ひと足先に選ぶ次世代のMVE : 曽根大地

子どものころ、夢中になったプラモデル作りで第一人者に

小学校入学から現在までの20年、地元の静岡市で生まれ育った曽根がガンプラの魅力に引き込まれたのは入院中のことだった。当時、小児喘息を患っていた彼に、母親が退屈しのぎのために持ってきたガンプラ『BB戦士 武者百士貴』を組み立てているうちにハマったのが最初のきっかけだったと話す。

「小学校1〜2年生のころだったと思いますが、たまたま持ってきてもらったものを組み立ててみて、ほかのキャラクターも集めたくなった。まだ子どもでしたが、キャラクターのユニークさや細かいところの精密さ、一つ一つ組み立てていくことの魅力に取りつかれてしまったという感じでしたね」

それから、小学校を卒業するまでがガンプラに最も夢中になった時期、と曽根は振り返る。弟と共に集めたガンプラは100個を超えていたというから、相当なハマりぶりといえるだろう。 中学を経て高校では機械科を専攻した。しかし、将来は進学よりもモノづくりに携わるエンジニアか、交番勤務の警察官になろうと考えていた。当時、漫画の『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(通称:こち亀)が流行っていて、全巻をそろえるほどのファンだったからだと言う。

「ガンプラも漫画もそうですが、現実的ではないけれど、夢があって生活も仕事も楽しみたいというのが自分のスタンスなのかもしれません」

入社直後にモノづくりの難しさに直面

バンダイへの入社は2001年4月。学校からの推薦によるものだった。当時、バンダイは大卒者の新卒採用は原則として東京の本社で実施していた。高卒採用もやっておらず、静岡市のホビー事業部による地元採用も不定期という状況。また、入社後の研修終了後に配属先が決まるため、たとえ本人が希望してもガンプラづくりのエンジニアになれる可能性は低かった。加えて、曽根の出身高校からはそれまで採用実績が少なく、不利な条件ばかりがそろっていた。

「採用されたのは3人。同じ高校からは自分を含めて3人応募していたのですが、内定をもらったのは自分だけ。倍率の高さは知っていましたので、入社が決まったときはうれしさよりも驚きの方が大きかったですね。意欲と熱意だけは人一倍あって、面接の時も自信はなくても堂々としていたのが、面接官の印象を良くしたのかなと思っています」

エンジニアとしてキャリアをスタートできたのは奇跡に近い出来事だったと、曽根は今でも思っている。入社後、研修を終えてガンプラの設計開発部門への配属が決まり、この千載一遇のチャンスは自身の使命と受け止めた。それは、1日も早く一人前のガンプラ製作者になるために精一杯努力しようという深い決意につながっていった。
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