学進学を機に、いよいよミュージカル俳優を職業にするための本格的なチャレンジが始まった。そのとき、山崎さんが掲げた目標が、30歳までに
・『レ・ミゼラブル』『ミス・サイゴン』『モーツァルト!』『エリザベート』の4つのミュージカルに出演すること
・帝国劇場(帝劇)で主役をやること
だった。

「この4つのミュージカルは、どれも僕が観客として大好きな作品です。客席で観ながら、いつか絶対に僕もこの作品に出たいと願い続けていました。帝劇も同じです。これまで多くの名作が上演されてきた、日本のミュージカル俳優にとっては憧れの場所。そこに主役として立てる人間は限られています。だからこそ、絶対に30歳までに自分もセンターに立ってみせるんだと、まだ何者でもない頃からずっと自分に言い聞かせていました」

この明確な目標設定力こそが、その後の山崎さんの飛躍の一因だろう。いくら曖昧な理想を浮かべても、夢はそう易々と実現しない。いつまでに何がしたいのか。具体的な目標を設定することで、初めて自分がとるべき行動が明らかになる。それは、ミュージカルでもビジネスの世界でも変わらない、“なりたい自分”になるための大原則だ。当時、山崎さんはまだ19歳。大いなる野望を胸に、10年余にわたる夢への達成計画が幕を開けたのだった。

取材・文/横川良明 撮影/桑原美樹

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