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「あえて契約獲得をゴールにしない」アプリ戦略で潜在顧客にリーチするソニー損保の狙い【特集:スマホが企業を救う】

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直面する課題を解決する方法は1つとは限らないが、複数の課題を魔法のように解決できる方法はない。そのことに気付かせてくれるのが、ソニー損害保険(以下、ソニー損保)が採ったスマートフォンアプリの開発戦略だ。

一般的に損害保険会社の場合、顧客との接点は契約時と更新時 、そして事故発生時に限られている。顧客とのコミュニケーションを密にすることで契約者を囲い込んだり、1件でも多くの新規契約を獲得したりしたい保険会社にとって、利用者が拡大し続けるスマートフォンに、課題解決のチャンスを見出したとしても不思議ではないだろう。

しかし、ソニー損保が提供する2つのアプリは、契約者限定でも、新規顧客獲得を前面に押し出すサービスでもない。

「保険以外でユーザーとつながりたい」を目的にアプリ開発

(写真左から)ウェブサイト企画部長の片岡伸浩氏と、ダイレクトマーケティング部・ペイドメディアマーケティング課長の大竹弘通氏

「もしもの事故時に、落ち着いて対処していただけるよう開発したのが『トラブルナビ』。さらに自分の運転の“クセを見える化”し、安全でエコなドライブを体感していただくために作ったのが『ドライバーズナビ』です。

どちらも一部の機能を除き、アプリの利用をご契約者に限定していません。それはわれわれのノウハウで事故を未然に防げたり、もし事故を起こした場合でも落ち着いて対処いただけたりするようになれば、社会のために役立つと判断したからです。

業界に先駆け、先進的な取り組みをするのがわれわれソニーグループの使命。スマートフォンにおいてもソニーブランドのイメージを高めるサービスを提供したいと考えました」

そう語るのは、ソニー損保でウェブサイト企画部長を務める片岡伸浩氏。2つのアプリの企画からかかわった人物だ。

片岡氏とともに企画・開発に携わったダイレクトマーケティング部の大竹弘通氏も、こうした開発方針を採った理由をマーケティングの立場から解説する。

「もちろん企業ですから、開発に伴う費用はどこかで回収しなければなりません。しかし、一利用者として考えれば、トラブルに直面した際にあわてて開いた事故対応マニュアルの隣に自動車保険の“見積りボタン”があればイヤな気分になるのは明白です。それに、事故から守るべきはわれわれのご契約者だけではなく、クルマを運転するすべての人であるはず。まずはわれわれのアプリを広く皆さんに使っていただくことで、保険商品以外のところでソニー損保と接点を持っていただく機会を作ることができれば、マーケティング的にも有効だと判断しました」(大竹氏)

アプリのアイコンデザインやアプリ内のユーザーインターフェイス(UI)に極力ソニー損保の社名やロゴの印象を排除したのは、そうした意図があってのことだ。

「“新しさ”や“かっこよさ”というような見た目からくる印象は、特定のカテゴリーに属する人にアピールする上では重要ですが、今回われわれが作りたかったのは『誰でも使えるアプリ』。だからこそ、機能については必要最低限に絞り込み、われわれの社名やロゴを含め、UIやデザインに特定の“色”を付けないよう配慮しました」(大竹氏)

しかし、社内ではこうした開発アプローチに疑問の 声もあった。

「当初は、こうしたCSR的なアプローチを採るのであれは、あまりダウンロード数は見込めないだろうと考える関係者もいました。広告代理店の方からは、『アプリ内にゲームなどのエンタメ系コンテンツを入れてみては?』と提案する声もあったんです。しかし、そうした声に耳を傾けては、本来目指したものは実現できなくなります。いわゆる外野の声は退け、ユーザーが本当に必要とするものだけを載せた有用なアプリを提供することだけにこだわりました」(片岡氏)

2011年4月に登場した『トラブルナビ』と、これに続く8月にリリースした『ドライバーズナビ』をあわせ、現在ダウンロード数は約20万。マーケティングとしては一定の成功を収めているといっていいだろう。

現場を知るからこそ作れる、トラブル時にも迷わないUIデザイン

インタビュー中に度々出てくる「ユーザー目線」という言葉。言うのはたやすいが、実際のアプリ開発ではどんなところに組み込まれたのだろうか。

「文字や写真、音声でも事故状況を記録できるようにしたり、簡単な質問を選択することで事故後に取るべき行動を分かりやすくナビゲートできるようにしたりと、とにかくパニックに陥った状態でも使えるようなUIデザインを心掛けました」

トラブルが起きてパニックになっても操作できるシンプルさを徹底的に追及したというUIデザイン

アプリを実際に使ってみると、一見何でもない質問内容や選択肢の提示の仕方にも、細かさや、分かりやすさに重点を置いて設計されているのが分かる。

そうした細やかな気配りができる背景には、「 事故やトラブル時にお客さまをサポートする現場である事故対応部門での経験が活きているから」だと話す。

「ジョブローテーションを通して、事故対応部門でお客さまと直接コミュニケーションを図っていた経験のある社員が、アプリの企画・開発をする部門にいます。 その社員の事故対応部門での経験があるから、電話口のお客さまがどういう状態にあるか、どのように誘導すればスムーズに事故に対処できるかが分かるのです。

この経験をもとに、アプリを通じて1分1秒でも早いロードサービスの到着や事故の解決を心掛けています。わたしたちの提供するアプリには、こうした損保のプロにしか知り得ない緻密なノウハウが凝縮されているんです」(大竹氏)

「例えば、口頭やメッセージで『あと30分でロードサービスが到着する』とお伝えしても、事故後の不安定な精神状態では、その30分が必要以上に長く感じられるものです。『ロードサービスがマップ上でどこまで来ているか可視化できたら安心できるのでは?』といったアイデアを出せるのは、ご契約者と直接接した経験がある社員がいるチームならではだと思います」(片岡氏)

アプリをより良いものにするために、20名規模のプレゼン大会を行っているという片岡氏。「ロードサービスが到着するまでを可視化」する機能も、そのプレゼン大会で出たアイデアを形にしたモノだった。今後も、ユーザー目線でのサービス改善は続く。

さらに同社では、アプリ利用者の裾野を拡げるべく、既存アプリのブラッシュアップと並行して新たなアプリの開発も視野に入れているようだ。

「まだ具体的にお話できるものはありませんが、新たなアプリを開発するなら、独立した形で提供することになるでしょうね。“全部入り”のアプリになると機能も複雑化しますし、どう使えばいいのかユーザーにも伝わりにくくなってしまいますから。今後は事故を起こされた方はもちろん、日常的に運転を楽しんでいる方や、これから免許を取る方、すでにご契約いただいている方のそれぞれにとって、必要とされるサービスを提供していければと考えています」(片岡氏)

少子化と若者のクルマ離れが叫ばれる昨今。損保業界も生き残りをかけた厳しい競争原理の真っ只中にある。しかし、ソニー損保が取り組んでいるような「性急さを伴わない自社ブランディング」を目的としたアプリ開発戦略は、潜在的なユーザー層にリーチするために効果的な施策ではないだろうか。

「そうは言っても、やはり契約促進をうながせるような戦略も今後は考えていかないといけないと思っています。その意味でも、ソニー損保のスマホアプリを始めとするデジタルプロモーションは始まったばかり。これからは競合も増えてくると思うので、頑張っていきたいですね」(大竹氏)

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取材・文/武田敏則(グレタケ) 撮影/小禄卓也