仕事の達人

株式会社インフィニアム
代表取締役/CEO
幸尾 辰馬氏
profile
1951年佐賀県生まれ。広告サイン業を営む両親の元で感性を磨き、起業を志す。
東京のデザイン制作会社を経て76年幸尾辰馬デザイン事務所を創業。
84年(株)ヘッド・オフィスを設立し、代表取締役社長に就任と同時にデザイン制作においてのコンピュータ化を、いち早く導入。
99年(株)ベネクスと社名変更してeビジネスソリューション開発に注力。
2000年香港のチャイナドットコムと事業合併し日本の代表取締役社長に就任(翌年アイオン・グローバルに社名変更)。
03年アイオン・グローバルから独立し、04年 社名を(株)インフィニアムと改め代表取締役社長兼CEOに就任。
05年、RIA(Rich Internet Application)幹事会員に。
交換留学で訪ねたアメリカへの思い それがすべての始まりだった
広告業界のクリエイターとして出発し、25歳で制作プロダクションを創業。2度のバブル崩壊を経験し、その都度時代を先取りするビジネスモデルを開拓してきた。 「マーケティングをベースとしたCRM」の分野で時代をリードする、インフィニアムの幸尾辰馬氏。 その原点とは、17歳の時に描いた「人生年表」にあった。
業績回復や消費の活発化にともない、広告やマーケティングを強化してブランド再構築をめざす企業が増えている。そんな中で、「インターネットをはじめとするデジタルメディアを抜きにして、次代のブランディングは語ることができない」というのは、(株)インフィニアム代表取締役/CEOの幸尾辰馬氏(55歳)だ。
「企業のコンピュータ導入が一巡し、IT化の焦点もバックエンドからフロントエンドシステムへと移りつつあります。しかし、CRMで効果を確実に出している企業はまだ少ない。ようやく我々のサービスが必要とされる時代になってきた、というのが実感ですね」
インフィニアム設立は2004年。広告やeビジネスでの豊富な実績を背景に、「マーケティング&クリエイティブ」「テクノロジー・ソリューション」「ビジネスコンサルティング」を融合した三位一体のビジネスモデル“I3 Thinking”を掲げてスタートした。
幸尾氏のビジョンの先見性を物語っているのが、最近の大手の動きだ。グローバルで活躍しているエージェンシー(広告代理店)数社の日本法人から提携や資本参加の申し出、あるいは今年6月には博報堂とIBMビジネスコンサルティングサービスなど4社が共同でCRM領域ビジネスを専門に扱う新会社を設立。こうした動きは「ブランディングを主体としたCRMの実現」が重要な経営課題となりつつあることの証しといえる。
デザイナーとして出発し、25歳で独立。幸尾氏の経歴は、ビジネスマン出身者の多いコンサルティング業界では異色といっていい。広告とITの世界で2度のバブル崩壊を経験し、その都度時代を先取りするビジネスモデルを開拓してきた。温厚篤実な人柄とクリエイターとしての鋭敏な感性――その絶妙なバランスが、幸尾氏の歳月を物語っているように思える。
高2で「人生年表」を書き起業を決意
幸尾氏は、1951年、佐賀県で広告サイン事業を営む両親の元で生まれた。地元の高校を卒業し美大進学のため上京。起業を夢見、志を早期実現するためデザイン会社でアルバイトを始める。
高度経済成長の余韻醒めやらぬ70年代初頭の広告業界は、活力と刺激に満ちていた。幸尾氏はアルファキュービックなど数社の広告戦略を任せられ、若手の敏腕広告プロデューサーとしてメキメキと頭角を現していく。
そんな幸尾氏が人生の岐路を迎えたのは25歳のときのことだった。幸尾氏の腕を見込んだ某イラストレーターから「一緒にニューヨークで仕事しないか」と誘われたのだ。折も折、「ハローキティ」の大ヒットで旭日の勢いだったサンリオから「ディレクターとして採用したい」という話が舞い込む。いずれもクリエイターとしてこれ以上は望めないほどのチャンスだったが、幸尾氏はあえて第3の道を選んだ。会社を辞め、独立して事務所を構えたのだ。
「それには理由がありましてね。実は高2のとき、巻物に筆で、30歳までの人生年表を書いたんです。『20歳でデザイナーになり、23歳で小さくとも自分の会社を作り、30歳までに社員10人の会社にする』という内容でした。起業したのは、今を思えば曖昧で稚拙な内容だったと思いますが、その高校時代のコミットメントを果たすためだったんです」
76年、幸尾辰馬デザイン事務所を開業。ファッションブランドを中心とした広告戦略やCI戦略のプロデュースを手がけ、仕事は徐々に軌道に乗っていった。幸尾氏の強みは、そのクリエイター離れしたマーケティング・センスにあったようだ。顧客の事業ビジョンを知るべく営業会議にまで顔を出し、広告制作の費用対効果を分析。顧客の業績向上に貢献できる広告効果の実現に心を砕いた。
そんなプロスピリット溢れる仕事ぶりに、おのずと顧客や大手広告代理店の信頼も厚くなる。だが、バブル前夜の微熱に浮かれる広告業界にあって、幸尾氏は危機意識を募らせていた。
「大手代理店からの仕事というのは個人指名で来るんですね。本当に気ままな関係で、私のような一匹狼は“使いやすい”うちはいいが、結局は“捨て石”でしかないな、と感じました」
