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海外の小学校が授業で教え始めた「ゲーム・リテラシー」って何だ? -『Edu×Tech Fes 2013』レポ

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Edu×TechFes2013

「教育とテクノロジー」をつなげる動きが、ここ1、2年で急速に進んでいる。

学生向けのアプリ開発スクールが多数生まれ、大学など教育機関の講義がネットでも配信されるようになり、知育・教育を目的にしたスマホ/タブレットアプリがマーケットで注目を集め始めた。

学校の教育現場にITを持ち込もうとする試みは以前からあったが、産学から出てきたこうしたうねりの本質は別のところにある。

作る体験を通じて「学びの中身」そのものを見直すもの、デバイスと通信の進化を背景に「学ぶ機会」をオンデマンドでオープンなものにするもの。いずれも、既存の教育のあり方に一石を投じつつ、新しい学びの形を作り出しそうとしている。

5月26日に東京大学で行われた『Edu×Tech Fes 2013』でも、そういった流れが顕著に見て取れた。

『Edu×Tech Fes』とは、中高生向けにアプリ開発やゲームデザインを教えているLife is Techが、「ITと教育」の関係性について有識者とともに議論・発信している年1回のイベントだ。

昨年は、進むグローバル化の中で「日本の中高生の“3大教養”を英語・IT・自己発信に」というメッセージが発信されたが(昨年のレポートはコチラ)、今年のFesは「×(クロス)」がテーマ。

「グローバル」、「エンターテインメント」、「リアル」それぞれのテーマにテクノロジーが“交差する”ことで、教育がどう変わり、どう変わっていくと未来が明るくなるのか。Evernote日本法人会長の外村仁氏や、慶應義塾大学大学院・教授の古川亨氏、キッザニア東京の創設者・住谷栄之資氏、灘高校3年生で“スーパーIT高校生”と称されるTehu氏など、豪華な登壇者たちの講演によって、さまざまな提言が行われた。

■ 当日の講演内容はYouTube『LifeisTech!チャンネル』で視聴可能

中でも興味深かったのが、「これからは日本でも“ゲーム・リテラシー”の教育が必要になるのでは?」というもの。この提言を行ったのは、《ゲーム・テクノロジーから教育を変える》というタイトルで対話を繰り広げた、馬場章氏遠藤雅伸氏の2人だ。

「コンテンツがコミュニケーションを越えることはない」

Game no kamisama

遠藤雅伸氏の公式blog『ゲームの神様

馬場氏は東京大学大学院・情報学環の教授で、デジタルゲーム研究の先駆者として知られる存在。

一方の遠藤氏は、1980年代に一世を風靡したシューティングゲーム『ゼビウス』の開発全般を担当して以来、さまざまなヒットゲームを生み出し、今は日本デジタルゲーム学会理事/宮城大学客員教授を務める“ゲームの神様”だ(遠藤氏の公式blogの呼称にもなっている)。

学者と開発者という双方の視点から、ゲームとコミュニケーションの関係性についてお互いの考えを披露する中で、出てきたのが「ゲーム・リテラシー」という言葉だった。

馬場氏によると、ゲーム・リテラシーとはメディア・リテラシーを模した造語で、「ゲームの本質を批判的に理解して、ゲームを使いこなし、ゲームを開発する基本的能力」とのこと。

これがなぜコミュニケーションについて考察する文脈から出てきたのかを理解するには、その前段に出された「ゲームとは何か?」という問いへの答えを知る必要がある。

「ルールに即して競い合うのがゲームの本質。デジタルの登場で、競い合う相手には人だけでなく、コンピュータやプレイフィールドも加わった。そして、ゲームは今、携帯デバイスの普及で『わざわざ時間をつくってやるもの』から『隙間時間でやるもの』へと変化している。ゲームのあり方がさまざまな方向に変化してきた中で、これからはインタラクティブなコンテンツとしてもっと進化していくと思う」(遠藤氏)

「ゲームの定義は時代によって変わっていくものだが、個人的な見解として、ゲームとはルール・ツール・プレイヤーの3つで成り立つ“現象”であると考えている」(馬場氏)

2人のコメントに共通しているのは、定められたルールの中で遊ぶことで、同じルールの中にいる他者(人、またはデジタルが作る架空のアバター)とのつながりが生まれるいうこと。その過程で、学びが生まれることもあるということだ。

そして、遠藤氏は「コンテンツ」の持つ意味をこう説明する。

「コンテンツは、コミュニケーションを超えることはない。例えば映画デートは、『映画を観る』のが本来の目的ではなく、好きな人と『会話する材料』なんだと思う。だから、コンテンツとは、究極的にすべてコミュニケーションのネタなのだ」(遠藤氏)

この言葉に沿えば、良質なコンテンツとはコミュニケーションを活発にさせるものであり、作り手はそれを意識してゲームを開発することが求められる。遠藤氏が言う「ゲームがインタラクティブなコンテンツとして進化していく」という話も、この流れに合致する。

だから、プレイヤーだけでなく、クリエイターにも、引いてはノンプレイヤー=直接ゲームをプレイしていない人にも、ゲーム・リテラシーが求められるというのだ。

「日本はゲーム開発のレベルは世界でも3指に入るが、ゲームやITを使ったコミュニケーションの教育ってあまり進んでない。自分の子どもが『3DS持ってないから仲間はずれにされた』と言ってきた時、なぜ多くの親はすぐ買い与えようとするのか。『じゃあ友だちと貸し借りして遊びなさい』と教えるのも、親の役目ではないか。さまざまな立場の人が、ゲームの持つ力をもっと多角的に学ぶ機会が必要だろう」(馬場氏)

馬場氏によれば、カナダや台湾の小学校では、ゲーム・リテラシーを高める目的で、「どういう意図でこのゲームが創られてるのか」を考えるような授業を行うところも出てきているという。

時代を問わず子どもたちを惹きつけてきた「ゲーム」を通じて、コミュニケーション力の育成や情緒教育を行おうという流れは以前からあった。だがそれも、ゲームの進化と合わせて変わっていくべきということだろう。

取材・文・撮影/伊藤健吾(編集部)