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ディズニー・リサーチほか世界的企業がラブコールを送るクリエイター・スズキユウリ氏に学ぶ、海外で認められる仕事術

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2013年、ネットで話題となった『以心電心(Ishin-Den-Shin)』というシステムをご存知だろうか?


ディズニー・リサーチが開発したこのシステムは、録音した音声を特殊な信号データに変換。録音用マイクを持っている人が相手の耳に触れることで、鼓膜を振動させ、まるで指先から声が聞こえるような体験ができる装置だ。

その開発メンバーの1人としてマネジャー的な役割を担ったのが、スズキユウリ(鈴木有理)氏

元・明和電機のアシスタントで、現在はイギリスを拠点に、ディズニー・リサーチほか複数の企業と仕事を行っているサウンドアーティストである。

サウンドアーティストのスズキユウリ氏(写真はYURI SUZUKIホームページより)

そんな彼だが、実は「テクニカルな知識はほとんどない」という。それでも、『以心電心』のような世界が注目する開発プロジェクトに参加できる理由とは何なのか?

スズキ氏の知見から、クリエイター、中でもマネージメントを担う人にとって重要な、プロジェクトを成功へ導く仕事術が得られるかもしれない。

ロンドンで活動中のスズキ氏にskypeインタビューを敢行した。

明和電機で学んだ「ビジョンを共有する」大切さ

―― 明和電機で5年間アシスタントをしていたとのことですが、そもそもなぜ明和電機で活動されていたのですか?

明和電機には、大学入学とほぼ同じ時期にアシスタントとして入りました。大学ではインダストリアルデザインを専攻していたのですが、授業で教わることは、企業の即戦力となるための形式的な考え方ばかりで、あまり魅力的ではありませんでした。

その点、明和電機は独創的なクリエイティブ活動を展開しながら、広告的な案件もこなし、仕事として成立させていた。

もともと明和電機の作品のファンでもありましたし、アシスタントとして活動をしながら多くのことを吸収したいと思ったのがきっかけです。

―― 実際、明和電機で活動されてみてどうでしたか?

クリエイターとしての「イロハ」を学んだ明和電機の土佐信道氏(写真は弊誌過去記事より

明和電機のアシスタント時代は、展示会やコンサート、おもちゃの制作、レコーディングなど幅広いジャンルの活動を行いました。

また、それぞれの案件においてデザイナー、ミュージシャン、エンジニアなど多くの役割を体験。複数のジャンルで、さまざまな役割をこなすという多岐にわたる活動ができたのは、おもしろかったです。

当時の明和電機は兄・土佐正道さんから弟・土佐信道さんに社長交代したころでした。お2人には礼儀作法からデザインの知識まで、本当に多くのことを教わり、感謝しています。

―― 中でも感銘を受けた教えは?

「時には現場の意向に合わせることも大事だ」と言われたこと。

そのころは「クリエイターは、自分の道を行くのが当然」と思っていましたから。クリエイターとして仕事を成り立たせるには、そうした「柔軟性」も必要だと若い時に知ることができたのは、貴重な経験でしたね。

―― 5年間の活動の中で一番の収穫は何でしたか?

信道さんに、仕事の組み立て方を教わったことです。簡潔に言うと、プロジェクトのメンバー同士でビジョンを共有してからタスクを組み立てていくというロジック。

どんな役割の人間であっても、ビジョンを共有し、そのプロセスの一つとして、あなたのタスクがある、ということを伝えることが大事。そうすれば、たとえそれが単純作業であっても、主体性を持って取り組むことができます。

その方が、成長スピードも上がるし、メンバー間の積極的な意見交換も生まれる。結果、プロジェクト全体の効率が向上します。そういった、仕事術が身に付いたのは大きな収穫でした。

他者との差別化は、「技術に疎いこと」から生まれた

スズキ氏の手掛けてきた作品の数々は、同氏のホームページで紹介されている

―― 明和電機を卒業後、ロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アート(以下、RCA)に入学し、「音楽とテクノロジー」に関する作品制作に取り組んでいますね。RCAは芸術とデザインの学校なので少し毛色が違うように思いますが?

RCAは自由な校風で、何をテーマにしても良かった。そこに感銘を受けて入学したのですが、「音楽とテクノロジー」をテーマにしたのは、自分ができる唯一のことだったから。

RCAには、世界中から芸術やデザインの秀才が集まってきます。そんな彼らと芸術やデザインという分野で正面から競い合っても、とうてい追い付けない。

だから、RCAでの2年間は自分の持つスキルのクオリティアップの時期にしようと考えたのです。その結果が、今のサウンドアーティストとしての活動につながっています。

―― 卒業後は、就職せずにそのままフリーで活動していますが、最初から決めていたのですか?

いえ、最初は就職をしようと思っていました。内定までもらっていたのですが、リーマン・ショックで取り消しになってしまったんです。

それで途方に暮れていたころ、卒業制作作品である「The physical value of sound」が学校外でも評価を得て、世界中で展示会を開催することになったんです。それがきっかけで、広告や展示会の依頼が来るようになり、自然とフリーで活動することになりました

―― フリーで活動する上で「音楽とテクノロジー」というジャンルは競合も多いかと思いますが、どこで差別化を図っているのでしょうか?

実は、わたしはテクニカルな知識に乏しくて、『Max』という非常にベーシックなプログラミングぐらいしか分からないんです。

ところが、それが逆にほかの作品との差別化につながった。わたしの場合はテクノロジーといっても、ほかの人とは違ったかなりアナログな技術をメインに作られています。そうした技術を使っているのは差別化を意識したわけではなく、それしかできないから。

明和電機で学んだ「音楽とテクノロジー」を融合させる術を、RCAで自分のスタイルとして確立できたのが良かったですね。

海外で“リトルトーキョー”を作ってしまうのは日本にいるのと同じ

―― スタイルの確立は確かに重要ですが、テクニカルな知識がなくてもプロジェクトを成功させることができるのはなぜでしょうか?

その理由は、作品を完成させるための「仕組み」をわたしが理解しているからです。「仕組み」を知っていれば、どういうプログラミングが必要で、誰にお願いすれば良いか分かる。

「仕組み」を理解した上で、プロジェクトメンバーへのビジョンの共有と、タスクの組み立てを行うこと。わたしがプロジェクトで担う主な役割もその2つです。

それを上手くこなすことで、プロジェクトが成功し、結果多くのプロジェクトに参加できているのだと思います。

―― 明和電機での活動で得た仕事術が活かされていますね。その知見は、国内のクリエイター、プロジェクトマネジャーにも共通する重要なノウハウです。海外での活動を目標にするクリエイターたちへのアドバイスは?

海外では展示会の直前にデザインを考える、といったプロジェクトはざらにあります。それでも、現場の人間は慣れているから、何とかなってしまう。

そういった日本のロジックは捨て、郷にいっては郷に従うことが大事。そうすれば、どんな場所でも人脈は広がり、仕事につながります。

ロジックを捨てる第一歩としては、海外のクライアントを相手に仕事をすることがおすすめです。海外にいて、日本のクライアントと仕事をしていては日本にいるのと同じ。周りを見ているとそういう人が多いんです。それでは、海外にリトルトーキョーを作るだけに終わってしまう。

海外で活動するには、日本の企業をアテにしないこと。そうすれば、人脈が広がるし、その風土にあったモノづくりや仕事のロジックを早く知ることができますからね。

―― なるほど。2013年に会社を設立されたということですが、今後はどのような活動を行うのでしょうか?

フリーになってからの5年間は、がむしゃらにモノづくりを続けてきました。アート作品、広告、展示会、プロダクト制作など幅広くやることができた。ただ、1人でやっていると歯止めがきかないところがあって、一時期体調を崩してしまったんです。

だからといって仕事の幅を狭めるのももったいないですし、そこで会社を設立しました。組織化することでより計画的な活動を行うつもりです。今後のわたしの課題はビジネス的なビジョンを持つことですね。

あとは、後進の育成にも力を注ぎたくて、今年からRCAにてティーチングも行っています。

こうした活動を通して、海外を相手に活動できる、本当の意味での世界的なクリエイターが増えることを望んでいます。

―― 今後の世界的クリエイターの登場が楽しみです。本日はありがとうございました。

今回の取材で聞くことができた、テクニカルな知識に頼らないスズキ氏の仕事術は興味深いものだった。マネジメントを担うクリエイターは、参考にしてみてはいかがだろう。

そして、海外志向のクリエイターは、日本のロジックを捨てることを意識して、積極的に海外のクライアントと仕事をすることをおすすめする。

取材・文/長瀬光弘(東京ピストル