スペシャリストへの転機 〜Special interview 編〜

まつもと ゆきひろ氏
株式会社ネットワーク応用通信研究所 フェロー

1990年に筑波大学第三学群情報学類卒業後、ソフトハウス、CADベンダーを経て、1997年にネットワーク応用通信研究所に入社。1993年、ソフトハウス勤務時代にRubyの開発を始め、1995年にフリーソフトウエアとして公開。ネットワーク応用通信研究所では、Rubyの開発や、それに関する講演活動などに専念している

業務の傍ら、開発を続けたRubyが一生の仕事に


言わずと知れたオブジェクト指向スクリプト言語である『Ruby』の開発者・まつもとゆきひろ氏。現在は、島根県松江市に本社を置くネットワーク応用通信研究所で、その開発に専念している。ただし、現在の会社に転職した1997年当時には、「Rubyでメシが食えるとは思っていなかった」という。

「ずっと現場で、プログラマーとしてやっていく。マネジメントはやりたくない、向いていないと思っていました。そんな中、一度だけプロジェクトマネジャーとして進行管理を任された時、納期が大幅に遅れてしまいまして。そこで、自分には絶対に無理だ、と確信しましたね」

    特にまつもと氏がこだわったのは、「東京では働きたくない」ということ。人込みや、長い通勤時間にガマンがならなかったまつもと氏は、浜松のソフトハウスに就職。しかし、バブル崩壊の影響が出始め、仕事がヒマに。空いた時間で使いやすい言語をデザインしようと考え、1993年よりRubyの開発を始めた。

2社目は、名古屋の会社へ。オブジェクト指向エンジニアとしてソフト開発に取り組んでいたが、プロジェクトの関係で、チーム全員が東京へ異動することに。まつもと氏は転勤を拒否。「半年ほど名古屋で頑張りましたが、限界でした」。

そこで1997年、現在の会社へ転職。当初はシステム開発者として勤務していたが、徐々にRubyが会社の売上に貢献するようになり、Rubyに専念できる理想の環境を手に入れることができた。

まつもと氏が、業務の傍らでRubyの開発を続けることができたのは、「変わらぬ熱意があったから」だと話す。

「原点は、ただ作りたいという気持ち。Rubyが多くの人に受け入れられたのは、技術要素うんぬんよりも、僕が開発をあきらめなかったからだと思っています」

もちろん、スペシャリストとして存在し続けるには環境も大きな要素だと、まつもと氏は続ける。

「スペシャリストとは、能力がいびつな人間。僕が在籍してきた会社は、すべていびつさを許容してくれました」

ゼネラリストの方が重宝される世の中で許容されるからには、それだけの技術やキャラを持っていなければならないと、まつもと氏。講演などでアウトプットを続ける今でも、さまざまな手を尽くし、インプットは欠かさない。

「不景気の影響か、最近のエンジニアは、自分の意志を通すと辞めさせられるのではないかとおびえているように感じられます。けれど、快適な環境は、意志を伝えずして手に入るものではありません」

ワガママを通す熱意と技術力こそが、スペシャリストが持つべき要素なのだ。

 

プログラミング言語の改善には終わりがない。エンジニアとしての今後について、まつもと氏は「100%を目指して挑戦している今の状態を続けることが理想」だと話す。氏のもとには、「IBMのスーパーコンピュータ『Blue Gene』の上でRubyが動いた」や「NASAのエンジニアがシャトルのデータ解析にRubyを利用した」などという報告が世界中から寄せられている。オープンソースならではの喜びといえよう


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