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コンピューターおばあちゃんと、拡張現実オーケストラ。【連載:川田十夢①】

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AR三兄弟の微分積分、いい気分。

AR三兄弟・長男 川田十夢(@cmrr_xxx

公私ともに長男。日経BP社より、『AR三兄弟の企画書』絶賛発売中。TVBros.で「魚にチクビはあるのだろうか?」を隔号で、ワラパッパで「シンガーソング・タグクラウド」を、好評連載中。WIREDとかBRUTUSでも隔号で何かしら書いています。ザリガニワークスと作った透視眼鏡が発売中です。オフィシャルブログはこちら

AR三兄弟に舞い込むオファーは、実に千差万別です。それは、僕が事例紹介する時、「○○を拡張しました!」としか言わないからで、「もしかしたら何でも拡張してくれるんじゃないか」とクライアントに思わせてしまったからです。

要するに自分が悪い。だから、どんなに雑な感じのオファーにも、真摯に答えるようにしています。プログラムでいうと、宣言をする言語だとか、それを記述するノートだとか、それをコンパイルして実体化する空間だとかを、毎回新しく定義し直している感じです。

改装工事を経て、新たな梅田のシンボルとして姿を変えた阪急うめだ本店

昨秋、阪急百貨店さんから「祝祭広場を拡張してほしい」という、またよく分からないオファーが来ました。

詳しく聞いてみると、阪急うめだ本店が7年間の改装工事の末にグランドオープンするから、そのこけら落とし公演となる演目を何か考えてほしいということでした。

祝祭広場は、フロアでいうところの9階から12階までが吹き抜けになっており、お客さんが自由に座れる大階段がある。大階段から見上げるくらいの位置には、100インチの大型ビジョンが常設されており、それを有効利用できる何かを作ってほしい。

ざっくりしてて、余白がたくさんあって、好きなタイプのオファーでした。

加えて、仕事を依頼してくれた担当の方々は、AR三兄弟の作品(『透明人間と黒電話』)を観に来てくれたお客さんでもあったので、僕らが突拍子もないアイデアを実体化するということも理解されていました。

ということは、突拍子もないことを求められているため、さらにその上をゆく突拍子もないことを考えて、それを実体化すればいい。いよいよ天才の出番だなと、そこで織りなす拡張アイデアについて考えることにしました。

どうやって魚を釣り上げればいいのかは、空間と人間に聞く

僕がアイデアを考える時、わりと頼りにしているものに『釣魚大全』があります。

1653年に刊行された釣りに関する古い本なのですが、そこに出てくる「疑似餌を作る前に、釣りをする場所の生態系を観察しなくてはいけない。一円に存在しないものを擬態した餌をいくら上手にこしらえたところで、魚は一匹も釣れない」って感じのくだりがあって、それが何を考え始めるにもピタっとはまる。よく思い出します。

この定理を当てはめてみて、改めてこの阪急のオファーで考慮すべきことを整理しました。それは、

1)豪華な吹き抜け
2)そこに駆け抜ける音楽
3)阪急というブランド(阪神とのフレイバーの違い)
4)暮らしの劇場というコンセプト
5)大阪人のサービス精神

でした。

ということは、重厚で歴史ある何かを、ARで軽やかに出現させることができれば、劇場演出のように音楽の暗幕を作ることができれば、それとお客さんとかかわりを持たせる必然が用意できれば、この企画は成功するに違いない。

で、思い付いたのが、「拡張現実オーケストラ」というアイデアでした。

大まかな流れは、こうです。大階段の前に、指揮台を1つ用意します。指揮台の前方には、譜面台と指揮棒が置かれています。お客さんの誰かが、それに気付いて指揮台に上がります。指揮棒を振り上げます。館内に流れていたBGMが、ピタっと鳴り止みます。大型ビジョンに大写しになっていた大階段に座っていた数百人のお客さんが、一瞬にしてフルオーケストラに変わります。

指揮台に上がったお客さんは、その時点で指揮者です。指揮をすると、そのスピードに合わせるように、オーケストラが演奏をしてくれます。演奏を終えて、指揮者がお客さんに一礼すると、満場の拍手が祝祭広場を包みます。

圧倒的なアイデアは、圧倒的な成果をもって証明しなくてはいけない

アイデアの斬新さとスケール感が手伝い、大阪フィルハーモニー交響楽団が協力してくれることになりました。何しろ、日本が世界に誇る、あの大阪フィルです。失敗は許されません。でも、僕には自信がありました。

お客さんを指揮者に、買い物客を観客に変える。この構造美と斬新。そして、大阪という土地柄と気質。成功しないはずがないと思っていました。

そして、イメージ通りの大成功。テレビや雑誌の取材が殺到、動員客数は1万8200人を記録。指揮者体験をしたお客さんは1300人を越えました。祝祭広場が、オープンなメディアアートやエンターテインメントの場としても広く認知されることにもなり、僕らが公演を終えた後も、こぞってイベントのオファーが来ているとのことでした。

圧倒的なアイデアというものは、人を動かします。それは、アイデアの内側の人も、外側の人もそうです。

でも、ただ人を動かしただけじゃダメで、動いてくれた人々の心に何かを残さなくてはいけません。今回はそれがすべてイメージ通りに描くことができてよかったです。

表情が、声が、体験が、拡張現実にリアリティを与える

イメージ通りでないことが、1つだけありました。

それは、あるおばあちゃんが、拡張現実オーケストラに寄せていた想いです。そのおばあちゃん、小さいころから指揮者にあこがれていたものの、子育てや日常に追われて、その夢は叶わぬものとなっていました。

年を取って経済的にも余裕ができてからは、クラシック演奏会にもよく出掛けるようになったけれども、あの小さいころからの夢はまだ叶っていない。もう叶わないと思っていたところ、この阪急百貨店のチラシにあった拡張現実オーケストラを見つけたというのです。

僕はちょうど初日の公開デモンストレーションのために、大阪にいました。お客さんが体験する前の簡単なレクチャーも、直接行っていました。その一団に、おばあちゃんがいました。

何やら緊張で震えていたので、「大丈夫ですよ」と声をかけました。「夢だったのよ」と、おばあちゃんは言いました。AR体験が夢だなんて、まるでコンピューターおばあちゃんだな。その理由をまだ知らない僕は思いました。

おばあちゃんが指揮台に上がり、演奏が始まりました。最初は緊張と照れがあったものの、シュトラウスの『ラデツキー行進曲』を最後まで見事に指揮してくれました。指揮を終えて指揮台から下りたおばあちゃんに「お疲れさまでした。最高でしたよ」と声をかけると、拡張現実オーケストラに寄せた想いについて、おばあちゃんの人生について、教えてくれました。

僕は、感動で涙が出そうになりました。おばあちゃんも、同じでした。本当に、このアイデアを考えて、実体化してよかったと、心から思いました。

指揮者が指揮しているものは、何か

川田氏が手掛けた拡張現実オーケストラは、マジックのような演出を成功させた(※デモ動画

ここまで読んで、さすがはAR三兄弟。技術的にもさぞや最新のテクノロジーを駆使したに違いないと思うかも知れませんね。でも、実際に使った技術は、指揮台に忍ばせた感圧センサーと、指揮台に忍ばせたWebカムの動体検知のみ。大した技術は使っていません。

どっちかというと、ローテク。あえて言うなら、マジックのように心理的な作用を巧妙に導いたということですかね。

人はなぜ、その人を指揮者だと思うのか。そして、その指揮者が指揮しているものは、オーケストラなのか。音楽なのか。空間そのものなのか。マジック同様に、技術の種明かしはよくありません。ここまで書いたものをヒントに、技術者の皆さんはその構造について考えてみてください。

正解は1つではありません。