

宇宙工学者
川口 淳一郎氏
1955年生まれ。京都大学を卒業後、東京大学大学院・工学系研究科航空学専攻。工学博士。旧文部省宇宙科学研究所システム研究系教授を経て、現在、JAXA(宇宙航空研究開発機構)宇宙科学研究所宇宙航行システム研究系研究主幹・教授。同機構の月・惑星探査プログラムグループのプログラムディレクタを務める。『はやぶさ』プロジェクトでは立ち上げから運用に携わる
昨年6月。長い宇宙の旅を終えて地球に帰還した小惑星探査機『はやぶさ』が放った光は、わたしたちの心に「夢へ向かって挑戦する」という熱い気持ちを呼び起こした。
トラブルに見舞われながらもミッションを達成した『はやぶさ』のことをニュースや特集記事で知るにつれ、まるで自ら意志を持ち、けなげに旅をした生き物のようにも感じたものだ。
その「世界初」の成功に導いた一人、プロジェクトマネジャーの川口淳一郎氏は、自著の中でこう繰り返す。
「世界初、世界一を目指すべき。(中略)後追いは、道筋が見えていますから楽ですし、先導者がいますから急速に前に進むことができます。しかしそれでは、世界から注目され、尊敬される存在にはなれません」(『小惑星探査機「はやぶさ」の超技術』より抜粋)
こんな信念を持つ川口氏の「スーパー理系脳の素」を探るべく、愛蔵書やお気に入りのサイトを拝見! と勇んで取材を申し込んだが、取材前にこんなメールが。
「このような取材依頼は非常に多いのですが、どこかに先人からの手本があるはず、という日本人独特の先入観がベースになっているため、毎回困惑してしまう」
なるほど、自著から読み取れる川口氏の考え方は、「本に書かれていることはすべて過去のこと。過去や他人の模倣からは新たな発想を得られない」というもの。とはいえ、世の多くの人たちは「誰かの過去」から学び、問題に対処するためいろんな情報で武装しようとするものだ。
「学校が終わるまではそういう教育を受けていますから、わたしたちは教科書から学ぶということを叩き込まれているんです。でも、社会に出たら現場で方針を決めるのは自分自身。問題を与えられるのを待つのではなく、何をしたいのか、なぜそれをするのか、という『問題』を考えることがすべての始まりであり、一番大事なことです」
日本人の悪癖は、「学びからスタートすること」
教科書から学ぶスタイルの教育を受けて来た日本人は、問題が与えられるとそれについて学び、取り組むのが得意。だが、インスピレーションやひらめきをもとに、問題そのものを考えるのは苦手だ。川口氏はズバリそう指摘する。
「問題意識を持つことがすべての始まりであるというのは、芸術家と似ているのかもしれません。作品を作る前に、テーマから考えるわけです。そういう意味で『はやぶさ』プロジェクトは作品。それを作るためのみんな共通の1つの夢があり、エンジニアそれぞれのテーマがありました。わたしはそれらを調合して、誰も見たことのないシナリオを作るのが仕事なのです」
それでは、「課題を与えられないと当惑してしまう」、「挑戦ではなく、学ぶところからスタートしてしまう」という日本人の弱点を打ち破り、自由な発想を得るためには、どうしたら良いのか? そのヒントを探るべく、川口氏の拠りどころを聞いてみた。
「うーん。意地、ですかね。誰かのマネをしたり、陳腐な発想を持っている自分が許せないわけです。これはもう、性分ですね(笑)。もちろん、ほかの人の作品を見て感心することはありますが、そのあとに『オレは違うものを作るぞ!』と思うんですよ」

「できそうかもしれないギリギリのところを目標にする」のをポリシーとする川口氏の意地が、チームをけん引した
『はやぶさ』プロジェクトのきっかけも、少ない予算と人員で、アメリカに負けない世界一級の研究結果を出し、胸を張って宇宙探査を続けるために、宇宙開発の先頭を走るアメリカすら手を出さないような「前人未到の場所に赴き、過去に誰もやったことのないことをするべき」(前出書)という「意地」と「決意」だった。
その思いとエンジニアの夢の上に描かれた『はやぶさ』プロジェクトのシナリオは、計算し尽くされた技術に基づき、綿密に構築されたものだった。それでもなお、さまざまなトラブルに見舞われた。例えば、2005年末に『はやぶさ』との通信が途絶えた時。川口氏はこのころ、自身で運用室のポットのお湯を毎朝入れ替えていたという。
「その時は、『こういうことでもしないと』という気持ちでしたね。それまで定期的にあった通信ができず、データもない。ちゃんと交信できていた時にあった日々のリズムがなくなってしまったわけです」
行き詰まった時こそ、必要なのは日常のリズム。ポットに熱いお湯を毎朝入れておくというのは、気持ちに、そして一日に何とかメリハリを、という心遣いだった。
「だから、交信が再開したらもうやらなくなりましたけどね(笑)」
最も情報価値のあるメディアは「ヒト」である
普段の川口氏のON・OFFスイッチはスポーツ。考え事をしながらゆっくりと泳いだり、運動不足解消と気分転換をかねて犬の散歩をするのが日課だという。気分転換としても、読書という選択肢はない。
「本は本当にまったく読まないんです。大学時代はほかの学部の人たちと接して、いろんな分野の本も読みましたが、残念ながら専門性が高くなってくると、進んでそういう書物に接することが少なくなりました」
日々の情報収集も、特定の情報源は持たず、そこにあれば新聞を、飛行機などの長距離移動の時には雑誌を読んだりと、「ジャンクな情報の集め方」をしているそう。そこで、「ならば今、一番面白いと感じるメディアは?」と聞いてみる。
「面白いというのは難しいですが……。新聞かもしれないですね。より正確な情報のように思います。インターネットは断片的で有象無象な情報が入り乱れているので、あまりじっくりそこから情報を得るということはないです。クイックな調べものをするには適していますが。あと、TVは意外と情報量が少ない。だから、何かをしながらニュース番組を流しておいて、情報を拾うといった感じです」

「本当の知恵は、多くの人と接しながら現場で身に付けていくもの」と持論を熱く語る川口氏
とことんオリジナリティーを発揮することにこだわる川口氏にとって、インスピレーションの素となる書籍やWebサイトは存在しない。川口氏の脳に刺激やインプットを与えてくれるもの。それは「ヒト」だ。
「結局、個性やインスピレーションとは、プレゼンテーションとディベートによって磨かれていくものだと思うのです。いろいろな人と接する中で、刺激や影響を受ける。そして、与えてもいると思います」
書物は一方通行になってしまう、と川口氏は言う。一方、人と人とのコミュニケーションは双方向だ。自らからの中から湧き上がる「夢」や「テーマ」を見いだし、それを主張していく中で人と出会い、議論を交わす。それが、新しいインスピレーションの源となっていく。
そしてそのインスピレーションが新しい技術を生むきっかけとなり、夢を実現する裏付けとなる。この循環こそが、『はやぶさ』プロジェクト成功のタネ明かしであり、また日本を再び世界一の技術立国に導くカギになるのかもしれない。
「だから、若い人たちには受け身で学ぶことで安心せず、どんどん自分を発信し、挑戦してほしいと思っていますよ」
取材・文/川瀬 佐千子 撮影/洞澤 佐智子(CROSSOVER)