クリエイターと読者を“つなぐ”新メディア『cakes』や、アメリカで有名な『ハフィントン・ポスト』の日本版、さらには自社サイトをメディア化した『LIGブログ』など、最近、さまざまな形のWebコンテンツメディアが続々と立ち上がっている。
こうしたWebコンテンツを配信するメディアの先駆けとして挙げられるのは、コピーライターだった糸井重里氏が1998年に創刊した『ほぼ日刊イトイ新聞(以下、ほぼ日)』と言えるだろう。
著名人のインタビュー記事を「まかないメシ」の感覚で無料公開するWebメディアとしてスタートし、今ではECサイトとしても『ほぼ日手帳』や『やさしいタオル』といったヒット商品を数多く生み出している。一日140万PV、時には200万PV超を記録する、老若男女から親しまれているWebメディアだ。
そんな『ほぼ日』を支えるシステム部門は、“宇宙部”という愛称で親しまれ、『ほぼ日』のコンテンツにも時折顔を見せている。メンバーは、たったの3名。彼らがなぜ宇宙部と呼ばれているのか。そして、いかにして膨大なトラフィックをさばき、日々の業務を行っているのか。注目サービスを支えるチームに話を聞いた。

(写真左から)『ほぼ日』宇宙部の沢柳晴司氏、佐藤智行氏、河本比佐雄氏
サーバ運用からシステム開発まで、『ほぼ日』エンジニアに境界線はない
—— まず、それぞれの担当分野や役割についてお伺いできますでしょうか?
佐藤 1人1人が特定の分野に特化しているわけではなく、役割分担は設けていないんですよ。バックエンドからフロントエンドまで、すべて3人で見ています。サーバも自分たちで運用しています。
ほぼ日ストアのバックエンドや書店向けの卸の仕組み、商品の出荷のために物流とデータをやり取りするシステムなど、すべて自分たちで作っています。そもそも3人しかいないので、1人にしか分からないことがあると、体調不良で休むことすらできなくなってしまう(笑)。だから、専門分野は極力作らないようにして、気軽に休めるような体制にしています。
しいて挙げるなら、毎週交代で「宇宙の窓口」という役割を設けているくらいですかね。
—— 宇宙の窓口!? 担当になった方はどんなことをするんですか?

サイト運営を開始してから9年近く、佐藤氏はほぼ1人でシステム部門を支えていたという
佐藤 ほかのチームから至急の依頼が来た時に対応する担当です。全員に至急の依頼が来てしまうと本来の仕事に支障をきたしてしまうので、それを防ぐためですね。
—— なるほど。それにしても、3人全員がバックエンドからフロントエンドまで見られるのはスゴいですね。ほかのお2人は中途入社ということですが、業務範囲の広さに驚きはしなかったですか?
川本 特にありませんでしたね。これまでも、ある証券会社の開発会社で株のアプリを作ったり、とある社団法人でIPアドレスとドメイン管理などをやっていたり、もともとが幅広い業務を担当していたので。
沢柳 僕もそうですね。前はフリーランスエンジニアとしていろんな会社で開発に従事しながら、ひと通りの工程は経験していましたから、その点は問題ありませんでした。
2007年9月、『ほぼ日』開発チームは宇宙部となった
—— 佐藤さんはずっとお1人でシステムを担当されていたんですよね。
佐藤 はい。だから、川本が入社してきた時は、素直にうれしかったですね。ほかの社員からすると、1人から2人になっただけかもしれないけど、僕からしたらゼロだった仲間がイチに増えたんです。それはもう、すごい変化でしたよ。

「あの時は本当に大変だった」と、2007年の入社当時を振り返る川本氏
川本 面接の時から開発の話で盛り上がりましたね。入社後は席が隣同士だったので、2人して黒い画面(ターミナルウェア)を見ながらシステムの話をしているのを見て、周りから「宇宙人だ!」、「宇宙語だ!」と言われ始めたんです。そこから僕たちは「宇宙部」と言われるようになったんですよ。
佐藤 それまでは、ほかの乗組員(※編集部注:『ほぼ日』の社員のことを指す)たちとシステムのことを話す時は専門用語が全く使えなかったんです。だから、あの時は本当にうれしかったです。
—— 確かに、当時の佐藤さんのお気持ちを考えると、パートナーが増えるだけで何でもできそうな気分になりそうですね。
佐藤 そうですね。当時新しいサーバを買ったままセットアップする時間がなく、2~3カ月放置していたので、まずはそれのセットアップからお願いしたのかな? それまでは何から何まで全部1人だったので、川本にも得意分野かどうかを問わずに、何でもお願いをしていたと思います。かなりムチャをしていたかも(苦笑)。
—— 川本さんは、そんな状況下にいらっしゃって、どんなお気持ちでしたか?
川本 入社後にお願いされたサーバのセットアップは以前やったこともあったので、スペックを聞いて普通にセットアップしましたけど、まぁ大変そうだなと(笑)。でも、その時は何とかなるだろうという気持ちでいましたね。
“宇宙”でも、GitHubが使われているらしい
—— 川本さんが入社されたのが2007年で、その後2011年に沢柳さんが入社されています。
佐藤 沢柳を採用した時は、「チームを作ろう」という気持ちで採用をしていました。2人だとまだペアなので、それぞれが独立していても意思疎通できますが、3人目が入る時はチームになるんだという意識が強かったんですよ。なので、マインドの面で「オレがオレが」というタイプは合わなくて、チームワークを重んじられる人かどうか、という明確な基準は設定していましたね。結果、総勢200~300名くらいの方から応募いただいた中で、スキルもマインドもマッチした沢柳に決めました。
沢柳の加入によって、GitHubを導入してソーシャルコーディングを活用するようになるなど、チームでコーディングするためのノウハウが宇宙部にもたらされました。おかげで開発環境もかなり整いましたね。
—— 整い始めた、というのは具体的にどういう状況だったのでしょうか?

沢柳氏は、宇宙部にチーム開発のためのさまざまなノウハウをもたらした
沢柳 かつては本当に何もなかったんですよ。SCMのようなものもなく、『GitHub』も使っていませんでした。だから、ソースコードを見てください、という時に、今動いているコードを、ほとんどコメントもないまま確認しなければいけない、という状況でした(笑)。だから逆に、やれることはたくさんあるなと思いましたけどね。
—— なるほど。
佐藤 2人が入社してくるまでは、1人で全部やっていたので、目の前の業務に追われていてSCMを導入するヒマがなかったんです。自分で書いたコードだからあとから見ても分かるんですよ(笑)。川本が入った後も、どちらかが書いたコードなのでまだ大丈夫でした。それが、3人になると、誰が書いたかが分からなくなってしまう。そのころから、履歴を残すことの必要性も感じ始めたこともあり、チームで開発していくんだという実感が強くなりましたね。
—— サイトの成長とともにシステムの重要性が高まってきたからこそ、手探りで開発体制を整えている様子が、とても臨場感がありますね。後編では、『ほぼ日』宇宙部のみなさんの仕事論について伺ってみたいと思います。
(後編へつづく)
>> 【インタビュー後編】糸井重里イズムを受け継いだ、『ほぼ日』宇宙部の仕事論
取材・文/小禄卓也(編集部) 撮影/竹井俊晴