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[連載:Web業界「先駆者」の履歴書 市橋一弘 1/2] 自然体の元・派遣エンジニアが大ヒットアプリ『なまず速報β』を作れたワケ

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トレンドが目まぐるしく変わるWeb業界において、時流に乗りながらも自らの理想のキャリアを築いているエンジニアにフォーカスし、ステップアップまでの道筋を辿るこの連載。転職のプロであるキャリアアドバイザーとの対談を通じて、なぜ彼らがヒットプロダクトを生み出すようになったのか、「先駆者」ならではの生き方、考え方を読み解く!

連載第3回目は、先の大震災後にヒットしたAndroidアプリ『なまず速報β』の開発に携わり、昨年のGDD(Google Developers Day)にも登壇したストリッジプロジェクトの市橋一弘氏が登場。

エンジニアとして、「業務上」は過去にWebアプリやサービスの開発に一度も携わったことのなかった市橋氏が、『なまず速報β』をリリースできた背景とは。そして、Webアプリで大ヒットを飛ばした同氏の描く「未来の履歴書」は、一体どんなものなのだろうか。

IT業界の求人動向に精通し、現在は『typeの人材紹介』の看板キャリアアドバイザーを務める後藤和弥氏との対談を通してあらわになった市橋氏の「履歴書」から、時流に乗ったキャリアの築き方のヒントを解明してみよう。

後藤 『なまず速報β』が大評判ですが、市橋さんご自身は以前モトローラにいらして、ご自分で仕事を始められて、今回のヒットに至るまで、どんなことを考えて来られたんでしょうか。まず大学は理系卒ですよね。

市橋 はい、電気電子工学です。昔から機械が好きで、当時はロボットの制御系とか、ハードウエアをやりたいと思ってました。でも入ってみたら、ちょっと期待していたのと違うなと。それなりにガリガリ受験勉強して大学に入って、もっと研究本位かと思っていたら、それほど深く入り込まない現実に、まずギャップを感じました。

後藤 もっと突き詰めたい、というか。

市橋
 そうですね。むしろアルバイトを通じて働くことの楽しさを知りました。レストランの厨房だったんですけど、自分が動いた結果に対して、評価がつき、反応が返ってくることが面白かったんです。それもあって、大学を出た後は派遣で働き始めました。

派遣先の会社に誘われて正社員に

後藤 そこでは、どんなお仕事をされていたんですか。

市橋 モトローラの携帯電話基地局に派遣されて、フィールドエンジニアとして働いていました。基地局に行って、装置を据え付けて、必要なソフトのインストールや設定をするというものです。完全に現場の世界で、ソフトを開発していたわけではないんですけど、作業を効率化するためにスクリプトを書いたりはしていました。

後藤 第3世代が出る前の時代ですね。当時、エンジニアとして個人的に腕を磨かれたことは?

市橋 現場での待ち時間に、調整するソフトのソースを見たりはしました。僕は何事も一通り理解したいタイプなので、与えられた仕事はまず頑張るんです。この時は作業自体は決まっていたので、いかに早く効率良く終わらせるかに燃えていましたね。

後藤 自分で目標を決めて、達成して喜びを感じるわけですね。

市橋 その上で人に褒めてもらえれば、さらにうれしい(笑)。そこで2年半くらい働いていたんですが、派遣元の会社がつぶれてしまって、どうしようかと周囲に相談していたら、「じゃあ、ウチに来ないか」と言われてモトローラに入社しました。会社としても、人を増やしている時期だったようです。

後藤 それは良かったですね。ほかの会社は回らなかったんですか。

市橋 回っていません。職場のメンバー間の雰囲気も良かったので、誘ってもらえるなら行こうと。僕自身、仕事も一通り理解して、そろそろ新しい環境を求めていたころだったので、ちょうど良かったです。

時代によって採用数が激変するIT企業。特に通信系は、その波が激しいのが特徴です。市橋さんは派遣からのスタートでしたが、常に成長意欲を持って仕事に取り組まれてきました。その結果として、業界全体が採用意欲の高い時期という「幸運」

に巡り合った際、タイミングよく確実にチャンスをつかむことにつながりました。

 

「全体像を見渡したい」とWebの世界に活路を見出す

後藤 モトローラ入社後は、どんなお仕事に就かれたんですか。

市橋 今度はオフィスに常駐して、フィールドエンジニアを管理する立場になりました。ちょうど環境がUNIXからWindowsに変わったところで、ツール類を置き換えないといけないということで、開発を始めました。

後藤 現場の作業効率化のためのツールということですね。かなりスピード感が求められそうですね。

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「現場からの声をもとにツール改善をするだけでなく、「こうすれば効率化が進むかも」と自分で考えながら業務に取り組んできた」(市橋氏)

市橋 仕様書を元にきっちり固めていくのではなくて、業務に応じて必要なものをどんどん作っていくという感じでした。ソフトが分からない人でもボタンを押すだけで使えるようにするとか、現場からも「こうしてほしい」といった声が上がってくるので、常に何かしら改善や調整に取り組んでいましたね。

後藤 そこでスクリプト言語にもなじまれたと。

市橋 そうですね。ただ、その部門が業務縮小されて、1年くらいで異動になったんです。そこで自動車のECU開発を担当することになりました。

後藤 自動車の制御系では、品質管理もかなり厳しかったでしょう。

市橋 はい。ほかの製品の経験がないので比較できませんが、技術標準もきっちりしていました。今度は完全に組込み系の開発で、仕様書があって、コーディングして、デバッグして、テストしてと一連の流れを経験しました。プログラムの基本は、すべてこの時に学んだようなものですね。コードの中身まですべて見て検証し、ソフトウエアに関する知識はかなり深くなりました。

後藤 ここでSEとしてのベースを固められて、学生時代に希望していたハードウエアも経験できたわけですね。

市橋 そうですね。クルマそのものも好きでしたし、最初はクライアント先で開発することが多かったので、実際に自動車を作っている開発者の方から直接お話を聞くこともできて、とても楽しかったです。でも、プロジェクトが落ち着いて、自社内で開発するようになると、また新しい環境を求めるようになってきました。

後藤 というのは?

市橋 プロジェクトがかなり大きいので、上流までがとても遠いんです。僕は全体図を見てモノを作りたいんですね。最終的な製品がこうあるから、ここはこういう設計になっているとか、ある程度全体を把握したい。でもここにいたら、一介のプログラマーである僕は設計にはかかわれません。

後藤 そもそもセットメーカーではないですから、全体を把握して設計するという希望をかなえるには、限界がありますよね。

市橋 じゃあ自分でやってみようと思い、2005年に退職しました。自動車の組込みソフトと比べればということですけど、以前からWebアプリには少し触っていて、これならできるだろうと(笑)。

後藤 特に自動車の要求基準は格別ですからね。今いる環境の中ではある程度やり切って、Webに新しい活路を見出されたわけですね。退職された後は、どんなお仕事を?

市橋 しばらくは失業保険をもらいながら独学で勉強していたんですが、知り合いに手伝ってほしいと言われて、最初はインターネットテレビの会社で、技術アドバイザーを務めました。映像関係の方々が新たに立ち上げた会社でしたので、技術的にはどうすべきかを細かくサポートしていました。それこそブログの使い方から教えましたから(笑)。そんな感じで、何となく仕事が始まったというか。

後藤 自然体ですね(笑)。

(2/2へつづく)

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