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オトバンク上田渉氏が作る、オーディオブックによる「究極のバリアフリー」な世界【連載:みんなのシビックデザイン】

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オープンデータやスマートシティ、ソーシャルビジネスなど、昨今では公共/都市開発/政治経済などの幅広い分野で 「サステナビリティ×テクノロジー」を意識した取り組みが始まっている。では、こうした「シビックデザイン」の世界で、自らの知見や技術を活かしながら奮闘する人たちは、何をきっかけに活動を始めて、どんな思いで続けているのか。編集者・ジャーナリストの江口晋太朗氏が人となりに迫る。

3D映像表現など、ビジュアルを多用した視覚表現が広がってきた中で、音を使った表現や情報を伝える手段はまだまだあるのではないだろうか。オトバンクは、まさにこの「音」を介した情報伝達の可能性を切り拓こうとしている。

私たちは、音を頼りに周囲の様子を知ったり、文字を読み上げることでその内容を理解したりと、日々音と結び付いた生活をしている。

そこに着目して、誰もが豊かな生活を送るための「究極のバリアフリー化」を目指すオトバンク代表取締役会長の上田渉氏は、情報があふれている現代だからこそ、「音をデザインする」ことの重要性について語る。

目の不自由な人の役に立ちたい

オトバンクのホームページ

オトバンクは、2004年にスタートした、「オーディオブック」と呼ばれる書籍の音声配信ビジネスを手掛ける会社だ。

創業のきっかけは、緑内障で失明した祖父とともに過ごした少年時代だと上田氏は語る。その後就職活動を行う年齢になった時、目が不自由な人たちも豊かな生活ができるように手助けがしたいと決意した。

「もともと学者で、本を読んだり論文を書いたりすることが仕事だった祖父にとって、目が見えなくなったことは大きなショックだったようです。大学入学前に祖父は亡くなったのですが、これを自分の中での節目と考え、祖父のような人を助けたいと考えるようになりました」

当初は対面朗読事業を考えたが、人的リソースやコストから断念。多くの人たちに届くプラットフォームとなる事業を考えた結果、障害者以外にも役に立つオーディオブックに辿り着き、2004年に会社を創業。2007年1月から、オーディオブック配信サービスの『FeBe』を開始した。

現在では、ランニングやウォーキング、移動時間や料理をしている時などの「ながら作業」に快適なツールとして利用されている。

「PCやスマホ、タブレットの普及もあり、私たちは目を酷使する環境にいます。オーディオブックは、目をつぶっても聴けるため、目と手が空いているスキマ時間に利用することができます」

オトバンクが展開するオーディオブックと市場の可能性

出版社との交渉を通じて、これまでに1万以上の書籍をオーディオブック化している

海外のオーディオブック市場は大きく、米調査会社IBISWorldが行った最新の調査では、アメリカのオーディオブック市場規模は約1600億円程度と言われている。

アメリカは国土が広大なので、通勤や移動に時間のかかるシチュエーションが多い。そこで、移動時間の楽しみとして、オーディオブックを楽しむ文化が早期から醸成された。グラミー賞にも「オーディオブック部門」が存在し、人気作品や発売されたばかりの作品がオーディオブックとして販売されるなど、一般社会に広く普及している。

一方、日本では1980年代に朗読テープによるカセットブックが販売されていたが、公共交通機関の発達などの社会的背景や、コンテンツの少なさ、値段の高さ、携帯するデバイスの性能といった側面から、オーディオブックの市場規模はなかなか拡大しなかった。

しかし、2004年ごろからMP3プレイヤーが普及し、iPodが誕生したことによって、大容量のデータを持ち運びできる時代が訪れた。こうした状況から、オーディオブックに対するニーズは高まるはずだと上田氏は考えた。

「スマホの普及によって、誰もが『いつでもどこでも再生できるデバイス』を持てるようになったのが大きいですね。音楽や動画を楽しむだけでなく、オーディオブックを聴くことも選択肢に入りつつあります。あとはコンテンツの制作費を抑え、値段を最適化できれば、日本のオーディオブック市場はもっと活性化すると考えています」

1980年代当時に苦労した出版社は、オーディオブックへの事業展開は二の足を踏みがちだ。上田氏は、こうした出版業界の状況を察して、作家や出版社が大切にしているコンテンツを「自分たちも大切にしている」と伝わるように配慮してきた。それゆえ、急拡大を目指すのではなく、じっくり事業を成長させながらユーザーや作家、出版社との関係を築くことに腐心してきた。

『FeBe』は、はじめにドラッカー関連などのビジネス書に力を入れ、通勤時間を有効活用したいというビジネスマンを中心とした利用を広げている。一方、小説のオーディオブックでは登場人物によって朗読者を変えるなど、きめ細かい体制づくりを進めてきた。

「目が不自由な人に楽しんでもらうだけではなく、一般人にとっても楽しめるサービスでなければいけません。実際に、ユーザーの9割以上はビジネスマンや主婦など一般の方々です」

現在ではコンテンツ数が1万、登録会員が11万を突破している『FeBe』。過去の書籍であっても、オーディオブック化されることでロングテールによるビジネスも期待でき、コンテンツ数が増えるほど多様な需要に沿ったものを提供することができる。

紙の書籍の販売にも大きな波及効果が見込めると、最近は池井戸潤氏の「半沢直樹」シリーズなど人気作品のタイムリーなオーディオブック配信も行っている。

オトバンクは自社で録音スタジオを持っており、収録などを日々行っている

また、2010年7月にリリースしたアプリ『朗読少女』は、すでに100万ダウンロードを越える人気ぶり。文豪の書籍や歴史的名著を、声優が朗読で読み聞かせをしてくれる点が受けた格好だ。人気アニメとのコラボレーションやコミック、小説とのメディアミックスを図るなど、電子書籍市場においてエンターテインメントの要素も盛り込んだサービスとして成長している。

近年は、書籍の内容が15分で分かる書籍ダイジェストサービス『リーダーズ・セレクション』や、クラリオン社の自動車向けクラウド情報ネットワークサービス『Smart Access』向けにもオーディオブック再生アプリを提供するなど、さまざまな製品・サービスとの連携も開始。多様な切り口でオーディオブック市場を盛り上げている。

音による究極のバリアフリーを目指して

声優などのプロの表現者と協働しながら、相手に伝わりやすい朗読や読み聞かせを心掛ける

さらに同社は、視覚障害者専用ラジオ放送のJBS日本福祉放送と協働し、書籍情報を20分程度で伝える『新刊ラジオ』の提供をスタートした。もちろん、視覚障害者でなくても内容は十分に楽しむことができる。

「新刊ラジオでは、情報の即時性を重視しています。視覚が失われた途端、急に情報収集ができなくなるのを少しでも解消したいのです」

生まれた時や幼少期から目が不自由な人は、国内に約3万人程度存在しているといわれている。それに加えて、生活をしている途中で病気やケガを理由に目を患い、失明したり視覚障害者となる中途失明者は、その10倍近い30万人もいるそうだ。

中途失明者にとっては、それまで何気なく過ごしていた生活をどれだけ維持できるかが重要になってくる。点字は指の感覚を練習しなければならず、幼少期から目が不自由な先天盲の人でなければ覚えるのが難しい。

こうした人たちにとって、音声はとても重要な情報源なのだ。

健常者のコミュニケーションや意思疎通も、約6割は音声に依存していると言われており、生活と音の結び付きは強い。

視覚障害者の方が本に触れる手段として厚労省が行っている事業があるが、従事しているのはボランティアなどのため、読み聞かせのクオリティに開きができてしまう問題も、オトバンクは解消している。

「FeBeや朗読少女などのオトバンクのサービスでは、プロの声優や俳優さんを通じた高い表現力で内容を伝えたり、読み聞かせをしたりしています。ただ読むのではなく、相手に伝わりやすいように表現や読み聞かせ方を工夫することで、情報だけではない感情や体験を相手に伝えることができるのです」

他にも、演劇集団キャラメルボックスによる『雨と夢のあとに』を、舞台と同一のキャストを使ってオーディオドラマ化。舞台とはちょっと違った声の魅力を通じて、物語を楽しむことができる。

一般的に、私たちは五感のすべてを使ってさまざま情報を取得しており、それが当たり前だと思いがちだ。しかし、その「当たり前」が視覚障害者にとっては当たり前ではないという事実があることに気付くのが大切である。

「我々は企業理念として、聞き入る文化の創造、出版業界の振興、音による究極のバリアフリーの実現を掲げています。誰もが情報を知ることのできる社会を作りたいからです。人々の情報格差をなくし、さらに即時性の高い状態で情報提供できる環境を作っていきたい。そのためにオーディオブックはあるのです」

立体音響による「没入感」のあるコンテンツの可能性

デバイスの進化に目を移すと、Google Glassなどウエアラブルデバイスへの注目が高まっている。かつてのウォークマンも、いわばウエアラブルの第一号とも言えるかもしれない。誰もがポケット1つで自由にコンテンツを持ち運びできる時代になった今、次はコンテンツを豊かに楽しむための技術革新が進むはずだ。

オーディオ分野では、「バイノーラル録音」が注目を浴びている。バイノーラル録音とは、人の頭を模した人形の耳にマイクを設置したダミーヘッドで録音することで、自分の耳に届いているような音を創出する立体録音技術だ。

立体音響の分野には、1980年代にアルゼンチンの技術者ウーゴ・スカレーリ氏によって開発されたホロフォニクス なども存在する。これらの立体音響技術は、YouTubeなどの動画コンテンツで聞くことができる。

「立体音響技術を通じて、ユーザーは没入感のあるコンテンツを楽しむことができるようになりました。一般の人も目が不自由な人も、より立体的で豊かなオーディオの世界を楽しむことができれば、当然、コンテンツの新しい可能性も生まれるはずです」

立体音響にOculus RiftのようなVRヘッドセットを組み合わせれば、バーチャルリアリティが現実世界とほぼ同一、もしくはそれ以上の体験として伝わるかもしれない。デバイスと技術の進化によって、音の多様性はますます広がっているといえる。

それに、映像や写真よりも、音声によってその場の臨場感が伝わることもある。音が持つ情報量の多さに意識を向けることで、サービス・コンテンツにも変化が起きるかもしれない。

音のデザインを通じて生活を立体的に体感する

音のデザインを意識し、音の可能性を今後も追求していきたいと語る上田氏

そうなれば、これまでオーディオの分野に参入したことがなかった人たちも、新しい表現や情報発信ができるかもしれない。

「既存メディアでも、ラジオのようなトークコンテンツだけではなく、耳で聞き入る脚本に特化したようなコンテンツづくりがあっていい。耳で聞き入る効果を理解することで、コンテンツや身近な生活を、より三次元な発想で見据えることができるでしょう。音を軸としたアート表現もまだまだ可能性があります。さまざまな業界の人たちと、音を通じたコラボレーションを図っていきたいですね」

音とコンテンツに着目した表現の一例には、アーティストのライアン・ホラディ氏が作成した、ワシントン国立公園という特定の場所でしか体験できない音楽アルバム『The National Mall』がある。デバイスに搭載されたGPS機能を使用した“位置情報アルバム”は、ユーザーのいる位置に応じて音楽を奏でる新しい手法だ。

サウンドコンサルタントのジュリアン・トレジャー氏は、「医療や教育の現場では、音響空間によってストレスや教育効果が変わる」と言う。空間による音の環境とインターフェイスに着目し、都市・オフィスにおけるサウンドデザインが仕事の効率性や快適さに大きな影響を与えると語るジュリアン氏は、今後、視覚情報だけでなく音が人間に与える影響を考えたデザインを作ることが求められると示唆している。

ダイアログインザダークなど、暗闇の中で五感を体験するエンターテインメントに多くの人たちが参加し始めている。情報量が膨大になっている時代だからこそ、視覚だけでなく聴覚などにも意識を向けることが求められているのかもしれない。

「改めて、自分の身近にある音に意識を向けたり、音を通じてリラックスしたりコンテンツを楽しんだりするような時代になってほしいですね。とかく視覚に意識が向きがちですが、普段あまり意識していない音に着目することで、自分の生活に立体感や豊かさをもたらすことができます」

常にスマホをいじる生活から抜け出し、周囲の音に聞き入ったり、自分の身近にあるさまざまな音をじっくり体感することから始めてみるといいかもしれない。見るだけではなく、聞き入る意識を持つことで、世の中の見方は大きく変わってくる。

「音のデザイン」を考えることで、身の回りのすべてが、これまでとは違った世界になるかもしれない。

Interviewer

編集者・ジャーナリスト
江口 晋太朗(@eshintaro

1984年生まれ。福岡県出身。情報・環境・アート・デザイン・テクノロジーなど、ジャンルを超えたさまざまな分野を横断しながら「未来をつくる編集者」としてプロデュース活動を行う。ネット選挙解禁に向けて活動したOne Voice Capmaign発起人、オープンデータやオープンガバメントを推進するOpen Knowledge Foundation JapanCode for Japanのメンバーとして活動。著書に『パブリックシフト ネット選挙から始まる「私たち」の政治』など

撮影/玄樹