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「常識をくつがえす場所に成長がある」吉岡弘隆氏に聞く、エンジニアとして“長生き”する方法

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今年初め、弊誌はエンジニアを取り巻くこの1年を「Geek Shift」と定義した。年頭所感にも記したとおり、プログラミングやシステム開発で培ってきたスキルが、これまでとは異なる分野、違った領域で活かされるケースが如実に増えているからだ。

■参考記事:Geek Shift~ネットが「みんなのもの」になって、開発は何が変わったのか

守備範囲が広がっていくにつれて、エンジニアにはこれまで以上に幅広い知識が求められていくだろう。それを好むと好まざるとにかかわらず、IT業界に身を置く者は、もとよりテクノロジーの進化によるパラダイムシフトからは逃げられない宿命にある。

「変化しなければ生きていけない」

データ周りの技術一つをとっても、かつてはCOBOLによるファイルアクセスでデータベースを扱うのが当たり前だったが、RDBMSの台頭で一気にデファクトが変わり、さらに近年はクラウド型DWHやNoSQLなどの普及で“No de facto standard”な時代になりつつある。

では、こうした変化に適応しつつ、キャリアを築いていくためには、どんな姿勢が必要なのか?

日米で30年超のエンジニア歴を誇る楽天の技術理事・吉岡弘隆氏に、エンジニアとして“長生き”するためのヒントを聞いた。

DEC買収やOSSの隆盛で、この業界に「安泰」はないと知る

エンジニアとして「変化し続ける大切さ」について、過去の仕事歴を交えながら話す吉岡氏

「わたしが1984年、新卒で入社したDECは、1998年にコンパックに買収されました(※その後コンパックもヒューレット・パッカードに買収される)。でも、在籍していた最初の数年間は飛ぶ鳥を落とす勢いで成長していて、今後も安泰だと思い込んでいた。あの買収劇は、それまでの“常識”が、一瞬で変わるんだと気付かされた最初の経験でしたね」

吉岡氏のブログエントリ『昔DECという会社があった。エンジニアとして必要な事はDECで学んだ。』にも記されているように、1980年代のDECは今で言う「FacebookとかAmazonとか、そーゆークールなイメージ」の代表的IT企業だった。そこで働く吉岡氏をはじめとするエンジニアたちも、最先端の技術を駆使する人だったといえる。

そんな会社が、90年代に入って業界全体がメインフレームからオープン化にシフトしていく中、瞬く間に力を失っていく。

吉岡氏は1994年に実施された希望退職によって日本オラクルに転職していたが、以前の勤め先が買収される様子は、上記のたとえに倣うならFacebookがわずかな年月でさらなる新興勢力に取って代わられるようなものだったのだろう。

「常識がガラッと変わる」のも、想像に難くない。

同氏はその後、90年代後半にかけて、米カリフォルニア州のOracleアメリカ本社で『Oracle 8』の開発に携わる。DECでデータベース関連の研究開発に従事していたことを考えると、スキル面では横スライドした形だ。

とはいえ、約3年6カ月におよんだシリコンバレーでの日々は、再び吉岡氏の常識を覆す。

「ちょうどそのころ、ネットスケープが自社のコードをオープンソース化したのです。当時は、サービスの資産であるコードを公開するなんて狂気の沙汰だと感じていました。が、今となっては、OSSがさまざまなサービスのイノベーションを加速させるというのが多くのエンジニアの常識にさえなっている。こういう体験も、過去の成功法則に縛られていては前に進めないという考え方を形成しています」

そして、帰国後にオープンソースのソリューションベンダー『ミラクル・リナックス』の創業に参画した後、次に自身の常識を変える場所として選んだのが楽天だった。

「これまでのキャリアを振り返ると、どの転機も、人とのつながりがきっかけだったり、偶然のタイミングが重なって動いてきました。でも、すべてのチョイスの裏側には、変化の兆しを感じた時に『大変そうでも面白そうな方へ動こう』という考えがあった気がします」

そうやって不定期に環境を変えながらストレッチをすることが、エンジニアとしての“長寿”の秘けつだと、体感的に悟っていたからだろう。

「英語公用化」で気付いた、開発の哲学を言葉で示す意味

日本のWeb企業の中では、グローバル化を見据えた組織改革にいち早く乗り出していた楽天

吉岡氏の転職遍歴は、働き方・考え方という面でも、自らに新たな刺激をもたらしてきた。

楽天では、2009年の入社後に実施された「英語の社内公用語化」によって、グローバル企業として組織と人が進化していく過程を現在進行形で体験している。

「英語公用化」の一側面だけをとらえて、ネガティブな論評を展開している部外者も見受けられるが、“中の人”として吉岡氏が発見した新しい常識とは例えばこうだ。

「現在の楽天のエンジニア採用では、技術力は必要最低条件として見た上で、英語ができるかどうかも採用基準になっています。そうすると、いつの間にか優秀な外国籍のエンジニアが集まるようになった。本当の意味でダイバーシティな開発現場は、単一的な価値基準でサービスを作る現場に比べて、より競争力を持つものです。組織全体のアジリティという観点でも、一般的な日本のIT企業より高いと感じています」

変化の渦中に身を置き続けると、職業人としての常識はどんどんバージョンアップされ、時には開発において最も大切なことを再認識させられる。

「最近の事例を挙げると、チームマネジメントにおいて、『なぜこうするのか』をキチンと言語化しなければ現場はうまく回らないと改めて気付かされました。よく『コードがあれば言葉はいらない』なんて話も出てきますが、それは間違いです。OSSや開発手法だって、広く使われるようになったモノは、コミッターが哲学を伝えるための言語化に腐心しているものです」

XP(エクストリーム・プログラミング)やアジャイル開発の祖であるケント・ベックしかり、Linuxカーネルを生んだリーナス・トーバルス、Ruby生みの親であるまつもとゆきひろ氏などの開発哲学は、書籍や講演によってコミュニティの内外で知られている。

そして、その哲学に惹かれたエンジニアが、別の誰かに伝え、ほかの自然言語に翻訳されながら、世界にイノベーションが伝播していく。

こうした過程における「言葉の重要性」を、吉岡氏は今、サービス開発の現場でも改めて実感しているという。

「日々、外国籍のエンジニアたちと仕事をしていると、そういう点をいやが応にも意識するようになります。また、日本人の勤勉さは、場合によって視野の狭さにつながるということにも気付いたりする。だから、われわれは意識的に変わらなければならない。変わることのできる環境に飛び込むことで、刺激を得続けなければならないと思うのです」

取材・文/浦野孝嗣 撮影/竹井俊晴