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[連載:世良耕太③] モータースポーツの最高峰F1が認めた日の丸エンジニア・徳永直紀「挑戦の12年間」

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F1ジャーナリスト世良耕太の自動車開発探訪

F1・自動車ジャーナリスト
世良耕太(せら・こうた)

モータリングライター&エディター。出版社勤務後、独立し、モータースポーツを中心に取材を行う。主な寄稿誌は『Motor Fan illustrated』(三栄書房)、『グランプリトクシュウ』(ソニーマガジンズ)、『オートスポーツ』(イデア)。近編著に『F1のテクノロジー3』(三栄書房/1680円)、オーディオブック『F1ジャーナリスト世良耕太の知られざるF1 Part1』(オトバンク/500円)など

F1界の名プレーヤーとして知られるロータス・ルノーGP。その根幹を成す部分に、ある日本人技術者が携わる

From  Lotus Renault GP

F1界の名プレーヤーとして知られるロータス・ルノーGP。その根幹を成す部分に、ある日本人技術者が携わる

2011年のF1世界選手権には、12チームが参戦している。規模はさまざまだが、コスト削減の流れを受けて縮小傾向にあり、セカンドグループに位置するロータス・ルノーGP(2010年のコンストラクターズ選手権5位)では320名前後のスタッフを抱える。

現在のF1チームは、開発費用とスタッフの人数を規制するリソース・リストリクション・アグリーメント(リソース削減協定:RRA)という取り決めのもとに運営されている。スタッフの人数に対して年間予算の割り当てを決めるのが基本だが、人を減らせばその分予算を増額できる仕組みだ。

人を増やして内製した方が良いのか、人を減らして外注した方が得なのか、チームの身の丈に合った最適なオペレーティングポイントを探るのも、成績上位を狙う上で欠かせない戦略的な業務である。

ロータス・ルノーGPでその重要な任務を遂行しているのが、デピュティ・テクニカル・ディレクター(Deputy Technical Director)の徳永直紀氏(1966年生まれ)だ。簡単に言えば、技術部門のナンバー2。テクニカルディレクターのジェームス・アリソン氏を補佐する立場だが、「中長期的にチームが競争力を維持できる開発をしていくために、組織をどう運営したらいいか」に関しては、全面的に責任を負う立場にある。

「社内ではいくつものプロジェクトが並行して進んでいますが、どのプロジェクトにどれくらいリソースを分配すれば良いのか。あるいは、開発の機能に分配するのか、製造の機能に分配するのか、というようなことをやっています」(徳永氏)

F1チームは、目の前のシーズンを戦いながら、次の年を見据えた開発を並行して行わなければならない。次の年に上位を狙うためには、早い段階でリソースをそちらに振り向けたいところだが、振り向け過ぎては目の前の開発がおろそかになり、途端に現行マシンが競争力を失ってしまう。

日進週歩で進化するF1界にあって、停滞は後退と同義だ。進行中のシーズンと翌年のシーズン、さらにその先……。どのタイミングでどれだけのリソースを振り向けるかも戦略的には重要で、それも徳永氏の役割である。

「日産の林さん」との出会いが夢の扉を開く

「いつかはF1をやりたい」という気持ちを抱いていた徳永氏は、中央大学理工学部で「電気」を専攻した。

「本当は機械の方が好きなので、途中でやり直そうと思ったのですが、早く実践の場で仕事をしたかったので、電気のまま続けました。機械のディグリーは持っていませんが、講義は受けています」

From navets 徳永氏が持つ技術力の基礎を作ったのは、長年モータースポーツ界で一目置かれてきた日産自動車が持つ伝統と英知だ

From navets

徳永氏の基礎を作ったのは、長年モータースポーツ界で一目置かれてきた日産自動車が持つ伝統と英知だ

1989年に卒業し、モータースポーツをやるために日産自動車に入社する。大学の研究室にたまたま来ていた日産のリクルーターと会話を交わしたのが、きっかけだった。

「わたしは量産車ではなくモータースポーツをやりたいと主張し、暗に誘いを断ったつもりだったのですが、『それなら林さんという有名な人がいるから一度会ってみなさい』ということになりました」

「林さん」とは現・東海大学教授の林義正氏のことで、当時は日産でレースエンジン開発の総責任者を務めていた。エンジンではなくシャシーに興味があった徳永氏は、林氏を前にその旨を伝えると、「エンジン開発には機械力学、熱力学、材料力学などなど、力学の要素がすべて詰め込まれている。エンジンを勉強してからシャシーをやっても遅くはない」と説得され、教えを請うことになった。

「今思うと、本当に林さんのおっしゃった通りだった」と徳永氏は振り返る。「日産に入って良かったですね。仕事のやり方や、エンジニアとしての判断のプロセスなどを学びました。今では良い財産になっています」

モータースポーツの基礎を学んだ徳永氏は、その後、量産車部門でサスペンション設計や操安性能計画に携わると、再びレース部門に戻り、量産車部門で培った経験を活かしてレース車両のサスペンション設計を行ったりした。

日産とルノーがアライアンスを組んだ1999年、入社11年目の徳永氏に転機が訪れた。ルノーが、エンジンと車体を共に開発・製造するフルワークス体制でF1に復帰するという情報が入ってきたのである。やりたかったF1に飛び込むチャンスだった。

「日産は面白い会社で、『行かせてほしい』と言ったらすんなり受け入れてくれました」

“制御の匠”の秘密を探ろうと、競合チームのエンジニアも注目

ビークルダイナミクス・エンジニアとしてルノーF1チーム(現ロータス・ルノーGPの前身)の一員となった徳永氏は、日産のモータースポーツ部門、量産車部門で身につけた技術を活かし、操安性計画を担当した。2001年のシーズン途中でローンチコントロール(スタート時の自動発進制御)の使用が解禁されると、徳永氏の活躍の場が広がった。

「制御というと『電気』と思われる方が多いと思うのですが、わたしはそうは思っていません。ギヤの制御、駆動系の制御、すべての制御はクルマのダイナミクスをどうしたいかという発想でやるべきで、電気の専門家の発想でやるべきではない。制御則は物理モデルにしたがって組むべきです」

ロータス・ルノーGPのオフィス。最初は徳永氏のやり方に疑問を呈する技術者もいたが、結果を出すことで信頼を得た

From Lotus Renault GP

ロータス・ルノーGPのオフィス。最初は徳永氏のやり方に疑問を呈する技術者もいたが、結果を出すことで信頼を得た

徳永氏のやり方に、チーム内で反発もあったという。だが、「うまくいくと、耳を傾けてくれるようになる。そのあたり、こっち(ヨーロッパ)で働く人たちはフェアです」。

2002年、ルノーF1チームはダイナミクスの専門家とソフトウエアの専門家を集めた「コントロールシステム」の部署を立ち上げ、徳永氏を責任者に据えた。ローンチコントロールでの実績が認められた格好だ。ローンチコントロールは2003年限りで禁止されるのだが、2004年以降はマニュアル制御を最適化し、自動制御に近い俊敏な動きを作り出してみせた。

ルノーF1チームは2005年、06年と2年連続でコンストラクターズチャンピオンシップを獲得するが、強さの原動力はスタートダッシュにあった。合同テストの現場では、速さの秘密を探ろうと、競合チームのエンジニアの目や集音マイクがルノーのマシンに向けられた。

「ローンチコントロールで良いものを作ったら禁止。マニュアルスタートでローンチコントロールと遜色のない制御を作ったら、標準ECUが導入(2008年)されて、使えなくなりました。2009年にKERS(運動エネルギー回生システム)をやったら1年で使えなくなる始末(2011年に再導入)。使えなくなると知った直後はガッカリしますが、それがF1。失った分を取り戻すためには次の手をどんどん打たなければならず、むしろ、それが楽しい」

自ら手を動かして開発に携わるエンジニアではなく、マネジメント色の濃いポジションに就いた徳永氏。技術部門のナンバー2という地位に昇り詰めたのは、制御で数々の実績を残したからだ。現在は組織面の中長期的な戦略を練るだけでなく、ルノー・スポール(ルノーのレース部門)の一員として、2014年に導入される新しい技術規則策定のコンサルタントも行っている。F1のフォーマットを決める数少ない人間の一人、というわけだ。