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[連載:五十嵐悠紀④] IPA天才プログラマー「電子カルテシステムをタブレットPCでつくっちゃいました」

公開

 
天才プログラマー・五十嵐 悠紀のほのぼの研究生活
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筑波大学  システム情報工学研究科  コンピュータサイエンス専攻  非数値処理アルゴリズム研究室(NPAL)
五十嵐 悠紀

2004年度下期、2005年度下期とIPA未踏ソフトに採択された、『天才プログラマー/スーパークリエータ』。筑波大学 システム情報工学研究科 コンピュータサイエンス専攻 非数値処理アルゴリズム研究室(NPAL)に在籍し、CG/UIの研究・開発に従事する。プライベートでは二児の母でもある

今回はCGやUIの研究成果がほかの分野でも活躍している例を紹介します。

わたしは以前、国立循環器病研究センターの研究所と一緒に電子カルテインターフェースの研究・開発を行っていました。研究者の多くは自分で研究テーマを考案するほかにも、現場で必要とされているニーズに合わせて研究者の視点から技術を考案することも行っています。これは「共同研究」と呼ばれます。

一般的になりつつある電子カルテですが、お医者さんはやはり紙のカルテの方が使い勝手が良いようです。一人一人、体内の状況や血管の位置など個性があり異なるので、さささーっと紙のカルテに鉛筆でイラストを描く方が楽だからです。それではどのような電子カルテを作れば実際に現場で使ってもらえるのでしょうか。

なぜ、カルテを電子化する必要があるのか?

われわれの研究グループはタブレットペンなどの「ペン入力」を利用した、電子カルテシステムを作成しました。特に心臓カテーテル検査および治療を行う際に特化した電子カルテです。

心臓カテーテル検査のための電子カルテシステム

心臓カテーテル検査のための電子カルテシステム

心臓カテーテル検査では、造影剤を使って心臓の血管(冠動脈)を映し出します。これを行うことで動脈硬化が進行して血管が狭くなっている部分、心筋梗塞で詰まってしまった場所などを発見できます。

この電子カルテシステムは起動すると上図のような標準テンプレートが読み込まれます。この血管の図の部分をシェーマと呼びます。わたしたち人間の冠動脈はおおよそこのような形状をしているのだそうです。

心臓カテーテル用電子カルテの入力画面

心臓カテーテル検査用、電子カルテの入力画面

しかし、先に述べたように患者さん一人一人、冠動脈の形状が異なるため、初期形状を簡単に変形できるような工夫がしてあります。血管上でタブレットペンのボタンを押しながらドラッグすることで、血管をつまんでひっぱり、変形することができます。新たに血管を描くときも、線を描くだけで血管の形状を適切に表現します。
 

心臓カテーテル検査を行うと、血管が狭くなっている「狭窄(きょうさく)」と呼ばれる部分が見つかります。血管の内膣が狭くなることで、血液が通過しにくくなる状態が起こっているのです。このシステムでは「狭窄記載モード」に切り替えると、血管内部にだけスナップして描けるようになります。

ペン入力で線を描くだけで血管の内壁に狭窄がおこっているような図が自動的に描かれます。狭窄の幅を50%から90%に変更すると、描画もリアルタイムで切り替わり、見るだけでかなり詰まっているのが分かりやすくなります。

狭窄が100%になってしまうと、「血管が詰まってしまい、そこから先には血液が流れない」という状況になります。この状況を線で表すことにしました(下左図)。このような症状のときにはどうするのかというと、元気な血管から血管を新しく作ってつなげる「バイパス手術」というのを行います。

電子カルテ上でも、バイパス描画モードで元気な血管から線を描いてつなげると、そこから先の血管の血液が復活するようにしました (下右図)。

このようなことは紙と鉛筆ではできない電子カルテならではの工夫です。

「技術は新しく、使い方は従来のままで」を貫く

この記事を読んでいて気付いた人もいるかもしれませんが、この電子カルテは医師がカルテ記載のためだけに使うのではなく、患者さんおよびご家族に向けて、手術や治療計画説明(インフォームドコンセント)のために使うことを意識しました。

「バイパス手術で血管を復活させる」などというのはお医者さんにとっては当たり前のことでも、患者さんにとってはこのような図で視覚情報を交えて教えてもらう方がより理解できるからです。

共同研究ではしばしば、現場の意見を取り入れたり、システムを実際に触ってもらってインタビューをすることでシステムの良い点、問題点などを洗い出したりします。その上でさらに技術開発を進めていきます。この電子カルテシステムも研究開発期間中に適宜、医師の意見をいただき、それを元に開発内容・方針を変更したりしました。

簡単な例では、狭窄のパーセンテージの入力インタフェースもそうです。わたしは最初、スライダーバーで0から100までの実数値を選択できるようにしていました。しかし、短時間で電子カルテを記入しなければならない医師は、段階的な入力しかしないことが分かりました。

そこで、医師からの助言の元、「0, 25, 50, 75, 90, 99, 100(%)」の7段階でのラジオボタンでの入力に切り替えました。このように細かいことに思えますが、現場の声を反映させて、インタフェースをデザインしていくことで、実際の使い勝手は大きく変わるのです。

また、これはどの分野にも言えると思いますが、現場の人たちは現状での手順から大きく外れることは好みません。通常、心臓カテーテル検査で医師が使用しているものに、coronary angiography(CAG)評価表というものがあります(下図)。これは冠動脈の分節番号ごとに狭窄の有無、狭窄率、狭窄の種類を格納した表のことで、医師は病状をこの表に記入して冠動脈の形態(種類)や狭窄率を管理します。

そこで、この電子カルテシステムでは、ペン入力によってシェーマに図として記入された狭窄やバイパスなどのデータを構造化し、XMLを用いてCAG評価表形式で出力できるようにしました。

また反対に、CAG評価表形式のXMLを読み込むことで、シェーマに自動反映させることもできるようにしました。この機能は医師に非常に好評で、これによって今まで使用していたほかのシステムとの連携も簡単にできるようになりました。

「分野をクロスオーバーできる人」が必要とされるワケ

このように、現場の医師の意見を取り入れながら、開発した電子カルテシステムですが、この中にはコンピュータグラフィックスや、ユーザーインターフェースの分野の研究技術がいろいろと盛り込まれています

例えば、血管を個々の形状に合わせるために「つまんで引っ張る技術」はCGの分野の世界最高峰の国際学会で発表された既存の研究技術です。

ほかの分野に研究技術を持ち込むことで、新たな問題が解決する。今回はCGやUIの研究技術を医学の分野に持ち込んだ例を紹介しました。一つの分野に卓越した人材も必要ですが、異なる分野に技術を持ち込む人材も必要です

最近では、分野ごとの垣根も低くなり、さまざまな分野が融合することで新たな分野、新たな技術が出現してきています。自分には関係ない、と決めつけたりせず、広くさまざまな分野に目を向けてみることが大事だとわたしは常々思っています。

撮影/小林 正(人物のみ)