エンジニアtype - エンジニアのシゴト人生を考えるWebマガジン

『パックマン』の父・岩谷徹氏に聞くゲーム開発の未来~「日本人的な優しさ」は今後も武器に

公開

 

東京工芸大学 芸術学部長 教授 岩谷 徹氏

近年、急速に普及を遂げているスマートフォン。その多機能性により、ビデオカメラや音楽プレイヤー、スケジュール帳など、さまざまな製品が代替された。

ゲームもその一つである。アーケードゲームから始まり、テレビゲーム、携帯ゲーム、オンラインゲーム、スマートフォンアプリと、ハードからプレイ環境まですべてが時代に沿って進化を遂げてきる。

このように進歩のめまぐるしいゲーム業界で、ヒットするゲームを作るにはどうしたらいいのか。

1978年からナムコ(現・バンダイナムコゲームス)に在籍し、その爆発的な普及から「80年代のミッキーマウス」とも形容される『パックマン』など、世界的なヒットゲームを生み出した往年の名ゲームクリエイター岩谷徹氏に聞くと、「出してみないと分からない」という。

しかし、岩谷氏自身は良いゲームを作るために心掛けていたことがあるという。それは「ゲーム以外でのリアル社会でいろいろな経験を積むこと」と、「ユーザー第一のものづくりを常に意識すること」だ。

これら2つの「ゲームクリエイターの心得」について、研究者の視点から見た昨今のゲーム事情と、岩谷氏が考えるゲーム開発の未来とともに解説してもらった。

プロフィール
東京工芸大学 芸術学部長 教授 岩谷 徹氏

東京工芸大学 芸術学部長 教授
岩谷 徹氏

1955年生まれ。1977年、ナムコ(現・バンダイナムコゲームス)に入社。同社初のビデオゲーム『ジービー』を皮切りに、『ゼビウス』、『パックランド』、『リッジレーサー』など50以上のゲームの制作に関わる。中でも1980年制作の『パックマン』は、2005年「世界で最も成功した業務用ゲーム機」としてギネスブックに認定。さらに2010年には「パックマンのクリエイター」として岩谷氏自身がギネス認定を受けた。2007年から現職にて「遊び」の応用研究をしながら後進指導に当たる

既存の枠から外れることで広がるゲームの可能性

岩谷氏は現在、東京工芸大学芸術学部ゲーム学科で、ゲームや遊びにまつわる研究を行いながら、未来のゲームクリエイターを目指す若者の育成に当たっている。そんなビデオゲームの巨人は、今日のゲーム業界をどうみているのだろうか。

「『パズドラ』の存在を知った時は、2つの売れそうな要素を組み合わせただけの安易な企画という思い込みがあったんです。が、いざやってみると、小気味よくて面白かった。私自身、スマホを前提としたゲームの企画を立てたことがなかったので、おそらくそう感じてしまったんでしょう。実際に遊んでみないと、ゲームの面白さというのは分からないものだなぁと」

そう自戒を語るように、岩谷氏は今も売れているゲームはひと通りプレイするようにしているのだという。

「実際『パズドラ』や『ジュエルマニア』のように、遊んでいるうちにすっかりハマってしまったものもありました。でも一方で、ユーザーの成長を過剰に煽り立てるものや、操作が複雑すぎると感じられるゲームも少なくありません。特にソーシャルゲームやスマホゲームの場合は、ゲーム内課金というビジネスモデルがあるため難しい面もあるのでしょうが、もっとゆったりと安心して遊べるゲームが増えてほしいという思いはありますね。そうすれば、かつてのように、もっと多くの日本製ゲームが海外で受け入れられると思いますよ」

岩谷氏が開発を主導した『パックマン』も、マニアックなゲーマーではなく、女性やカップルをターゲットに企画したものだったという。

「結果的に『パックマン』はシンプルなゲームルールと操作性が受け、海外での評価につながりましたが、あらかじめ世界市場を見据えて開発したものではありませんでした。国内市場だけを見ていると、ゲーム業界の将来は明るくないと思われるかもしれませんが、まだまだ新興国での成長は期待できます。今、多くの人が手にするスマホには、位置情報やカメラ、傾き、加速度など、さまざまな情報を計測するためのセンサが詰まっています。これらを活用すれば、新しいゲームを開発する余地はあるはずです」

これ以外にも、ゲームの可能性が活かせる領域があると岩谷氏は見ている。「シリアスゲーム」と呼ばれる、教育や医療用途向けのゲームとアートの領域だ。

「ゲーミフィケーションという言葉が注目されているように、今はゲーム開発のノウハウが一般社会への応用が求められている時代です。特に高齢化が進む日本の場合、介護やリハビリにゲームの要素を取り入れることによって、興味の持続性を維持しやすくなる効果も期待できるでしょう。

また、今私の研究室では、ウエアラブルなLEDディスプレイを身にまとい、コントローラーと画面、プレイヤーが一体となったゲーム『Gaming Suit』を研究しているのですが、これはプレイそのものが演舞の要素をはらむため、アートへの応用と捉えることも可能です。既存のゲームのカテゴリーや矩形の液晶画面からいったん離れてみることで、ゲームの可能性はまだまだ広がると思っています」

企画の試行錯誤こそがゲームに「面白さ」を宿す

では、ゲームの面白さについてはどうだろう。岩谷氏がゲームクリエイターとしてのキャリアを歩み始めた70年代後半に比べれば、ハードウエアやミドルウエアの性能は飛躍的な進歩を遂げた。

だが、その進歩の度合いと正比例してゲームが面白くなったかといえば、必ずしも賛同の意見ばかりではないだろう。技術の進歩が「面白さ」に直結しないケースもあるのはなぜなのだろうか。

「ゲームの面白さというのは、方程式に当てはめて作れるものではないからです。かつては試作段階でテストと修正に長い時間をかけていたのですが、今は、ゲーム内でのユーザーの行動が詳細に取れるようになったため、まずはリリースを先行させ、後からイベント追加などによる調整に力を入れていくという開発手法も増えました。それはそれで素晴らしいことなのですが、ゲームの根幹である着想のオリジナリティや、ゲームの核となる面白さはリリース後にどうこうできるものではありません」

1981年に発売されたアーケードゲームの『ギャラガ』は、リリース前の最終調整に半年もの時間を費やし、『アルペンレーサー』や『太鼓の達人』では、ロケーションテストを繰り返して、何度も試作をやり直したのだという。

「スマホゲームであれば、ゲームプレイでミスした直後の難易度を少し下げたりする微調整はリリース後でもできます。でも、いくらゲームを取り巻く環境が進歩したといっても、ゲームの企画を生み出すのはあくまで人間の仕事。その難しさは今も昔も変わりません。

もしその企画を煮詰める段階で、試行錯誤をないがしろにしてしまうと、どうしても手堅いもの、前例がある企画に流れてしまいがちになり、どこかで見たことがあるようなゲームしか作れなくなってしまいます。

挑戦を忘れてしまったゲームに未来はないですし、ましてや、エンターテインメントの領域にはふたつと同じものはいらない世界です。オリジナリティや面白さを獲得するために、作り手はゲームの企画段階での試行錯誤にそれなりの手間を掛けるべきだと思います」

ゲームクリエイターはゲームを離れて外に出よう

ビッグデータの活用などが進めば、いずれは理詰めだけで当たるゲームを作ることはできるようになるかもしれないが、今の段階ではそれは単なる夢物語だ。ましてや今は失敗に厳しい時代であり、短期的な売上が見込めそうにない挑戦的な企画が通りづらい現状もある。

ではもし、岩谷氏が言うように、ゲームづくりに成功の方程式がないとすると、“21世紀のパックマン”はどうしたら生み出せるのだろうか?

「ゲームがヒットするかどうかは結果論でしかありません。ですから、ヒット作を生み出そうと思ったら、メーカーはある程度のリスクを許容し、数を出すしかないでしょう。『パックマン』はあれだけヒットしましたが、北米進出に際してはそれ以前に数多くの失敗を経験しています。それは国内市場でも同じこと。もし失敗の数を許容できるゲームメーカーが増えれば、国内のゲーム産業もきっと盛り返せるはずです」

もちろん、若きゲームクリエイターにも助言できることはあると岩谷氏は続ける。

「面白いゲームはリアルでの体験から生まれる」と話す岩谷氏

岩谷氏も若手のころ、ナムコの先輩に毎日いろいろなところに連れ出されていたという

「例えば、ゲーム好きな学生の書く企画書の典型例の1つに、ゲームのストーリー設定は詳細なのにシステムは『ファイナルファンタジーとほぼ一緒』と書いてあるようなものがよくあります。そのストーリーにしても内容は推して知るべしなのですが、これは遊んだゲームの数が、必ずしも良いゲームを生む原動力にならないこともあるということを意味していると私は思います。

ゲームというのは『遊び』というカテゴリーの1つに過ぎません。街に出て人間を観察してみたり、見知らぬところに遊びに行くのもいい。自分からゲームという枠の中に閉じこもるのではなく、もっと外に目を向けて出てほしいですね」

ゲームのみならずエンターテインメントでは、独創性が求められる一方、多くの人の常識からかけ離れたものは支持されないという矛盾をはらむ存在であると岩谷氏は話す。

特に少子高齢化が進む日本では、今後ゲームメーカーの視線はよりいっそうグローバルに向かうだろう。そうなれば、文化や言語の壁も乗り越えたゲームづくりが今以上に求められるのは言うまでもない。

そこで大事になるのが、現実にアジャストする「修正力」だと岩谷氏は言う。

「以前から、日本のマーケットはもともと北米、欧州市場それぞれの半分以下に過ぎませんでした。しかも、その比率が大きく変わっているわけではありません。それでも、80年代から2000年代初頭にかけて日本のゲームが世界を席巻することができたのは、やはりユーザーを喜ばせるために質へのこだわりがあったからだと思います」

こういった日本人ならではの優しさ≒ユーザーファーストの考え方は、日本生まれのプロダクトの各所に見受けられると岩谷氏は続ける。

「最近のシャワートイレでは『便意』を促すボタンがついているものがあります。ここまで至れり尽くせりなモノづくりをするのは日本だけでしょうね」

ただし、この「至れり尽くせり」なモノづくりのスタイルをゲームに反映させることは容易ではないと岩谷氏は説明する。

「ユーザーのことを考えたモノづくりを日本が得意としているのは知られていますが、これは開発の途中でユーザーに実際にテストしてもらい、そこでのフィードバックを元に繰り返し修正するという、根気と努力があればこその賜物でした。それが安定した面白さにつながっていたわけです。ゲームづくりに携わっている人には、利潤の追求以上に、もう一度ゲームの面白さに目を向けてもらいたいですね」

取材・文/武田敏則(グレタケ) 撮影/小林 正