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iPS誤報問題に見る、「肩書き」に振り回される日本人の滑稽さ【連載:小松俊明⑨】

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キャリアコンサルタント・小松俊明の「最新ニュースから読み解くキャリアの未来」
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東京海洋大学特任教授/グローバル・キャリアコンサルタント
小松俊明 [@headhunterjp]

慶應義塾大学法学部を卒業後、住友商事、外資コンサル会社を経て独立。エンジニアの転職事情に詳しい。『35歳からの転職成功マニュアル』、『デキる上司は定時に帰る』ほか著書多数。海外在住12年、国内外で2回の起業を経験した異色の経歴を持つ。現在はリクルーターズ株式会社の代表取締役、オールアバウトの転職ノウハウガイド、厚生労働省指定実施機関による職業責任者講習講師を務める傍ら、東京海洋大学特任教授として理系大学生のキャリア&グローバル教育の研究と教育に取り組む。小松俊明公式HP転職活動コンサルHP

京大の山中伸弥教授が、iPS細胞を創出した功績でノーベル生理学・医学賞を受賞というニュースが、日本をかけめぐった。

ご本人は苦労人で、かつとても謙虚なお人柄という。そしてまだ50歳という若さで達成した偉業である。久しぶりの明るいニュースに、関係者のみならず、大人から子供たちまで日本全国でこの朗報を喜んだ人は多かったに違いない。

一方、iPS細胞を使った手術を行ったと主張する日本人研究者のニュースが続いたことも記憶に新しいと思うが、これは「世紀の誤報」と指摘されるほど、大手メディアらしからぬお粗末なニュースだった。速報の直後から誤報に対する謝罪が繰り返され、せっかくのノーベル賞受賞のニュースに水を差したことは間違いない。

関係者でなくとも、もうこのニュースは早く忘れたいというのが、多くの人々の正直な心境であろう。

しかし、実はこのニュースを耳にしながら、筆者はまったく別のことを考えていた。それは日本に根差す「肩書き社会」の根強さと、一方でそれが実体としては崩壊しているのではないかという思いである。本日のコラムはそのことについて論じたいと思う。

10月14日付の朝日新聞は、例の日本人研究者が「ハーバード大医学部客員講師」を名乗っていたことに疑問を呈していた。正確には「客員研究員」という肩書きだったことや、ハーバード大に在籍したのが1カ月しかなかったことを指摘して、肩書きの使い方そのものにケチをつけるために紙面の多くを割いていた。

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From California Cthulhu 誤報を引き起こした背景に、「ハーバード大」という肩書きへの信奉もあるのでは? と分析

この論調に対し、筆者は少し違和感を持っている。というのも、客員講師だろうが、客員研究員だろうが、また在籍期間が短かろうが長かろうが、肩書きはあくまでも肩書きにすぎず、本人の実力や実績を評価するにはまったく意味がない。

にもかかわらず、実際のところ、わたしたちは肩書きを気にし過ぎてはいないだろうか。意図的な経歴詐称は許してはいけないが、相手の「肩書き」を信用し過ぎるのもどうかと思うが、いかがだろうか。

今回、例の研究者のインフレ気味なプロフィールに対して大手メディアがケチをつけた背景には、「肩書きは重くなければならない」という思い込みが見え隠れしてならない。検証記事の中では、寄付講座や研究プロジェクトに雇われる研究者は、「客員」「特任」と呼ばれて任期付きのポストに就くと紹介し、一方、企業でいうところの正社員に相当する「任期なし」のポストに就く者の方が、より厳しい選考で選ばれているという点をクローズアップしている。

全国で活躍している任期付きの「客員」や「特任」の研究員たちは、どのような思いを持って一方的に優劣を印象付けた記事を読んだであろうか。筆者が違和感を持ったポイントはまさにここである。

景気後退による組織の変化で「企業内の肩書き」はインフレ状態

肩書きについて、別の例で考えてみよう。長引く景気後退の影響で、企業は新卒を中心とした若手採用を控えてきた時期が長い。そのため、大企業を中心に社員の年齢構成がいびつになっている。

特に、バブル世代と言われる40代半ば以降の社員は突出して人数が多く、その世代に見合ったポストが組織の中に圧倒的に不足している。つまり、職位は課長クラスだが、実質的には組織の長ではない、いわば課長付きと呼ばれる中途半端なポストがたくさん生まれているのだ。

ただ、会社によっては、社内の職位が課長付きであっても、対外的には皆、課長だったりもする。実際、組織の長でなくても名刺には「課長」と堂々と刷っている人も珍しくない。

また、当の本人が書く職務経歴書にも、しっかりと「課長」という肩書きが書かれているのである。このように、自己アピールをしたいという思いは誰しも共通であり、肩書きというものは、本来インフレに触れがちな性格のものなのである。

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本来は「役割の説明」でしかない肩書きだが、日本人の多くが役職名で権威や技量の有無を判断しがち

特に大手企業出身者は、辞めた後でも「元〇〇会社出身」と言いたがるものだ。そういう筆者だって、20年前に辞めた大手総合商社の名前を、今でも拝借することがある。その方が相手に対して、自分の素性を一発で説明しやすいというだけであって、本当のところの実力や実績は、もっと踏み込んでアピールしないと相手に伝わるものではない。

世の中は、今や年功序列や終身雇用が崩れ、転職社会が到来し、雇用も不安定である。先行き不安な時代であるし、若者の就職難や中高年の失業問題も深刻である。そんな時代にあって、肩書をことさらアピールしても、それがどれだけの意味があるというのだろうか。

弁護士も公認会計士も、そして医師でさえも、かつては職業としての優位性、いわゆるプレミアム感があったが、今はほとんど失ったといってもいいのではないだろうか。世の中には「社長」の肩書きがあふれているし、語弊を恐れず言うならば、部課長というポストは掃いて捨てるほどある。

「自分は上場企業の部長」だと差別化を図ったところで、それをもって相手を尊敬したり、うらやんだりする風潮はもうほとんどないのではないか。

転職する際に「部長ならできる」と言って失笑を買う話があるが、今、ビジネスマンは肩書よりも専門性、つまり、いわゆる「個人力」が試されている。つまり、所属が大企業であるから、もしくは肩書きがあるからというだけで、優秀さの証明にはまったくなっていないということだ。

「脱・肩書き社会」を作る急先鋒が、エンジニアという職種

今の時代、肩書きはアイコン、もしくはロゴみたいなものである。

要は、相手に自分の特徴を分かりやすく伝えるための目印のようなものといっていい。今の世の中、肩書きで相手をごまかせるほど甘くはない。むしろ、肩書きなど自分で自由に作ってしまってもいいのではないだろうか。もっと「〇〇エンジニア」、「〇〇コンサルタント」が世の中に増えてもいいのではないかと思うがどうだろう。

特にエンジニアであるなら、課長や部長という肩書きに固執することに意味がないことは、経験上理解できるはずだ。エンジニアの優劣は、技術を使って「何ができるか」によって決まる。もし転職するにしても、20代、30代であれば、マーケットで吟味されるのは技術力やプロジェクトをリードする力であって、決して前職でもらった組織上の肩書きではない。

個人的に開発したアプリを世界中の消費者に向けて販売することさえ容易な時代でもある。開発者コミュニティーやSNSを通して、自分の考えていることや、技術的な話題を積極的に発信することで、組織の力を借りなくてもセルフブランディングすることが十分可能になっている。

こうした活動を長期間継続することで、「○○といえばあの人」、「○○分野の第一人者」といった、組織からのお仕着せではない「肩書き」で呼ばれることもあるはずだ。形骸化しつつある常識を壊す「脱・肩書き」の急先鋒が、エンジニアという職種なのだ。

組織で生きる者は、誰しもお役目をもらう時に一緒に肩書きをもらって、それに対して責任を果たすものであったが、今後、ますますポストが不足する時代を迎えて、もうお役目は一方的に与えられるものではないかもしれない。

となれば、自ら自分の役目を作っていく必要があり、そのためにも真の実力とオリジナリティを育むべく、自己鍛錬に励む必要があるだろう。