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[連載:西田 宗千佳⑧] 電子書籍フォーマット『EPUB3』で本当に変わるのは何か

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ジャーナリスト・西田 宗千佳のデジMONO先端研
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IT・家電ジャーナリスト
西田 宗千佳

「電気かデジタルが流れるもの全般」を守備範囲に執筆活動を続ける気鋭のフリージャーナリスト。主要日刊紙や経済誌、MONO系雑誌にあまねく寄稿し、書籍の執筆も多数。最近は電子書籍関連の著書が多い。近著は『形なきモノを売る時代-タブレット・スマートフォンが変える勝ち組、負け組』(ビジネスファミ通刊/税込1500円)など

『EPUB3』のスペック確定で、さっそく『Sony Tablet』向け電子書籍などが対応雑誌や絵本を提供と発表

『EPUB3』のスペック確定で、さっそく『Sony Tablet』向け電子書籍などが対応雑誌や絵本を提供と発表したが…

電子書籍の世界で、EPUBが注目されている。

EPUBとは、アメリカの電子書籍標準化団体の一つであるIPDF(International Digital Publishing Forum)が普及を推進しているフォーマットである。今年10月に最新版となる『EPUB3』のスペックが確定したこと、EPUB3では、縦書きやルビ表現を含む日本語の表現にも正式に対応したことなどが、注目されている一つの理由である。

「日本の電子書籍もフォーマットで揉めているらしいし、出版社は国際規格が出てきたからそこに統一しようとしているのかな」

そんな風に思う人が多いだろう。だが、違うのだ。

ネット界隈でもそういった声が多いが、実情はだいぶ異なる。そして、EPUBを巡る事情をしっかり理解しておくことは、現在の「フォーマット」というものの本当の意味と、そこに付随するエンジニアリングの可能性を知るために重要なサンプルともなる。

まず第一に理解しておきたいのは「電子書籍はフォーマットが乱立している」という点が誤解だ、ということだ。

言うまでもなく、電子書籍はノンパッケージ型配信フォーマット。その本質は、内容を記述する「記述フォーマット」と「DRM」に分かれる。一般に「フォーマット」といって思い出されるのは「記述フォーマット」の方であり、EPUB3も記述フォーマットである。

2011年11月時点、日本の多くの電子書籍が.bookを使用したボイジャーのビュワー『T-Time』などを採用する

2011年11月時点、日本の多くの電子書籍が.bookを使用したボイジャーのビュワー『T-Time』などを採用する

だが、記述フォーマットは特に乱立していない。日本では伝統的にシャープ開発の『XMDF』とボイジャー開発の『.book』の2種類が使われている。EPUB3はここに追加されることになる。

ここで思い出してほしいのが、昨今の音楽プレイヤーである。10年前の音楽プレイヤーは、対応する音楽ファイル形式に制限が大きく、主要な形式であっても聴けないプレイヤーが存在した。だが今は、MP3やAACといった主要形式は、ほとんどのプレイヤーが対応している。根っこがコンピュータなのだから、コーデックさえ組み込めば複数のフォーマットに対応した機器を作るのは難しくない。

同様に、現在の電子書籍専用端末・電子書籍ビュワーは、内部的に複数の記述フォーマットに対応しているため、どの形式にも対応できる。EPUB3に対応、という話も、ここにEPUB3用のビュワーを追加する、という話に過ぎない。

規格のオープンさが生む新ビジネスのチャンス

現在、電子書籍サービスの間に互換性がないのは、「DRM」によってくるまれた「配信フォーマット」に互換性がないからである。こちらについては、世界的に統一されておらず、日本だけの現象ではない。

From  kodomut Kindleを提供するAmazonは、DRMも記述フォーマットも独自のものを採用している

From kodomut

Kindleを提供するAmazonは、DRMも記述フォーマットも独自のものを採用している

そもそも、アメリカで支配的な立場にあるAmazon自身が独自のDRMだ。それどころかAmazonの場合、記述フォーマットにすら独自形式を採用している。それでも非難されづらいのは、1社で使いやすいサービスを提供し、大きなシェアを持っているからである。

EPUB3は、短期的にはフォーマット統一の役割を果たすわけでもないし、その内容を見ても、EPUB3でないと絶対にできないことがある、というわけではない。

ではなぜ注目されるのか? 理由は「1社で作るものではない」、「オープンであるから」だ。

誤解のないように言っておきたいが、『XMDF』や『.book』はシャープやボイジャーが策定したフォーマットではあるが、それをもって彼らがライセンス料ビジネスで大きく儲けようとしていた、というわけではない。両社から情報の開示を受ければ簡単に利用できるもので、フォーマットを使うことそのものに大きな負担はない。

しかし、それで電子書籍を作るための「ワークフロー」を独自に構築していこうと思うと、いろいろと問題も生じてくる。もっとも大きいのは、詳細を詰めようとした場合、やはりシャープやボイジャーの手を借りないといけない、という点だ。彼らのリソースは無限ではない。たくさんの企業から要求が集中すると、どうしても動きが遅くなる。

自社内で電子書籍作成のワークフローを作りたいと考える大手出版社や、この時期を新ビジネスのチャンスと考える編集プロダクション・ソフトメーカーなどにとって、ある意味スピードと自由度は命。規格の中身がオープンになっていて、自らの責任において技術開発を進められるEPUB3のような規格は、「よりありがたい」存在なのだ。

また、より規模の大きなソフトウエアとして、電子書籍の記述フォーマットを解釈して表示するビュワーについても、開発自由度が上がる。これまではシャープやボイジャーと共同開発が必須で、どのメーカーも共通のソフトウエア・コンポーネントを利用することが基本であったため、品質や動作速度を大きく変えるのが難しかった。またここでも、協力に伴うスピード感の問題も出てくる。製品差別化のためにビュワーの改良を考える企業にとっては、オープンな規格の方が望ましい。

「走りながらすり合わせる」発想で新たな価値を生む 

そもそもEPUB3は、大幅にWeb標準技術を取り込んだフォーマットでもある。内部は実質的にHTML5とCSS3に依存している。Web技術に強い企業・エンジニアの場合、従来よりもずっと与しやすい。

他方、EPUB3がWeb標準に近い技術であるということは、これまでの電子書籍フォーマットとは違う問題も発生する。

記述がきちんと定まった他のフォーマットと違い、EPUBは解釈に幅が生まれやすい。フォーマットに加え、どの記述ルールでどの表記を実現し、タグをどのように使うべきかという運用ルールを定める場合が多い。アメリカでEPUBを利用しているソニーやバーンズ&ノーブルも、実際には規格+運用ルールという形で活用している。これはある意味、ルールが二重に存在しているようなもの。誰が運用ルールを定めるのか、という問題もある。

アップルの電子書籍ストア『iBookStore』では、『EPUB2』に自社の独自拡張を加えて利用している

アップルの電子書籍ストア『iBookStore』では、EPUB2にアップル独自の拡張を加えて利用している

また、HTML5とCSS3はまだ正式に定まった規格ではないため、それに引きずられ、EPUB3の中身も揺れることになる。独自拡張が生まれやすいのも問題だ。

アップルはEPUB2に自社独自拡張を加え、同社の電子書籍ストア『iBookStore』で利用している。国内でも「実際には、独自拡張を少しずつ行ってすり合わせていくことになるのでは」と語る出版関係者もいる。結果、スタンダードの姿はどうしてもぼやけてくる。

ビュワーについても同様だ。Web技術がベースであるため、EPUB3のビュワーはWebKitをコアに作られることが多い。しかし、ある企業でビュワー開発を担当する技術者は、「オープンソースで公開されるWebKitと、アップルやグーグルが現在使っているものは違う。快適なものを作ろうとすると、自らWebKitに手を入れて、改良をしていかなければならない」と苦労を語る。標準を理解した上で、自らが求めるものに向けて改良していかないと、差別化は難しい。

裏を返せば、Webの世界では一般的な「走りながらすり合わせる」という話ではある。Webの世界で培ったノウハウをほかに転用し、新たな価値を生み出すチャンスが生まれつつある、とも言えそうだ。

撮影/芳地博之(人物のみ)