スキルアップ Vol.283

かき氷屋『埜庵』の冬の行列を作る、14年間の営業マン経験で辿りついたシンプルな思考法

江の島に程近く、海風が薫る鵠沼海岸。駅を降りて少し歩いてみると、閑静な住宅街の中に似つかわしくない、長い列ができているのが目に入る。

ベビーカーに乗った子どもからお年寄りまでを魅了しているのが、その列の先にあるかき氷屋の名店『埜庵』だ。まるで古くからの友人の家にいるかのように、親しみやすさを感じるその店は、全国各地から熱烈なリピーターが足を運ぶ人気店である。

なぜ、“季節もの”であるかき氷店で、四季を問わず常連客を獲得することが可能なのか。元トップ営業マンの経歴を持つ、店主の石附浩太郎氏が実践する「シンプルな思考法」に、そのヒントが見つかった。

かき氷の店『埜庵』 店主 石附浩太郎

かき氷の店『埜庵』
店主 石附浩太郎

1965年東京都生まれ。大学卒業後、内装材メーカー、音響機器メーカー勤務を経て、2003年にかき氷屋『埜庵』をオープン。著書に『なぜ、真冬のかき氷屋に行列ができるのか?』、『お家でいただく、ごちそうかき氷』、『かき氷屋 埜庵の12カ月』がある

「会社内だから仕事ができる」独立して分かった自分の甘さ

インテリア内装材のメーカーと音響機器メーカーで、14年間営業畑を歩んできたという石附氏。36歳の時、旅行先で出会った天然氷に感銘を受け、誰もが無謀と思っていたかき氷専門店をオープンさせた。

「30代後半、その頃っていろいろ考える時期なんですよ。俺の将来これでいいのかなって。普通なら、そのまま辞めずに残ったほうがいいと思うんですけど。14年間の『会社で良い成績を挙げていた』という経験が、何をしてもうまくいくはずだという勘違いを生んだのです」

会社員時代はトップ営業マンとして活躍していた石附氏。しかしいざ会社を出てみると、「会社があったからこその自分の仕事だった」という現実にすぐに気付かされたという。

「今までにない、氷もシロップも上質なものを使ったかき氷屋は物珍しかったというのもあって、夏には飛ぶように売れました。だけど、1年を通しての利益で見ると、全くといっていいほど儲からなかった」

当時、石附氏はすでに結婚もしていて子供も2人おり、家のローンも残っている状況だった。

かき氷の店『埜庵』 店主 石附浩太郎

「‟おいしいものを作ったら売れる=お客さんがたくさん来て儲かる”というのが普通のロジックですし、僕がサラリーマン時代に思い描いていたことは実現したはずでした。それまで絶対に正しいと信じ込んでいたことを成し遂げたのに、思った通りの結果にならなかった。そうしたら、もうどうしたらいいのか分からなくなって……。その時になって初めて、どうすれば経営が上手くいくのかをイチから考え直しました」

そこで石附氏が考えたのは、何か特別なことで客の気を引くのではなく、当たり前のことを当たり前にやって差をつける、ということだった。

「結局、おいしいものって人それぞれなんですよ。個人のお店なら、作らなきゃいけないのは『おいしいもの』ではなくて、自分の『お客さま』。極端な話、『ここのラーメン屋って抜群においしいわけじゃないけど、なんか来ちゃうんだよね』というお店ってあるじゃないですか。目指すのは一番『おいしい』じゃなくて一番『好き』でなければいけないと思いました」

そのような考えに至った背景には、「特価商品や新製品といった、モノで顧客をひきつけるのではなくて、結局は人と人との信頼関係の方が、結果的に売上につながっていく」という営業時代の知見が役立っているという。

お客さまがいないなら、生み出せばいい

目的を見直した後に、石附氏が始めたのは「ニーズをゼロから生み出す」ということだった。冬にかき氷を食べにくる客がいないのに、おいしいかき氷を作るだけでは意味がない。それならば、「冬にかき氷を食べにくる」というニーズをゼロから創り出す必要があると考えたのだ。

「例えば、イチゴは冬の果物だから、イチゴから作るシロップは冬のほうが断然おいしいんですよ。だけどほとんどの人は冬にはかき氷は食べない。だからイチゴのかき氷ではなくて、イチゴの食べ方の1つとしてかき氷を提案していました。そうするとお客さまも案外、『冬でもかき氷いけるな』と新たな可能性に気付いてくれる。そうやって、望むものだけではなく、新たに気付きを与えられた人ほど、リピーターになってくれていると感じますね」

かき氷の店『埜庵』 店主 石附浩太郎

それは、営業マン時代から大切にしていた「顧客がニーズに気付いていないものを先回りして提案する」という姿勢。相手がこうしたい、と思っているものを直球で叶えるのでは、ただの御用聞きになってしまう。相手が望んでいるものを形にする、というのはもちろん大事なことではあるが、もっと大切なことは、相手が気付いていないけど求めているもの、を形にしてあげるということだという。

そんな石附氏の術中にはまった来店客には、天然氷だけでなく、さらにその季節にしかできない自家製のシロップを使ったこだわりのかき氷を提供する。そうして夏以外でもかき氷を楽しんでもらう季節を少しずつ広げていった。

暑い時期以外では来店客に自ら進んで話をして、より「かき氷」について理解してもらう。冬なら暖かいコーヒーを出すなどしてじっくりコミュニケーションをとる。もちろん、客が帰るときには「ありがとうございました」と丁寧に頭を下げる。ゼロから生み出した自分の顧客に、そういった価値を提供することで、石附氏は埜庵のファンを着々と増やしていった。

答えは単純、「お客さまに喜んでもらう」を徹底して続けた

「営業マンなら数字を作る、飲食店ならおいしいものを作る。それって実は目的ではなくて、ただの“目標”なんですよね。営業マンも、僕ら飲食店も、本来の目的って、どんなかたちであってもお客さまに喜んでもらうこと、それ以外にはないはずなんです。売上が大切だということは否定しませんが、それが行きすぎちゃうと『目的はお金』になってしまいます。それってちょっとつまらないですよね。もっともそう言い切れる人は目的がぶれないからうらやましいところもありますが(笑)」

かき氷の店『埜庵』 店主 石附浩太郎

あくまでも主語は、“自分”ではなく“お客さま”。それは石附氏が、30年近くビジネスパーソンとして歩んできた中で一貫して大切にしてきたことだ。

「営業時代の14年間も、店主としての14年間も、お客さまに喜んでいただくために、とにかくいろんなことに取り組んできました。その中で実際にお客さまが喜んでくれたことをずっとやり続けている」

今日も埜庵では、来店客一人ひとりが、キラキラとした笑顔で帰っていく。顧客を楽しませる、というたった1つの“目的”のためにゼロから仕事をクリエイティブしていく。自分に期待される役割をきっちりと果たし続ける。そのシンプルな考え、それこそが埜庵が愛され続ける理由のようだ。

取材・文/大室倫子(編集部) 撮影/桑原美樹

information
かき氷の店 埜庵
かき氷の店 埜庵
■電話番号:0466-33-2500
■営業時間:11:00 - 18:00 ラストオーダー17:00 (氷がなくなり次第終了)
■定休日:月曜日 火曜日(10月から3月は不定休)
■アクセス:小田急線 鵠沼海岸駅 徒歩1分
■HP:http://kohori-noan.com/

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