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名刺管理クラウド『Sansan』をビジネスインフラに成長させた、「SE的価値観からの脱却」とは

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デジタル化の波は、ビジネス現場の風景を大きく変えた。FAXや郵送といったレガシーな連絡手段を使う機会は減り、代わりに、メール、インスタントメッセンジャー、ビデオチャットなどの新しいツールが主役の座についた。

一方で、アナログなままのビジネスツールもある。それが、「名刺」だ。これだけデジタル化が進んだ現在でも、多くのビジネスパーソンは初対面の人と、名前や社名が書かれた紙片を交換している。

紙の名刺には、「検索性が低い」、「デジタルと連携できない」といった弱点がある。にもかかわらず、いまだに使い続けられているのはなぜか? それは、紙の名刺を上回るデジタルサービスが、今まで登場していなかったからだろう。

数ある名刺のデジタル化サービスの中で、抜きん出ている『Sansan』

数ある名刺のデジタル化サービスの中で、抜きん出ている『Sansan

ところが、こうした状況は変わりつつある。名刺のデジタル化サービスにも、「デファクトスタンダード」と呼べる存在が登場しているのだ。

それが、名刺共有管理サービス『Sansan』である。

導入企業数は取材時点で約2000社近く。個人向けの名刺管理アプリとして知られている『Eight』は、『Sansan』で培ったノウハウを元にコンシューマ向けに開発されたものだ。

開発元であるSansan株式会社の開発部部長・藤倉成太氏と、エンジニアの渋木宏明氏に話を聞くと、『Sansan』をビジネスインフラたらしめたのは、開発チームが「SE的価値観からの脱却」に成功したからだという。

『Sansan』の開発メンバーは、藤倉氏、渋木氏を含むそのほとんどがSIerでの開発を経験しており、大規模Webサービスを開発する環境としては珍しく.NET環境で構築されている。

SEだった彼らが見直した「SE的価値観」とはいったい何なのか、2人の言葉から紐解いていく。

「文化のデジタル化」で必要なのは精度9割の技術より100%の確実さ

(写真左から)Sansan株式会社開発部部長の藤倉成太氏、エンジニアの渋木宏明氏

(写真左から)Sansan株式会社開発部部長の藤倉成太氏、エンジニアの渋木宏明氏

―― まずは、『Sansan』の概要について教えてください。

藤倉 『Sansan』は、紙の名刺をデジタル化して組織で共有するサービスです。ユーザーがスキャンした名刺を、当社のオペレーターが人力で入力。そのデータをクラウド上で個々のユーザー企業内で共有し、顧客管理やマーケティングなどに活かすことができます。導入社数も2000社を目前に控え、ビジネス上の“インフラ”となりつつあるのではないかと考えています。

―― 「名刺交換」をデジタルで置き換える試みは、過去にもいろいろとありましたが、どれもビジネスシーンには「根付いて」はいません。

藤倉 はい。ガラケー時代なら赤外線、最近なら『AirDrop』など、連絡先を交換するツールは今までいくつも登場しています。ただ、これらは間違いなくうまくいかないビジネスモデルだと思っていました。

―― なぜですか?

藤倉 紙の名刺って、「文化の一部」だと思うんですよ。ネクタイなんかと同じ。日本にも、「ネクタイなんてなくそうぜ」と主張する人はいますよね。でも、今でもネクタイをしているビジネスパーソンは多いし、今後も完全に廃れるとは思えません。なぜなら、ビジネスにしっかり根を下ろした「文化」だからです。

渋木 『Poken』(人形同士をハイタッチさせて連絡先を交換するガジェット)なんかも、一瞬流行ったけど、結局使われなくなりましたよね。小さいベンチャー企業がどんなに声をあげても、「文化」そのものを変えるのは難しい。今後も、紙の名刺は使われ続けると思います。

―― 名刺をデジタル化するサービスも、『Sansan』以外にいくつかあります。でも、話題にはなっても、ビジネスとして拡大するところまではいきませんね。

どうしても100%に達せないOCRのチューニングで、エンジニアリングの限界を感じたという藤倉氏

どうしても100%に達せないOCRのチューニングで、エンジニアリングの限界を感じたという藤倉氏

藤倉 紙に書かれていることをデジタルに変えるのって、相当しんどいんですよ。当社でも、名刺をデジタル化する際にOCRや画像比較エンジンを併用しています。ただ、どんなにチューニングを頑張っても、精度は92%くらいまでしか上げられないんです。

渋木 その数字も、限られたフォントのアルファベットと数字だけが使われた場合ですからね。漢字やかなが混じった日本語では、精度はさらに低くなってしまう。

藤倉 お客さまからすれば、「精度9割」でデジタル化された名刺データなんて役に立ちません。できるだけ安いコストで、100%正確なデータを作成する。そこをクリアできないと、インフラにはなり得ないと思うんです。

100%の精度のためにOCRの改善より人力での入力補助を優先

―― コストを下げつつ正確なデータを作成するために、どんなことをされたんですか?

藤倉 名刺の正確なデータ化には、オペレータによる手入力が不可欠です。そのため、社内には最大で40人ほどのオペレータがいます。ただ、名刺1枚当たりのデジタル化コストを下げなければ、ビジネスとしては成り立ちません。そこで、入力スピードや正誤率の優秀者を表彰するなどして、オペレータのやる気を引き出しました。また、「この場面では、このショートカットキーを使う方が2秒早くなる」など、地道な改善作業を積み重ねていったんです。

―― OCRなどの精度を高めて、正確なデータを作るという発想にはならなかったのですか?

藤倉 もちろん考えました。僕らはエンジニアなので(笑)。僕は前職のSIerで研究開発を担当し、シリコンバレーに勤務した経験から腕に覚えもありました。そのため、今の会社に転職した直後は技術を磨いて精度を高めたいという思いは当然ありました。でも、当社はビジネス観点に強い会社。社内から「それって、ユーザーに受け入れられるの?」というツッコミが入ったんです。

渋木 一生懸命頑張って、精度が92%から93%に上がったとします。エンジニアは大喜びでしょうね。でも、ビジネス的にはどちらも五十歩百歩でダメなんです。

藤倉 どんなに頑張っても、技術で100%の精度を実現するのは無理。だったら、人海戦術でもいいから100%を目指そう。そう考えて、パラダイムを180度転換したんです。これ、エンジニアとしては結構ショックでしたよ。当初は、「え、人力で入力するの?!」って思いました(笑)。でも、顧客視点に立てば、その方がいいと割り切ったんです。

―― 開発チームの皆さんは、どんな作業をしていたんですか?

藤倉 一番力を入れていたのは、オペレータによる入力システムを整備することでした。また、タッチパネル式スキャナのアプリケーションも開発しましたね。一方、最初のころは、OCRと画像比較エンジンについては外部のライブラリを持ってくるくらいでした。ただ、開発元のベンダーと提携して、徐々にチューニングを進めました。

―― 各作業はチームごとに割り振って進めていたんでしょうか?

藤倉 いや、あえてきっちりしたチームは作りませんでした。

約20人という大所帯でも、開発チームがきちんとかみ合っていることに驚いたという渋木氏

約20人という大所帯でも、開発チームがきちんとかみ合っていることに驚いたという渋木氏

渋木 現在の開発スタッフは、約20人。でも、大所帯の割にはフラットですよね。ツリー構造じゃないんだなというのが、入社(編集部注…渋木氏は前職『gloops』から、2014年3月1日に入社)直後の印象でした。

前の職場では、1タイトルあたりの開発担当者はせいぜい5人ほどでした。だから、20人というのはかなり大きなチームだと感じました。その割には、うまく回っているなぁと。

藤倉 組織の中に何層もヒエラルキーを作ったり、チームの壁を高くしたりすると、情報共有に時間差やフィルターができ、ユーザーである営業の方の声が各エンジニアに伝わりづらくなっちゃいます。ローンチ直後の開発メンバーは5人。フラットな環境で常に情報共有ができている、そのころのような雰囲気を、できるだけ残したいとは考えていますね。

渋木 突発的な障害などが発生すると、誰かが指示するでもなく、その問題を解決できそうな人が自然発生的に集まって解決しますよね。あれは、当社ならではの特徴かもしれません。