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[連載:小松俊明③] グリー「新卒の年収最大1500万円」ニュースで考える、僕らの年収とは一体何なのか

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キャリアコンサルタント・小松俊明の「最新ニュースから読み解くキャリアの未来」

リクルーターズ株式会社 代表取締役
小松俊明 [@headhunterjp]

住友商事、外資コンサルティング会社を経て独立。エンジニアのキャリア、転職事情に詳しい。『転職の青本』、『役に立つMBA、役に立たないMBA』、『デキる部下は報告しない』ほか著書多数。海外在住12年、国内外で2回の起業を経験した異色の経歴。慶應義塾大学法学部卒業。オールアバウトでは転職のノウハウのガイドを務める。転職活動応援サイトが好評

先般、ソーシャルゲーム大手のグリーが2013年度の新卒採用の方針を発表したが、実績と能力に応じて優秀な新卒学生には最大1500万円の年収を払う用意があるという。このニュース、最近の数あるニュースの中でも最も世の中に「誤解」を与えたニュースの一つではなかっただろうか。

今回はこのニュースに注目しつつ、誰しも関心が高い「年収の決まり方」について考察を加えることにしょう。

グリー株式会社の2013年新卒採用ホームページはコチラ

グリー株式会社の2013年新卒採用ホームページはコチラ

ニュース自体は「新卒に1500万円も払う」という部分がクローズアップされたため、多くの人はショッキングなニュースと受け止め、懐疑的な感情を含めた複雑な思いでこれを解釈(そして誤解)した人が多かったかもしれない。

だが、募集要項が次のようなくだりで始まっているところは、正確に伝わっていただろうか。まずはここから注目したいと思う。以下、グリーのホームページの記載を、そのまま正確に転載することにする。

「インターネット業界は、年齢に関係なく、学生時代から高い能力を保有し、

素晴らしい実績を出されている方が世界にたくさんいらっしゃいます。」

つまり、新卒とはいっても、グリーが評価しようとしているのはただ「大学を2013年度に卒業する前途洋々な若者」という部分ではなく、むしろそれまでの間に本人がビジネスやサービス開発の世界(もしくはビジネスにつながる世界)で「輝かしい実績」を持っていることを評価しようということなのである。ここが最大のポイントである。

人材登用の本質は、事業判断としての「投資」である

多くの新卒学生というのは、アルバイト経験や、多少のインターンシップの経験はあったにせよ、いわゆるビジネスの実績を持っている人はほとんど皆無であり、むしろ勉学や部活動に励んできたこと、そしてコミュニケーション能力や本人の性格など、今後のポテンシャルを評価されて会社の内定を獲得するのが常である。

技術職で考えても、個人でアプリやWebサービスを開発したり、大学のゼミで何かしらを開発したことがある人だとしても、それらの実績はポテンシャルの一つとして見られるわけだ。

これまでの就活の採用判断は、多くが「ポテンシャル」と呼ばれるもので行われてきたが、今後は......

これまでの就活の採用判断は、多くが「ポテンシャル」と呼ばれるもので行われてきたが、今後は……

学歴の高い大学が好まれたのは、本人の「処理能力の高さ」であり、少し極端な言い方をすれば、人気企業ほど処理能力の高い高学歴の学生を集めているとも言える。

もちろん、そうした採用をグリーがしないというわけでもないだろう。むしろ、大半は他企業と同様の新卒採用をするに違いない(年収の下限は420万円相当と言うのだから、他業界と比べても、給与水準が決して高過ぎる感はない)。

年収の上限値として挙げた1500万円というのは、一部大手企業の部長クラスにも匹敵するような驚くべき数字である。しかし、そのようは金額が本当に提示される若者だとしたら、それは学生にもかかわらず、すでに何らかの形でビジネス社会において、その年収の5倍も10倍にも至るだけの価値創造をしてきた実績があるはずである。

仮に売り上げには転換されていなかったとしても、本人が身に付けた特定分野の技術は、少なくても提示年収の5倍、10倍、もしくは何百倍にもなって近い将来還元されるだけの可能性を秘めていることを、おそらくグリーは冷静に見極めたいと考え、その上で人材に対して「積極投資」をしようという感覚ではないだろうか。

つまるところ、人材の登用は事業判断としての「投資」であり、何年働いてくれたから管理職にしよう、給料を上げようという「我慢比べ」の成果として年収があるのではないという、明確な意思表示ではないだろうか。

80年代のソニー「学歴無用」採用は結局どうなったか?

建前として実力主義、成果主義を謳う会社は多数あるが、内実は終身雇用の名残を多くの会社が残しており、給与体系も年齢と社歴で給与体系が組まれている現実がある。そして多くの働く人々は、その現実に疑問を持ちながらも受け入れざるを得ず、年収を上げるためには転職するしかないという考え方に発展するケースもある。

さて、ここで少し別の角度から「年収のあり方」について考えてみよう。そこで思い出すのは一昔前(1980年代後半)、ソニーの創業者である盛田昭夫氏がご本人の「学歴無用論」を著書にまとめられたことである。

当時大学に入学したばかりだったわたしは、「スゴイことを言う大人が現れた」と、ある意味意気に感じたことを記憶している。当時、その論調はかなり先進的な意見と取られていたようで、実際に学歴を問わない採用に踏み切った会社は少なかったように記憶している。

では、この話の顛末はどうなったのか、現代に生きる読者の皆さんに共有しておくことにしよう。

わたし自身の就活がほぼ同時期に重なるので、その事例を使って説明したい。わたしは90年代初頭、バブル崩壊と同時に大学を卒業して就職をした。社会の現実は学歴無用どころか、特に大手企業の採用実績は軒並み、東大・慶応・早稲田を筆頭とした、偏ったブランド大学からの採用だった。わたしが入った総合商社でも、この3大学だけで、当時総合職と呼ばれた正社員(ほぼ全員男性のみ)総数の3分の1に達していたような印象がある。学歴無用どころか、完全なる学歴偏重である。

ただこれは、学生の人気ランキングに入るような会社の多くに共通した現象であった。そうしたこともあってか、同じく人気企業の一角であったソニーの「学歴無用」というメッセージは、いろいろな議論を呼んだわけだ。

現実の採用の現場はどうだったかというと、当時ソニーの入社試験に挑戦した人たちによれば、確かに学歴を選考時に書かせられなかったそうだ。しかしである。その年にソニーが実際に採用した学生たちの大学別構成比率は、「学歴無用論」を打ち出す前とほとんど変化がなかったという。

何とも皮肉な結果であるが、当時のソニーの幹部の反論もメディアでずいぶん取り上げられていた。総じて言われていたことは、「自由競争の結果、このような結果になった」という論調が主流だったように思う。

確かに選考時に大学名は書かせなかったが、面接官が面接の中でそれとなく大学を探るような質問をしたり、ブランド大学出身の大学生にも、それとなく出身大学を示唆するような発言をする者も多かったということが、当時はメディアで報じられていた。

それらの真偽を確認するすべは、今やもうない。ただ、少なくとも社会全体として学歴無用論が主流になったとは言えないことだけは確かである。その後の歴史を見ても、それは明らかだろう。

本来は技術職こそ数値目標の達成度で給与が決まるべき!?

さて、グリーの新卒社員に上限1500万円払うという話に戻るが、年収のあり方について、シンプルに考えてみれば、その人のおかげで1億5千万円の売り上げが見込めるのだとすれば、その売り上げのうち10%を給料で払ったとしても、会社としては大きな黒字である。

世の中には、こうしたシンプルな法則で収入を得ている人は意外に多い。

例えば売り上げに連動して給料が決まる営業職がその良い例である。不動産営業、生保営業、人材ビジネスなどはその代表格であろう。

では技術職の場合は、どうだろうか。営業とは意味が異なるが、実は技術職ほど数値目標に日々追われている職業はないのではないだろうか。何もかもがデータで数値化されて管理され、ごまかしが利かないミクロな世界が技術職の特徴なのである。

つまり、本来は営業職以上に技術職の方が数値目標の達成度を給与に反映しても良いのかもしれない。

以前、自分の研究の結果で取得した特許が生み出した会社への利益が、社員本人の給与に反映されていないことを不服として、会社を相手に訴訟を起こした技術者がいた。同様の不満や悩みは、今も根強く技術の現場には残っていると思われる。

このように、給料に「歩合的な要素」、そして「成功報酬的な要素」をもっと鮮明に盛り込むことができれば、環境の変化による給料の上下があったとしても、多くの人が自らの待遇に対してもっと納得できるのではないだろうか。

ビジネスには、個人の貢献度だけではいかんともしがたい要素が働くこともある。それゆえ、社員の給料は個人の貢献度以外にも、会社の業績に連動して決まるよう設計されていることが多い。よって、事業環境の悪化により売り上げが3割減になったこととしたら、高給取りであればあるほど、年収を2分の1以下の水準に是正するくらいの措置を会社は取るべきとも考えられる。

つまり、年収1500万円の仕事は存在してもいいが、その運用の仕方としては、会社としては業績次第で大きく変わる可能性がある「ハイリスク・ハイリターンな仕事」という位置付けでとらえておくのが良いのではないだろうか。

ゴールドマンサックスをはじめ、一部の外資金融が膨大なボーナスを新卒や若手社員にも払っていたというニュースが、社会をにぎわしたこともあったが、その多くは「成功報酬」であり、業績に連動した分配法則に沿ったものである。金融ショック以降から今まで、そうした外資金融マンの処遇がどう変化していったか、それは想像に難くない。

年収に柔軟性があることは、事業運営にとって健全な経営である。儲かったら、社員で分かち合うという経営方針は、社員のモチベーションも上げるだろう。その逆に業績が悪化したら、その分給料は大きく下がるというロジックは実は分かりやすい。

もちろん不公平な人事があったり、既得権を守ろうとする抵抗戦力、そして情報を秘匿する人々が存在するなど、現実はそうきれいごとではいかないかもしれない。

少しでもこうした状況を改善するためには、やはり数値目標を明確にすること、仕事の役割分担を決めること、評価をブラックボックス化しないことが大切である。米国大統領の任期のように役職定年のルールも必要である。会社の権力者が会社のルールを変えてまで、長年権力の座に残るようなことをしてしまえば、果たしてその会社はどこに向かうのだろうか。

自分の年収とは、「仕事に対する対価」である。このことを労使ともに、深く掘り下げて考え、できれば企業経営、人材登用に反映してほしいものである。個人のエンジニアも同じであり、会社貢献を数値化して、それを常にアピールしながら会社生活を送り、いつも自分の見識とスキルアップに取り組んでおく必要がある。