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「スマホでネット」を超高速にするブラウザアプリ『predio』を開発した、KDDI研究所の突破者たち

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Wi-FiとLTEを同時に使い、それらを足し合わせた速度まで無線通信を高速化する「リンクアグリゲーション技術」。そんな最先端技術が搭載されたAndroid専用ブラウザアプリ『predio』のβ版が、KDDI研究所から2013年9月にリリースされた。

リンクアグリケーション技術を搭載した次世代型ブラウザアプリ『predio

リンクアグリゲーション技術が可能にするのは高速通信だけではない。2つの回線のうち、通信状況の良い回線でより多くのデータを送受信するよう調整し、常に安定した通信を行うこともできる。

「現状、世界的にも同じような研究をしている国は少なく、国内でもここ2~3年の間に学会などで発表が行われるようになってきた」(『predio』開発リーダー渡辺伸吾氏)というこの技術。

最近でこそ注目されるようになってきたものの、KDDI研究所がリンクアグリゲーション技術の基となる研究をスタートしたのは、スマホが登場するより以前の2005年だった。

彼らが、そこまで早い時期に研究を始めたきっかけは何だったのか? それを明らかにすることで、時代を先取りする研究の発想法を探りたい。

実験的なアプローチからリンクアグリゲーション技術が生まれた

(写真左から)『predio』開発にかかわった竹内和則氏、渡辺伸吾氏、藤本貴氏

研究を開始したきっかけについて、アクセスネットワーク部門担当の竹内和則氏はこう振り返る。

「研究を開始した2005年、シャープが発売していた『ザウルス』という携帯情報端末をいじっていたんです。1993年から発売されていたのですが、当時の型はなんとすでに動画再生やネットアクセスが可能でした。ただ、それに見合う速くて安定した無線通信が発達していなかったため、サイトや動画の閲覧に時間が掛かり、ギクシャクして使い勝手が悪かった。

残念なことに、『ザウルス』は広く普及するまでには至りませんでしたが、そんな状況を見て『いつかこうした端末を使うのが当たり前の社会になれば、それに伴ってもっと速くて安定した通信が必要とされるはずだ』と思ったのです」(竹内氏)

そこで、竹内氏は無線通信の高度化を図る「コグニティブ無線」という技術を研究テーマに設定し、2005年から本格的に研究をスタート。

研究チームの実務リーダーとして動いたのは、当時竹内氏の部下で、現在、コグニティブ無線グループの研究主査である藤本貴氏。この研究を3年ほど続ける中で、無線通信特有のある問題の解決法を思い付く。

「コグニティブ無線は、干渉などを避けることで無線通信の効率化、安定化を実現する手段です。しかし、たった一つの無線通信だけ見て、その高度化という視点だけでこの手段を研究していては、従来の無線通信の進化をなぞるだけ。それでは、『使用可能な周波数帯の逼迫』という問題の解決にはならないのです」(藤本氏)

従来、無線通信は「アナログ→デジタル→3G→LTE」と、新しい周波数帯を開拓し、通信速度を向上させることで進化してきた。しかしその一方で、周波数資源には限りがあり、携帯機器の爆発的な普及による「周波数資源の逼迫」という特有の問題を生み出しているのだ。

「だったら、われわれは限られた周波数帯の中で、2つの回線を同時に使い、より効率的に通信を行うシステムを作ろうと考えました。これが、リンクアグリゲーション技術の源となる発想です。研究者として、周囲の流れに身を任せるのではなく、実験的なアプローチで問題解決にチャレンジしました」(藤本氏)

新しい研究への反対意見は“知らん顔”して受け流した

スマートフォンの普及で「ネット接続」する機会が今まで以上に増えたことで、通信の安定と高速化はますます重要に

2つの周波数の無線を同時に使うには、まず、いろいろな場所・状況・時間で電波をどのように組み合わせて使うとうまくいくのかを肌感覚で把握しなくてはならない。そこで、藤本氏が選んだのは泥臭いとも言える方法だった。

「理詰めで考えても解決できない問題が無線通信にはたくさんありました。それを解決するには現場に行って、ひたすらデータを収集するしかない。だから、毎日朝から町中にあるアクセスポイントに行っては、1日中無線測定をしていました。机に張り付いている研究者が多い社内では、浮いていましたね(笑)」(藤本氏)

思うような結果が出ず、悶々とした日々を過ごすことも多かったという藤本氏。しかし、あきらめることなく8年間粘り強く研究を続けた結果、今年『predio』をリリースするに至った。

「藤本が行っていた実地検証を、今度はユーザーと一緒に行うためのツールが『predio』です。リンクアグリゲーション技術を日常的に町中で使った場合に、どのようなことが起こるのかを検証するのが最大の目的。『predio』の使われ方によって、今後のリンクアグリゲーション技術の方向性を見定めていきたいと考えています」(渡辺氏)

実現化へ向けて着実に歩みを進めるリンクアグリゲーション技術だが、研究開始当初は冷たい意見の方が多かったという。

「研究開始のころはauがWi-Fiを扱う前でしたからね。『それでどう儲けるんだ?』と言われたこともありました。でも、そんな時は知らん顔して飄々と研究を続けました(笑)。周りからは、ひねくれものだと思われていたでしょうね」(竹内氏)

ただ、周囲に流されず、研究を長続きさせるには資金面の問題がネックになる。利益が重視される企業研究所ならなおさらだ。リンクアグリゲーション技術は研究当初から総務省の研究予算を得ているというが、支援の理由は何だったのか?

「いくらひねくれた発想だったとしても、将来実現した時に、どんな分野でどのように役立つかをプレゼンできれば、支援者は見つかるんです。コグニティブ無線でいえば、日本の無線通信の発展に寄与できるということを総務省や先生方に理解していただけたので、資金を得ることができた。どれだけ怪しげな発想でも、ビジョンがハッキリしていれば、大成する可能性は高いのではないでしょうか」(竹内氏)

先端技術の研究を続けるためには押さえるべき2つのツボがある

渡辺氏、竹内氏の話から、先駆的な研究を長続きさせるために押さえるべき2つのツボが分かる。

【1】現状の評価に流されない態度を持ち続けることと、【2】技術が秘める将来性を明確化し、支援者とビジョンを共有することだ。

リンクアグリゲーション技術研究チームの場合、2つの先端技術開発における“ツボ”をうまく押さえていたからこそ、基礎研究段階で終わってしまいがちな先端技術の研究を続けることができたのだ。

そんな彼らが思い描く、リンクアグリゲーション技術の未来を聞いてみた。

「この技術が表立って、もてはやされることは望んではいないです。いつの間にかこの技術が普通に使われ、無線通信のスピードが速くなっている――そんな社会にしたいです。今後の展開は企業のマーケティングによりますが、研究者としては1人でも多くの人にこの技術を活用してほしいです」(藤本氏)

今後、リンクアグリゲーション技術が普及すれば、より大容量のデータの送受信が安定して享受できるようになる。通信速度が速くなり安定性が高まれば、モバイル向けコンテンツの幅も広がるだろう。それらの制作に携わる人は、リンクアグリゲーション技術に注目しておくのは無駄ではないはずだ。

KDDI研究所の「志高きひねくれものたち」による、無線通信のイノベーションを楽しみに待とう。

取材・文・撮影/長瀬光弘(東京ピストル