ジャパネットたかたの「伝える」ノウハウが詰まった初の自叙伝『伝えることから始めよう』を要約

「ジャパネットたかた」の社長として長年活躍してきた髙田明氏。そんな彼が「伝える」技術を詰め込んだ1冊を、本記事では要約している。26年にも及ぶプレゼンター人生で彼が手に入れた技術とは? 「伝える」を「伝わる」に代えるノウハウが身に付く1冊。

伝えることから始めよう

タイトル:伝えることから始めよう

著者:髙田 明

ページ数:272ページ

出版社:東洋経済新報社

定価:1,728円(税込)

出版日:2017年01月26日

 

Book Review

「ジャパネットたかたというテレビショッピング番組をご存知だろうか」と問われたら、きっと多くの方が首肯されるに違いない。「番組と同じくらい有名なプレゼンターの男性といえば……?」と問われたら、「ああ、あの人ね!」と、トーンの高いはきはきとした話し方が耳によみがえってくるだろう。その人物こそが本書の主役であり、ジャパネットたかたの社長兼プレゼンターを長年務めてきた髙田明(たかたあきら)氏だ。
本書は髙田氏の初の自叙伝である。面白いことに、本書の語り口調は、テレビに出ていた髙田氏そのままだ。常に全力で、まったく止まらない。だからこそ、本書は躍動感に満ちており、読んでいるこちらもスッと話に引き込まれ、ノンストップで読み終えてしまう。
また、本書のタイトルに入っている「伝える」ということについても、髙田氏の26年間のプレゼンター人生で培った知見があますところなく紹介されている。これも本書の大きな魅力だ。髙田氏にとって、「伝える」ことはあくまで始まりでしかない。結局のところ、重要なのは「伝わる」ことである。ただ伝えるだけではダメだという本書の主張は、髙田氏だからこそ説得力にあふれている。
66歳でジャパネットたかたの社長を退任し、現在は地元サッカークラブのV・ファーレン長崎社長としても活躍している髙田氏。常にワクワクを追い続ける彼の姿を、どうか今一度ご刮目いただきたい。

今を生きる

一生懸命に今を生きれば課題は見えてくる

一生懸命に今を生きれば課題は見えてくる

25歳のとき、新卒で入社した会社を2年強で辞めた髙田氏は、長崎県平戸市の実家に戻り、「カメラのたかた」という写真店を手伝うことにした。ちょうどカラー写真が普及しはじめた頃だった。
平戸市は年間200万人近い観光客が訪れる一大観光地でありながら、当時カラー現像ができたのはカメラのたかたのみだった。そのため、店は連日大忙し。毎夜、複数のホテルの宴会場で写真を撮って夜中に現像し、朝食会場に売りに行った。毎晩1500~2000枚もの写真を現像するので、睡眠時間は毎日2~3時間が当たり前だったが、家族一丸となって働くのは非常に楽しかったと髙田氏は振り返る。
また、当初は父親から言われた仕事を楽しんでやっていただけだった髙田氏だが、目の前の仕事に真剣に取り組むなかで、仲がよさそうな数人での写真も撮ってあげたり、宴会がはじまる前に集合写真を撮ったり、プリントするときに文字を入れたりと、徐々に自分なりの工夫をするようになった。すると、1人で写っている写真に加え、追加で2枚、3枚と買ってもらえるようになった。
さらに、昼間は観光地についていって、現地での写真撮影もおこなうようにした。写真だけではつまらないと考え、今度はそれをアルバムにしたりお皿に焼いて売ったりもした。ホテルで売れ残った写真を観光地でも売りはじめると、朝バタバタして買えなかった人にも買ってもらえるようになった。
目の前のことに一生懸命向き合っていると自然と課題が見えてくるし、それを解決するためのアイデアも自然と生まれてくると髙田氏は語っている。「今を生きる」ことこそが、髙田氏が常に大切にしている考えだ。

できない理由ではなくできる理由を探す

27歳で結婚してすぐ、髙田氏は玄界灘に面した松浦という町で支店を任されることになった。そこで奥さんと話し合い、当初月商55万円だった店を、1年間で月商300万円の店にするという目標を設定した。
これは並大抵のことで成し遂げられる数値ではない。松浦は人口2万人ほどの小さな町で、平戸と違って観光客がやってくるホテルがなかった。そのため、利益が出るのは主にフィルムを売ること、現像してプリントすることに限られていた。
髙田氏は、とにもかくにも現像するフィルムを集めなければと考え、建設現場を回ることにした。公共事業は役所に工事写真を提出しないといけないため、たくさんフィルムが出る。松浦中の工事現場を回ってコネをつくり、集配ルートを確立させると、フィルムの請負に加え、今度はカメラやフィルムも買ってもらえるようになった。
それでも月300万円には到底届かなかったが、旅館に行ってカメラを並べさせてもらったり、大手の旅行会社と契約して団体旅行に添乗し、撮影させてもらったりした。その結果、1年後には本当に月商300万円を達成できた。自分に「できること」を見つけて、次々と実践していったことが結実したのである。

ボトルネックがわかれば問題は解決できる

その後、佐世保三川内店をはじめ、他3支店の開業・運営を任された髙田氏は、そこでも今を全力で生きるポリシーを貫き、どんどん売り上げを伸ばしていった。
37歳のとき、「カメラのたかた」から独立し、「株式会社たかた」を創業。創業といっても、基本的には今まで見ていた店舗の運営を引き継ぐ形だったので、業務内容が大きく変わるわけではない。しかし、髙田氏は独立の翌年、ラジオを使ったタイムセールの宣伝を開始した。これが後に事業化するラジオショッピングの始まりだった。
破竹の勢いで事業を拡大させていった髙田氏だが、「自分に並外れた才能があるわけでは決してない」という。誰であっても、目の前のことに本気で取り組めば、おのずと何がボトルネックなのかが見えてくる。そしてボトルネックをクリアするためのアイデアも浮かんでくるというのが髙田氏の考えだ。

できる理由を考える

ラジオショッピングの幕開け

41歳のとき、髙田氏は地元局でラジオショッピングをやってみないかという誘いを受け、「試しにやってみるか」くらいの気持ちで出演した。すると、1台2万円のカメラが50台も売れた。
これなら毎日でもやりたいと髙田氏は思った。ただ、長崎では年2回しか放送をやっていなかった。そこで髙田氏は、熊本や福岡など周辺県へ積極的に足を運んでラジオ局の説得に務め、他地域での放送枠を着実に増やしていった。そして4年後の1994年頃には、全国ネットワークを形成するまでにいたった。
その年の5月、髙田氏は通販に特化した経営に切り替え、増え続ける注文に対処するための基盤を整えていった。このとき、売り上げは43億1000万円にまで成長していた。

ジャパネットたかたの誕生

髙田氏は、1993年から「ジャパネットたかた」という名称を使い始めた。全国でやりたいという気持ちからジャパンネット、言いやすさを考えてジャパネットとした。
ジャパネットたかたはラジオショッピングと並行するかたちで、1994年からテレビショッピングへの試験的参入を決めた。最初は採算度外視で、6つのテレビ局で週3回深夜に30分放送することにした。その後、ラジオでつながりができていた放送局の枠をどんどん買い、月に20本、30本と放送を増やしていった。
テレビに本格参入した95年には、売り上げが71億8000万円に伸び、99年には社名を正式に「ジャパネットたかた」へと変更した。

一生懸命にやった失敗はない

95年からは、カタログ通販と新聞の折込チラシも始めた。ご年配の方にとっては紙媒体のほうが買いやすいのではないかという配慮からだ。といっても、社内にこうしたものをつくった経験のある人は誰一人おらず、大きな金額を投資しても失敗してしまう可能性があった。
それでもやってみないことにはわからない。まずは社内で10人ほどのチームをつくり、薄い冊子のようなものを作成することにした。そこには、たとえ最初の数字が悪かったとしても、お客さんの反応(数字)を見ながら修正を重ねて数字を上げていけばいいという髙田氏の考えがあった。
傍から見れば失敗に思えることでも、本気で取り組んだ結果ならば、それは失敗ではない。「やらなかった失敗はあっても、一生懸命にやった失敗はない」というわけだ。

お客さま目線で独自のサービスを確立する

メーカーよりも販売店の方がお客さんに近く、お客さま目線で本当に必要とされる商品を考案できる――そう考えた髙田氏は、メーカーにお客さまの声を届け、オリジナル商品をつくってもらうようになった。
たとえば、ビジネスパーソンがメイン購買層だったボイスレコーダーを備忘録用としてシニア層に提案したところ、とても反響がよかった。ただ、ボイスレコーダーのボタンはどれも小さく、シニア層には押しにくいという課題があった。そこで、メーカーにそのことを伝え、シニア層向けに押しやすいボタンでつくってもらった。ジャパネットたかたでしか買えないオリジナル商品だ。
その他、パソコンやタブレットの初期設定サービスや大型家電の設置サービス、下取りサービスも、お客さま目線で考え抜いた結果、生まれたものである。

「伝わる」コミュニケーションを

3つの重要な要素

髙田氏は、他人に伝える際に必要なものとして、スキル(技術)、パッション(情熱)、そしてミッションの3つをあげている。
ミッションとは、「なぜ、何のために伝えるのか」という、その企業の根幹にあたる部分だ。ジャパネットたかたにとってのミッションは、「商品の先にある『感動』をお伝えし、商品を手にしたお客さまに『幸せ』をお届けすること」である。これが明確にあるからこそ、商品を手にするお客さんの幸せを想って、商品の魅力を伝えずにはいられなくなる。ミッションがあるからこそ、パッションが沸いてくるのだ。

伝えたいことを絞る

ミッションとパッションだけでも、ある程度相手に伝えることはできるかもしれない。しかし、コミュニケーションにおいては「伝わる」ことがなによりも大切だと髙田氏は述べている。相手に「伝わる」ためには、それ相応のスキルが必要だ。ここでは、髙田氏が26年間のラジオ・テレビショッピングの中で培ってきた考え方をいくつか紹介する。
まず、髙田氏が心がけているのが、「上手くではなく、わかりやすく伝える」ことである。専門用語を並べ立て、いかに上手そうにプレゼンをしても、見ている人の多くは理解できない。伝えたい相手の立場に立って、どのように話すと伝わるのかを真剣に考えるからこそ、「伝わる」コミュニケーションが生まれる。
また、伝えたいことを絞るのも効果的だ。5分間で1つの商品を紹介することになったとき、5分間で伝えればいいと考えるとうまくいかない。視聴者が最後まで見てくれるとは限らないからだ。飽きたらすぐに耳を傾けてもらえなくなるという前提に立ち、最初の1分間に勝負をかけるべきである。ビジネスシーンのプレゼンでも、これと同じことが言える。伝えるべきポイントを絞って、導入部分で聴衆を惹きつけるようにしよう。

「離見の見」の境地へ

髙田氏は本書のなかで折に触れ、室町時代に能を大成した世阿弥の考え方を紹介している。たとえば、「一調二機三声」という発声までのステップや、「間」の取り方、「序破急」という物語の型がそうだ。
「我見」「離見」「離見の見」というのも、世阿弥が説く考え方のひとつである。「我見」とは、舞台にいる演者(自分)が観客を見る視点のことを指す。「離見」は逆に、観客が演者を見る視点のことをいう。そして「離見の見」は、舞台で舞う自分自身の姿を、離れたところから客観的に眺める視点を意味する。世阿弥は、「離見」と「離見の見」を一致させることが大切だと述べている。
自分の視点だけで独りよがりの伝え方をしてはいけない。相手の目線から自分を眺めるよう努めるべきだ。そうすることで、はじめて「伝わるコミュニケーション」が生まれる。

一読の薦め

本書は、髙田氏のもつ「伝えたい!」という気持ちがそのまま具現化したような1冊だ。ぜひ書籍を直接お読みいただき、その全容をご確認いただきたい。読んでいるだけで元気が湧いてくるはずである。

※当記事は株式会社フライヤーから提供されています。
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著者紹介

  • 髙田 明 (たかた あきら)

    ジャパネットたかた創業者、A and Live代表取締役
    1948年長崎県平戸市生まれ。大阪経済大学卒業。阪村機械製作所に入社。入社2年目からヨーロッパに駐在し、機械営業の通訳に従事。74年平戸へUターンし、父親が経営していた「カメラのたかた」に入社。観光写真撮影販売から事業拡大し、86年に分離独立して株式会社たかたを設立、代表取締役に就任。90年からラジオショッピング、94年にはテレビショッピングに参入し、通信販売事業を本格的に展開。99年ジャパネットたかたに社名変更。2011、12年はテレビの販売不振で2期連続減収減益。2013年は、自らの進退を懸けて過去最高益更新の目標を掲げる。テレビに代わる商材の発掘、東京オフィス開設等々が奏功し、目標を達成。2015年1月、ジャパネットたかた社長の座を長男に譲り退任。同時にA and Liveを設立。2016年1月にはMCとしての番組出演も「卒業」。現在は地方創生への想いから「おさんぽジャパネット」というおさんぽ番組にのみ出演している。

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