Vol.152

シャイでも営業はできる――内気な経理課長がスーパー営業マンになれたわけ

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株式会社別子飴本舗の営業マン、秦昇一氏。7/18(土)に開催された『あかがねミュージアム』オープニングイベントにて

株式会社別子飴本舗の営業マン、秦昇一氏。7/18(土)に開催された『あかがねミュージアム』オープニングイベントにて

「とざい、とーざい、ただ今くだしおかれます……」

2013年3月6日、幕張メッセで行われたフーデックスジャパン(アジア最大級の食品・飲料専門展示会)の来場者たちはその通る声に足を止めた。人々の視線の先には、割烹着を着てひとりステージに立つ初老の男性の姿があった。彼は自分に周囲の目線が集まっていることを確認し、声色を変えてこう切り出した。

「私は里芋のお母さん。子供たちは立派に成長していったけど、私は捨てられる運命なの」

男性の名前は秦(はだ)昇一。愛媛県新居浜市の老舗お菓子メーカー、別子飴本舗の営業マンである。

秦氏が社長に「15分間もらってきたから自由にアピールしてくれ」と伝えられたのはフーデックスジャパンの前日。彼はその15分間を目一杯使い、里芋を使った新商品『ポリポーリ』をアピールするための一人芝居を演じきった。

この一人芝居から数カ月後、全日空から「フーデックスでアピールしていたあのお菓子を機内で提供したい」と連絡が入った。別子飴本舗始まって以来の大型受注となった。

別子飴本舗での活躍が買われ、愛媛県が物産展に出展する際、秦氏は県からの要請を受けて同行することもある。そんなやり手営業マンの秦氏だが、かつては人前で話すだけで赤面し、震えが止まらなくなるほどのシャイな経理マンだったという。どうやって現在のようなトップセールスマンになれたのか、彼の話から紐解いていく。

経理課長としての一言が営業への道を開く

「元々は先生になりたかったんです。自分で言うのもなんですが、小学生の頃から高校まで皆勤賞で成績も優秀。学級委員をずっと務めるような真面目な子どもでした。でも、大学受験で志望していた教育学部に落ちてしまい、教員への夢は諦めました」

大学生時代の秦氏。当時を知る友人に最近再会した際、「本人か?」と疑われたくらい性格が変わっているという
大学生時代の秦氏。当時を知る友人に最近再会した際、「本人か?」と疑われたくらい性格が変わっているという

教員の夢を諦めた秦氏は大学卒業後、大王製紙に経理として就職する。その後、結婚を機に新居浜市に戻り、『マイントピア別子』というテーマパークに入社。ここでももちろん経理として採用されたが、営業マンへの転機は突然訪れた。

「私は自分が経理に向いていると思っていましたし、事実、順調に出世していました。しかし、経理課長として出席した会議での一言で全てが変わってしまったんです」

当時、マイントピア別子は団体客の獲得に苦戦していた。経理課長として日頃から自社の財政状況を見ている秦氏には、平日でも大きな収益源となる団体客が増えないことがもどかしくてたまらなかった。

「勇気を出して、営業課長に『ちゃんと団体客取ってきてくださいよ』と意見したんです。そうしたらその場にいた専務が『そこまで言うなら秦は明日から営業な』と。自分が営業するなんて考えたこともなかったので、もう、衝撃的でした」

こうして翌日から営業という畑違いの分野で働くことになった秦氏。営業部に啖呵を切った形での異動。もちろんサポートしてくれる部下はいるはずもない。どこに営業に行けば良いのか、右も左も分からない。しかし、彼は折れなかった。周囲の営業マンの日報を見て、それまでの取引先に大手旅行会社が多いことに気付いた。そこで秦氏は既存顧客に多い大手旅行会社よりも、小規模な個人経営の旅行会社を攻めたのである。

「個人経営の旅行会社でも客が付くということは、顧客との信頼関係ができている証拠。ここを取り込めれば、大手旅行会社ほどの爆発力はなくても息の長い付き合いができるだろうと思ったんです」

祭りの資金集めがシャイな自分を変えた

早速個人経営の旅行会社を中心に接待を始めた秦氏。しかし、秦氏は勉強一筋、硬派に育ってきたため、女性や大勢の前で話すときに赤面して口ごもってしまうほどのシャイな性格。そんな彼が接待や飲みニケーションをスムーズにこなすのは容易ではなかった。

「それまで経理で接待経験もほとんどなかった上、内気な性格も災いし、接待しても大して盛り上げられなくて。ただ、絶対結果を出してやるという意地があったので、内気な性格を変えなくてはいけない、と思うようになったんです」

35年ぶりに復活した秦氏の地区の太鼓台。復活から20年経った今でも当時の物を使っている
35年ぶりに復活した秦氏の地区の太鼓台。復活から20年経った今でも当時の物を使っている

時を同じくして、地元の祭り『新居浜太鼓祭り』で秦氏の地区の「太鼓台」と呼ばれる山車を35年ぶりに復活させるプロジェクトが立ち上がった。「太鼓台」は復活を遂げたが、維持費等の資金を毎年集めなくてはならない。これを寄付という形で集めるために行われるのが「御花口上」だ。

「太鼓台」に乗り、練り歩きながらその先々でお礼とともに寄付を呼びかける「御花口上」は、この祭りの花形ともされている。しかし、35年ぶりという期間もあって、その地域の口上を知っている人がいない。そこで白羽の矢が立ったのが秦氏だった。

「私がやらないと誰もできない。それに、御花口上を人前でやることで、内気な自分を変えられるかもしれないと思ったんです」

隣町まで教えを請いに通うなどして、祭りの3日前にどうにか口上を完成させた。

「とざい、とーざい、ただ今くだしおかれます……」

結果として、自分が考えた口上で町内から1日に数十万円以上を集めて回ることができた。

「人前で話すのがこんなに楽しいことだったなんて」。自分が人前に出ることで人を喜ばせることができる――。口上で結果を出せたことは、秦氏に自分自身が人前に立つことの価値を気付かせるのに十分だった。

内気な自分と決別した秦氏の営業成績は、この日を境に右肩上がりになり、社内のどの営業マンより良い成績を収めるようになる。そして今、市や県の物産展の担当者から声がかかるほどの営業マンへと変貌を遂げた。

営業とは「相手に喜んでもらう」こと

いち企業のヒラ営業マンながら愛媛県を代表して商品を売り、地元の商業高校から講演の依頼もあるという秦氏。彼は「営業」をどう考えているのだろう。

株式会社別子飴本舗 秦昇一氏

「営業とは、あくまでも相手に喜んでもらうことだと考えており、自分の利益は二の次だということを信念として持っています」

愛媛県からの要請で物産展に参加する時も、秦氏は他社の製品を売りきってから、自社の製品を売ることを心掛けているという。

「相手に喜んでもらおう、楽しんでもらおうという精神があれば、自然と準備に力が入るようになります。準備をきっちりとやれば、大舞台でも緊張しなくなるでしょう。私は内気な性格を直そうと考えましたが、最後にたどり着いたのは性格ではなかった。営業マンとして大事なのは、社交的か内気かではなく、相手を幸せにしようと思って仕事に取り組めるかということなんです」

内気な性格の営業マンは自身の性格をハンデと感じることもあるだろう。しかし、社交的に振舞うことが営業の本質ではない。

無理に性格を変えるのではなく、営業を通じて誰かを幸せにしようとする気持ちを持つこと。この営業マインドがあれば、自らの行動は自然と変化し、営業マンとして成長できることを秦氏は教えてくれた。

取材・文・撮影/佐藤健太(編集部)

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