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[連載:五十嵐悠紀⑪] 「IF」、「査読」、「動画作成」…キーワードで読み解く、最新技術の宝庫・研究論文ができるまで

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天才プログラマー・五十嵐 悠紀のほのぼの研究生活
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筑波大学  システム情報工学研究科  コンピュータサイエンス専攻  非数値処理アルゴリズム研究室(NPAL)
五十嵐 悠紀

2004年度下期、2005年度下期とIPA未踏ソフトに採択された、『天才プログラマー/スーパークリエータ』。筑波大学 システム情報工学研究科 コンピュータサイエンス専攻 非数値処理アルゴリズム研究室(NPAL)に在籍し、CG/UIの研究・開発に従事する。プライベートでは二児の母でもある

技術畑の人であれば、いわゆる文系職種畑の人に比べ、「論文」を読む機会が多いかもしれません。

ただ、在野のエンジニアで、普段から論文を執筆・発表している人は少ないのではないでしょうか? そこで今回は、みなさんが普段参考にしている論文が、どのよう過程を経て世に出ているかを取り上げてみます。

情報処理

最近では、情報処理学会発行の2012年3月の論文誌(ジャーナル)に、五十嵐さんの論文が採録決定した

論文は論文誌と呼ばれる学術雑誌に掲載されます。一般にジャーナルと呼ばれ、わたしは(国内だと)情報処理学会論文誌精密工学会誌などに掲載していただいたことがあります。

「していただいたことがあります」と書いたのは、実はこれは掲載料を支払って載せてもらっているのです。だいたい10ページほどで10万円! カラーだと白黒より高かったり、オンライン掲載だと少し安かったり。Word原稿だと高くて、TeX原稿だと安かったり…と、掲載料の基準は学会によっていろいろです(国際論文誌は掲載料無料のことも多いです)。

では、論文が掲載されるまでにはどのような過程を経るのでしょうか?

学術論文誌に投稿された論文は”査読”と言って、その分野の適切な人が論文を読んで評価を下します。査読結果は、採録、条件付き採録、不採録の大きく3つに分けられます。

条件付き採録というのは、査読者の意見にしたがってさらに実験をしたり定量的評価を加えたり、文章を書き直したりして、再度投稿するものです。最終的に採録の決定をもらうか、不採録になるかはその後決まります。

査読に通った論文は論文誌の編集者によって校正をされ、赤字の校正記号がたくさん並んだ原稿が著者に返却されます。これを修正して、ようやく論文誌に掲載されます。

ここまでの流れでざっと1年以上。学会ごとにある「~~特集号、○月号発刊予定」のようなものは査読期間が短く設定されており、発刊月が決まっているので、早いと論文投稿から掲載まで10カ月程度のこともあります。とはいえ、何度か査読者とやりとりをして修正をするという過程を経るため、基本的には年単位の時間がかかります。

論文誌の格を決める「インパクトファクター」。高いほど論文内容も高度

論文誌とは別に学会発表というものもあります。学会で発表される論文はProceedings(学会論文集)と言って、論文誌とは別のもので、たいていは学会会場で配布されています。

最近は本として印刷したものを配布するのではなく、DVDで配布したり、オンラインにPDFを置いて配布したりすることも増えてきました。

これらが両方合わさった、「学会で発表する論文がそのまま論文誌に掲載される」というパターンもあります。

コンピューターグラフィックスの学会で有名なACM SIGGRAPHでは、この学会で発表された論文はすべて、ACM Transactions on Graphics (TOG) という、これまた有名な雑誌に掲載されます。また、ほかの学会では、学会発表された論文の中から数本選んで論文誌へ推薦する、推薦論文という制度もあったりします。

インパクトファクター

インパクトファクターは、トムソン・ロイターが運営する引用文献データベース 「Web of Science」 に収録されるデータを元に算出。「Web of Knowledge」にて公開されている(要ログイン)

世の中には分野ごとにたくさんの学術論文誌があります。ほかの分野の論文を読むときや、いつもと異なる分野の研究を行ったとき、融合した分野の研究を行ったときなどに、どの論文誌に投稿して良いか悩みます。そんなときに判断する基準は論文誌のインパクトファクター(IF)です。

これは、それぞれの学術雑誌に掲載されている論文がどのくらい引用されているか? の平均を、ある評価式に則って定量的に評価したものです。これだけで論文の質は判断できないと思いますが、このIFが高いものほど、一般に読まれている傾向に高いわけで、論文の内容も高度。つまり、採録と判断されるのも難しいわけです。

IFの高い雑誌で不採録だった論文が、IFの低い雑誌に投稿して掲載される、ということもよくあります。IFがアップしました! とトップページに宣伝を掲載している論文誌もあります。

英語で書いた論文は外部の校正サービスを利用

論文の掲載を判断する「査読」は、投稿された論文を同じ分野の専門家が評価する過程のことです。学会にもよりますが、査読者は複数人(通常2~3名程度)選ばれます。

著者には査読者が誰か分からない一方、査読者側は著者のことを分かっている”シングルブラインド形式”と、査読者も著者のことが分からない”ダブルブラインド形式”があります。

査読者の選定に関しては、利益相反(conflict of interest)というのも大事で、共同研究者、ほぼ同じ研究をしている競争相手、など利害関係にあるものは「コンフリクトだから」といって査読者から外されます。

ちなみに査読に対する報酬はゼロです。ですが、研究者にとって査読してもらうことは必要不可欠であり、数年査読してもらった上で研究者になったわけなので、自分が査読する側になったときもそれなりの理由がない限り引き受けることが多いと思います。

それでは、論文を執筆する際はどんなことをしているのでしょうか。

論文誌や学会によって推奨フォーマットがあり、それに則ってWordやTeXなどを使って論文を書きます。わたしの場合は、数式が多いものはTeXの方が書きやすいのですが、共著者と何度もやりとりをしたりするので、最終段階まではWord原稿で校正履歴を使いながら原稿を書いています。

Dropbox

ビジネスパーソンを中心に、日本でも急速に浸透したDropbox。アカデミズムの世界でもその利便性は注目されている

コンピューターグラフィックスの分野だと図もたくさんあり、ファイルサイズも自然と大きくなってしまうので、執筆段階の論文の共有にはDropbox, Apache Subversionといった、ファイル共有サービスの利用も欠かせません。

また、英語圏のネイティブでもない限り、英語の論文を書く時は、商用の英文校正サービスを利用する人が多いです。これは論文A4サイズ8ページほどの英語を、だいたい1週間くらいでネイティブの人がチェックしてくれるサービスです。1word7円と決まっていたり、1ページあたり5000円と決まっていたり、3営業日で仕上げてくれ! なんていう特急サービス(もちろん割高)もあったりします。

どの分野の技術論文なのかを指定することもでき、その分野に長けた人に校正してもらえるのが魅力です。どの論文誌に提出するのかまで聞いてくれる会社もあります。

テキストに加え、動画や音声でどう「魅せる」かが腕の見せどころ

また、われわれの分野では研究開発したシステムが実際に動いていることを伝えるために、論文投稿時には動画も合わせて投稿することを推奨されている場合が多いです。なので、論文投稿の時期にはシステムが動いているところを説明する動画も作成します。

コンピューターの操作している画面を動画でキャプチャできるソフトウエアを使って取り込んだり、ユーザーに実験をしてもらっている風景をデジタルビデオで撮影してPCに取り込んだりします。これにアルゴリズムの説明を加えたりなどしながら、動画作成ソフトを使って分かりやすい1本の動画を作成していくわけです。解説の音声をレコーダーで吹き込んで、動画に合成したりもします。

自分で英語を録音することもあれば、知り合いのネイティブに原稿をしゃべってもらってmp3に録音してもらうこともあります。最近では音声合成を使う人も多いようです。ビデオの画面の荒さとファイルサイズはトレードオフなので、コーデックの選択やフレームレート、圧縮パラメーターの設定も毎回苦労するところです。

一口に研究といっても、このように幅広いマルチなタスクがあり、いろんなタイプの研究者がいます。

研究テーマを設定するのが得意な人、プログラミングが得意な人、論理的文章が得意な人、動画作成のセンスがある人、評価実験の経験豊かな人、論文発表で人を惹きつける説明が上手な人――。

研究の成果が、「論文」という形に整えられ、世の中に発表されるまでには、たくさんの人との協力、支え合いが背景にあったりするのです。

撮影/小林 正(人物のみ)