経営トップが語る20代のための「11」の教え

若い時から夢や志を高く持ち、多くの難局を乗り越え、成功を勝ち取った経営トップほど、20代の若者たちへ伝えたい熱き想いを抱いている。4人の経営トップたちのトップバッターとして登場するワタミの渡邉美樹氏の熱き「教え」を聞いてほしい 《2005年7月号より抜粋》

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■お話を伺った方々
渡邉 美樹 ワタミ株式会社 代表取締役社長・CEO
魚谷 雅彦 日本コカ・コーラ株式会社 代表取締役社長
宇野 康秀 株式会社USEN 代表取締役社長
 
 
 
株式会社USEN
代表取締役社長 

宇野 康秀
 
 
明治学院大学法学部卒業後、リクルートコスモス入社。89年インテリジェンスを設立し、社長に就任。98年有線ブロードネットワークス(現USEN)社長に就任し、ブロードバンド事業を展開。04年からギャガ・コミュニケーションズ代表取締役も務める
 
 
 
僕にはカリスマ性も度胸もない
だからこそ、度胸がつきそうなことは
かたっぱしからやってきた
 

銀行から借金して集めた200万円を元手に人材サービスベンチャー「インテリジェンス」を起業し、子供のときからの夢だった「社長」に就任したのは宇野康秀氏24歳のときだ。

それから17年……。

41歳となった宇野氏が、USEN(「有線ブロードネットワークス」から今年3月社名変更)の代表取締役社長として、5000人余りの社員を率い、無料で映画やドラマなどの番組を配信するブロードバンド放送『GyaO』を業界に先がけてスタートさせ、今年5月に発表された高額納税者番付においては、IT部門の第4位をマーク。これらのことを17年前に彼の周囲の誰が予測しただろうか。

宇野氏はインテリジェンスの社長時代、「創業10年で上場する。必ず、年商1000億円の会社にする」とスタッフたちに言い続けた。

「僕の言葉を信じて付いてきてくれたスタッフに嘘をつくことだけはしたくなかった。大企業に入れるような優秀な人たちが、内定を蹴ってまで僕のところに来てくれる。こんな小さな会社に未来をかけてくれている。その責任は本当に大きいと思いました。こいつらに絶対に儲けさせてやる。それは、苦しいときに踏ん張る最大の力になったと思います」

10年後、公言したとおり、翌年の上場が決定。同時期、大阪有線放送社の創業者として名をはせていた父の死去により、「子供の頃からそれだけはいやだと思っていた」父の会社を継ぐことに。父から受け継いだものは、1万人の社員と800億円の有利子負債。そして、全国にはりめぐらされた非合法のケーブルだった。

「有線の社員に対して最も冷たいやり方をとれば、リストラして借金を返すことだけに専念することだったでしょう」

しかし、宇野氏が本質的に志向しているのは、マイナスを手際よく埋めていく「商売」ではなく、世の中に新しい価値の創造を求める「事業」。ただ借金を返済していくのは、自分のやり方ではない。それを意識したとき、「仕方なく」引き受けた会社が、次へのジャンプ台に変わった。

「放送と通信の融合という言い方は当時からしていました。父の時代に敷いた有線は、すでに行っていた音楽放送事業にとどまらず、インターネットのブロードバンド化、IP化を進めるためのインフラになると考えました」

考えるのは簡単だが、ダーティな企業イメージの払拭や法規制との闘いは、その過程で多くの社員が辞め、途上で何度も「もう、やめてくれ」と社員に懇願されたほど、熾烈なものだった。結果は、世界で初めて一般家庭に光ファイバー回線を届けることに成功。日本を、2000万世帯が利用する、世界一のブロードバンド普及国にするきっかけとなった。NTTをはじめとする大企業が追わざるをえない仕組みを作り、時代は動いた。世の中を変えたい、新しい価値を生みたいという宇野氏の事業への野心が結実したのだ。


経営者に必要な度胸もリーダーシップも努力して作った


会社を作った24歳のとき、宇野氏には、資金もなかったが、会社を作って何をするかというアイデアもとくになかったという。

「やりたいことは変わるということに大学生のとき気付いたんです。一年前の手帳に書いてある『こんなことがしたい』は、わずか一年後の自分にはまったく興味の持てないものになっている。高校生のときは、映画監督になりたいという気持ちがあったし、卒業間際には、大学に進学せずに外食産業を立ち上げることをまじめに検討したこともある。このように僕は、やりたいことがひとつに留まらない。だったら、自分を幸せにするのは、この先の人生にどんな種類の『やりたいこと』が出てきても、挑戦できる自分になることじゃないかと思ったのです。これしかできないという人生を志向すれば、自分の人生は不幸になると」

会社を経営することは、未知なる『やりたいこと』ができる自分を養成するトレーニングそのものと宇野氏は言う。

「会社を大きくしようという努力は、自然に見識を高めていくし、人心掌握の方法も、財力も、信用も、人脈も、日々の仕事のなかで自然に培われていく。会社の経営で身に付けられるこれらの要素はすべて、したいことができる自分に必要な要素と重なるんですよ」

いま、多くの若い人が陥っている「自分探し」という作業に時間を費やすことをしなかった代わりに、宇野氏は、自分の能力の現在をリアルに見ることに徹した。

「経営者になろうと決めたのはいいのですが、僕と夢の間には明らかな距離があった。松下幸之助さんなど、尊敬する経営者の伝記を子供の頃から愛読していましたが、そうした本に書かれている経営者のカリスマ性は、どう考えても僕にはない。もともと、学級委員なんかをやるのは嫌いだし、リーダーシップを持ってみんなを引っ張っていくようなタイプじゃなかった。カリスマ性は努力で身に付くものじゃないけど、事業家を目指す以上は、多少なりともリーダーシップがとれるようにならなければと思いました。それを身に付けるために大学に行ったようなものです」

大学に入ってからは、「苦手なものをひとつずつつぶしていく」ことを自分に課した。「あまり好きじゃないけど、サークルなるものをやってみよう」と、プロデュース研究会に入部、部長を務め、全国2万人からなる組織の連合会を運営し、学生起業もした。

「僕に度胸がないというのはわかっていたので、度胸づけになりそうなことは、かたっぱしからやりました」

企業の採用サポートを主な業務として始めた会社が、時代の風をつかんで人材派遣業で波にのり、その後しぶしぶ引き受けた父の会社を根にして、IT業界の雄へと成長していく……。17年前の原点から見れば想像もつかないような変化を遂げているが、子細に見れば彼が行ってきたのはすべて、彼が大学時代にたどりついた「やりたいことができる自分になる」という変容への意志と、自分の現在を正確に見るという方法が落とした自然な産物だったのだ。

成功するのに特別な能力がいるわけじゃない


「僕はよく言うんです。勝つ人間は、勝ちたいと思っている人間だよ、と。なぜ僕があまたいるベンチャー起業家のなかで生き残れたのか、果たして僕に経営者の資質があるのか、その答えはいまだにわかりません。ただ一つだけ言えるのは、おそらく僕は誰よりも、勝つという意識が強かった。いまメディアに取り上げられている若手経営者たちのなかには、学生時代からよく知っている人も多いのですが、そういう人たちを見渡しても、特別に頭がいい、特別な能力がある、というわけでもない。これはみんながお互いに思っていると思いますが(笑)。でも、共通していることがひとつだけある。残っているヤツらは、まだ人生に何も手を付けていない学生のときから、周りの人間に絶対負けないくらい、勝つ意識が強かった。若いときから自分の強み弱みを認識したうえで、高いビジョンを持つことが大事。それを達成しようという強い意識さえあれば、絶対に成功すると思います」

光ファイバーの開通が他社を後続させ、パソコンのあり方までも変えたように、USENが世に放った新メディア「GyaO」のパソコンテレビという新しい事業は、日本をどう変えていくのか…。宇野氏が仕掛ける新たなビジネスの今後が注目される。

 
 
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