スペシャリストへの転機 〜Special interview 編〜

吉岡弘隆氏
ミラクル・リナックス株式会社 技術本部
Emerging Technology 推進グループ
シニアエキスパート

慶應義塾大学工学部修士課程修了後、日本DEC研究開発センターに入社。日本語COBOLの開発やRDBMSの日本語化などに携わる。1994年、日本オラクルに転職。米国オラクルにてOracle8の開発に従事。2000年、ミラクル・リナックスの創業に参加。同社取締役CTOを経て、2008年7月より現職。
吉岡氏ブログ「ユメのチカラ」
http://blog.miraclelinux.com/yume/

プログラミングへの情熱で、再び現場エンジニアの道を行く


 2008年7月、ミラクル・リナックスの取締役CTOを退き、「生涯いちプログラマー宣言」を行った吉岡弘隆氏。2000年にミラクル・リナックスの創業に参加して以来、取締役としてマネジメントに従事してきた。ただし、吉岡氏本人は、ずっと「マネジメントは得意ではない」という思いを抱えてきた。 「創業当初の十数人規模の時期は、まさに“全員野球”。好きとか嫌いにかかわらず、マネジメント役は必須でした」

会社の規模が大きくなり、CTOを譲れる適材が育ったのを契機に、吉岡氏はプログラマーに戻ることを決意。今年の春ごろから、社内調整を重ねてきた。

ブログ上で発表されたこの宣言に対し、多くのコメントが寄せられた。その反響の大きさに、吉岡氏は喜びと同時に複雑な感情を抱いている。 「本来、技術は積み重ねていくものなのに、専門職として確立されていない。言うまでもなく、シリコンバレーには高待遇で周囲からリスペクトされているスーパーエンジニアが存在します。日本のエンジニアは、技術を磨くことに関して恵まれていないと痛感しました」

吉岡氏は、「いまさら使いものになるか疑問だという意見も、ごもっとも。でも、腹をくくった人間に対して、ケチを付けてもしょうがないでしょう」と笑う。とはいえ、将来の展望に不安を感じる状況は、20代のころと変わらない。唯一の自信は、「コードを書くのはもちろん、既存のコードを読んだり、議論することが誰よりも好き」という熱い気持ちだけだ。 「技術で生き抜くための入場券は、自らのパッションだけ。できるだけ長くプログラマーとして活躍していきたいというのが、私の現在の目標です」 

 

取締役を卒業して、「気持ちは楽になった」という吉岡氏。ただし、スペシャリストには、結果勝負のプレッシャーが付いて回る。吉岡氏は、プログラマー宣言以降、その厳しさをあらためて感じたと話す。一方で、吉岡氏は後進の育成にも力を尽くしている。2008年の夏は、学生を対象にした『セキュリティ&プログラミングキャンプ2008』の講師も務めた。今後、10年間で200人の優秀な若手プログラマーを輩出していくことが夢だ


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