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寿司屋バイトからデータサイエンティストへ。異色な経歴のがんこフードサービス副社長が描く「200年後のレストラン」が面白い

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各種飲食店を全国展開するがんこフードサービスが、最新テクノロジーを用いて業務改善を進めていることを知っているだろうか。

直近の取り組みの一つはユニークそのもの。店舗の接客スタッフにGPSを装備してもらい、その動きを計測してデータを分析することで、顧客の需要と労働量の最適化を図ったのだ。この施策によって実際に収益が上がったとして、経済誌などに取り上げられて話題となっている。

一見、現場を知らない本部社員による、過剰なスタッフ管理と思ってしまうような取り組みだが、導入~分析の中心人物となったのは、厨房経験の豊富な現場出身者だ。この点が、ユニークさを際立たせる。

「すべての活動の出発点は、調理場でのアルバイト経験なんです」

そう語るのは、がんこフードサービス副社長の新村猛氏。大学時代にがんこ寿司のアルバイトとして飲食業界に入り、そのままがんこフードサービスに入社。社員として勤めながら、MBAと工学の博士号を取得したという異色の経歴の持ち主である。

同氏のキャリアヒストリーには、飲食業界が抱える課題やテクノロジーが持つ可能性、そして若手エンジニアへの期待など、数多くの示唆深い話が秘められていた。

寿司屋のアルバイトが、なぜ工学博士を目指したのか?

そもそも、新村氏が飲食業界に入ったきっかけは何だったのだろうか。

勉強はひたすら本を読むことと専門家と積極的に話をすることで行っていたという

「理由は単純。大学時代に学費や生活費を稼ごうという単純な理由でアルバイトを始めたのです。飲食店を選んだのは、まかないが付いて得だから(笑)。中でもがんこ寿司を選んだのは、当時の平均時給よりかなり高かったからです。最初のきっかけは、そんな他愛もないことでした」

大学で法学を専攻していた新村氏。研究者だった祖父に憧れ、法律研究のスペシャリストになるべく学業とアルバイトを両立しながら忙しい日々を送っていた。

働きぶりが評価され、学生の終わり頃にはアルバイト店長に指名されたそうだが、もともとは研究者を目指す身。大学院に進むタイミングで、バイトは辞めるつもりだった。

「そんな折、創業者の小嶋社長(当時)に『うちに入らないか? 上場も視野に入れて検討している。そういう現場は貴重だぞ』と誘われたんですね。迷いはありましたが、上場を控えた企業で働く体験はそうそうできないと思い、入社を決意しました」

しかし、新村氏が入社した直後にバブルが崩壊。上場するという環境ではなくなってしまった.

このまま仕事を続けるか、もう一度研究者としての道を進むか。迷っていた時に、再び創業者の小嶋氏にこう声をかけられた。

「仕事をしながら勉強すればいい、と。それで、会社員と研究者の中間で仕事を続けながら、経営学を学べるMBAへ通い始めました」

理解のある上司のもと、仕事と勉強を両立し、2年でMBAを取得。学びの過程で行きついたのは、「飲食業には経営学だけでは解決できない問題がある」という結論だった。その問題とは何だろうか。

「飲食業は、対応するスタッフのスキルや経験によって顧客の評価が変わります。たとえ味が良く、ブランド力のあるお店でも、店主の対応が悪かったり、料理の提供に時間がかかったら評価は下がるわけです」

なら、どういう対応を顧客は喜ぶのか? また、スタッフが効率よく動いて、接客にいっそう気を配れるようにするにはどうすればいいか?

この問題を突きつめていく中で感じたのが、「人間の心と体を計測、分析、制御する工学分野の知見を合わせて習得することが必要だ」ということだった。テクノロジーへの関心が高まったのは、この時期からだ。

自身の新たなミッションをクリアすべく、工学系の博士課程進学を検討するタイミングで、思いもよらない好機が新村氏に転がり込んだ。

医者と調理師の差はサイエンスによって生まれた

「ちょうどそのころ、独立行政法人産業技術総合研究所がサービス工学研究センターを立ち上げるというタイミングでした。心理学、テクノロジー、人間工学の専門家を集める中で、サービス産業の現場を知る人材として研究所のメンバーに抜擢されたのです」

調理場でバイトをしていた経験が、思わぬところで役立った。同研究所での研究生活により、研究と現場をダイレクトに結びつける取り組みが可能になり、各専門家たちとつながりができたことも大きな財産になったと語る。

1963年に個人営業の寿司店として大阪で創業し、1980年にがんこフードサービスへ社名変更。関西地方を中心に、関東地方にも店舗を展開している

そこで新村氏が最初に取り組んだのは、冒頭で紹介した施策につながる研究、つまり顧客需要と労働量のミスマッチの解消だった。

「10人ほどの接客スタッフにセンサーを付けて、1日の動きを3DCGでデータ化。どの時間にどこに人がいるかをすべて分析してみました。同時に、個数換算だった顧客の需要を、時間換算で計測するシステムの構築も進めました。

すると、料理はメニューによって必要な時間が違うはずなのに、労働はそれに合わせた投入量になっていないことが浮き彫りになった。それを改善しないと、需要と供給がいつまでもマッチせず、収益向上に寄与しないことが定量的に理解できたのです」

そうした新たな指標を工学の専門家と作り、マネジメントのノウハウで店舗スタッフの働き方を改善する。文系と理系の知見をミックスさせた業務改善で、実験対象店舗では夜間の注文受付量は4割増、料理の提供時間は2割短縮という成果を出す。

これが「ビッグデータを活用した業務改善」としてメディアに取り上げられたわけだが、新村氏自身は「ビッグデータ」という言葉に違和感を持っている。

「そもそもビッグデータは、20世紀後半にセブン-イレブンさんがPOSシステムを日本に持ち込んでから、小売、サービス業では長年存在しているものなんです。今になってビッグデータと言われ出したのは、ソフトが発達して扱いやすい時代が来たから。でも、ここで誤解してほしくないのが、ビッグデータはあくまでもツールだということです。

わたしもよく『データサイエンティスト』などと言われるのですが、分析するだけではいつまでも厨房の現場は変わらない。実益に結び付けないと、ビッグデータも宝の持ち腐れです」

テクノロジーがサービス産業と結びついたのは、今後の発展に大きな意味を持つ。それはかつて、医療や金融業界が科学と結びついて「高付加価値化」した事実に習うことだと新村氏は語る。

「医者と調理師って、200年前はほとんど同じ技術だったんですよ。薬は薬草を採取して、鹿の角などと配合して鍋や薬研を用いて薬を製造していました。でも、近代化の過程で、医者は化学や工学分野の技術を取り入れて医療技術の高付加価値化に成功。また、金融業も金と銀の交換比率を決める両替商から始まり、高度な数学や経済学と結びついて金融工学を創造し、高付加価値化したのです。

そうした歴史に学び、コモディティ化が顕著なサービス産業も高付加価値化を目指すべき。でないと、200年後のレストランに申し訳ないですよね」

人と機械が融合した、未来の“インテリジェンスキッチン”とは

新村氏の言う、200年後のレストランとは何なのか。聞くと、未来の飲食業の姿が垣間見えた。

「我々が次にやろうとしていることは、未来のPOSデータを作ること。過去のデータをこねくり回しても、昨日の馬券を握りしめているのと同じようなものですから。需要予測を単品まで落とし込むアルゴリズムを作って、1週間後、1カ月後のPOSデータを作成する。そうすれば、材料の仕入れや労働投入量の無駄がなくなります。今の取り組みは、その第一歩になるものです」

未来を予測するPOSシステム――。こう書くと夢物語のように感じるが、「実現には200年もかかりません。僕の夢はもっと先にある」とのこと。それを新村氏は“インテリジェンスキッチン”と表現した。

「例えば、ジョエル・ロブションにステーキを焼いてもらって、その技をデータ化しておくんですよ。厚さ10cmのステーキで、脂肪分が3.5%、肉の表面温度が10℃だったとして、どれくらいの熱量で何秒焼けばいいかを記録しておく。でも、機械にやらせるわけではない。そうしたデータを元に、人間が焼くんです。その方が絶対においしいと信じているから。

僕は機械が人間に取って代わるとは考えていません。機械に任せられるところを任せることで、人間の能力を最大限に引き出す。それが機械と人間の適切な関係だと思っています」

現在は新村氏に続く人材の育成にも力を入れているそう。最初の取り組みは、現場しか知らない人間にデータの使い方を教えること。その次のステップとして、現場を知らないエンジニアの採用を考えているという。

産総研と合同でサービスを科学的観点から研究する『気づきサイエンス研究所』という部署を社内に持つ

「今は産総研など外部のスタッフに協力してもらいながらシステム開発を行っていますが、より精度を上げるには内部にエンジニアがいた方がいい。

エンジニアからすればまったくの異業種へのチャレンジになるかもしれませんが、掛け合わせで考えたら面白い人材に育つと思いますよ。ITのスキルを持って、ITの会社でトップを目指すのも1つのやり方ですが、異分野への挑戦も意義深いはずです」

そう語る一方で、異分野への挑戦はそれ相応の覚悟で望むべきだとも語る。その言葉の裏には、若いエンジニアへの期待が込められていた。

「当然、ハイリスク・ハイリターンです。私自身、職人の世界に学問を持ち込んで、下手をすれば変人扱いされてもおかしくなかった。創業者である小嶋会長の理解と支援があってこそのものです。だから、自分の技術を活かす場所はよく見極めないといけません」

ただ、そのハードルさえ乗り越えることができれば、唯一無二の技術屋になれる。新村氏が、まさにその生き証人だ。

取材・文/長瀬光弘(東京ピストル