リクルートVSボストン コンサルティング グループ
「僕らが人材輩出企業で学んだこと、身に付けたこと」 |
人材輩出企業の出身者が社外でも活躍できる確率は、一般企業の出身者よりも数段高い。なぜか。それは、20代で経験できる仕事の質・量、そして彼ら自身の“行動力”に秘密がある。いずれも人材輩出企業と名高いリクルート、ボストン コンサルティング グループのOBに自らの20代を振り返っていただいた。 《2005年1月号より抜粋》 |
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<編集部> 本日はお忙しい中、ありがとうございます。くらたさんが在籍中に「創刊男」の異名を取ったリクルートと、冨山さんが在籍したBCGとCDIという2つの戦略コンサルティングファームは、いずれも人材輩出企業として知られています。お二人の対談を通して、人材輩出企業が優秀な人材を輩出できる理由、社員のどこが優れているのかを明らかにできればと思っています。 <くらたまなぶ氏(以下・くらた)> 僕がリクルートに入社したのは25年前で、退社したのは6年前。当然だけど、会社も時期によって体制も社風も違う。その前提で話すけど、僕が20代30代を過ごした頃のリクルートは、まったくの「どベンチャー」。地方では無名で、新入社員の両親から「陸ルートだから運送会社か」とか言われたくらい。オレたちは誰にも知られてないのか、「ムカッ」みたいな(笑)。だから社内にはベンチャー魂があふれていた。 <冨山和彦氏(以下・<冨山> )> 私の知る限り、リクルートは社員が自分の名前で仕事をする会社という印象。良く言えば自由闊達、悪く言えばいい加減(笑)。実はリクルートはCDI設立時のスポンサー企業で、今は杉並区立和田中学校校長の藤原和博さんらがこの先どうなるかわからない時期のCDIにお金を出すよう上層部を説得してくれたんです。個≠ェ立つ会社だからアントレプレナーの供給源になったんでしょうね。 <くらた> そうだと思いますよ。当時の社内では「誰もやらなかったことをやる」、「すでにあることは違うやり方でやる」が合言葉だった。新たな一歩を踏み出すことを恐れない土壌があったわけです。 グレて入った会社でロックな仕事をする <冨山> 日本の会社には、大企業を中心にした「カイシャ幕藩体制」を支える旧来型の「カイシャ」モデルとアメリカ型の「コーポレーション」モデルしかなくて、私はそのどっちもピンと来ない。リクルートの創業は60年で、カイシャ幕藩体制が全盛の時代でしょ。起業や社内起業を善しとするリクルートモデルは本当に珍しかったと思う。どうしてリクルートモデルができたんだろう。不思議です。 <くらた> こういうことだと思うんですよ。江副浩正さんら東大生2人ではじめた会社ですが、どちらも東大では主流の学部出身者じゃなかった。江副さんは教育学部だったし、傍流だったからこそできたと思う。冨山さんは東大法学部からBCGなので、主流を行ったんでしょ。 <冨山> とんでもない。BCGに入ったのはグレたかったからですよ。 <くらた> そうなんだ!? <冨山> ええ。東大法学部はカイシャ幕藩体制の頂点みたいなところで、私はなるべく「オン・ザ・ロード」には乗りたくなかった。それでBCGを選んだんです。当時は「ボストンバッグ屋さん?」って言われましたよ。BCGに受かったあとで、司法試験に合格しましたが、こっちはもうグレる&向の勢いがついているから、法曹の道に進む気はなくなっていましたね。 <くらた> グレる≠ニいうのはいいキーワードですね。僕が入社した頃のリクルートはまさにグレたヤツが入る会社でした。海外ドラマに出てきた弁護士の姿に憧れて中央大学の法学部に入学したものの、最初の1週間で「コレは違う」と挫折。在学中から出版社でバイトをしているうちに、リクルートに出会ったという感じかな。だけど、グレるのはよくても、落ちこぼれてはいけない。 <冨山> そうそう。グレたからにはロックな生き方をしないと。いきがってロックをする以上、仕事も結果を出さないと格好がつかない。 BCG入社の翌年にCDIの設立に参加したのも、ロックの延長で、よくビジネス誌に取り上げてもらうときに理由にしている「『和魂』のコンサルティングの追求を掲げた経営理念に賛同した」というのは後付けの理由(笑)。社会人1年目の若造ですからね。会社を作るというのが面白そうだったし、そんな経験は一生のうちに何度もないだろうと思ったわけ。 <くらた> 「ロックをしろ」はいいメッセージになるね。東大法学部出身で法曹家の道を捨てた冨山さんが言うと説得力がある。ただ、仕事をするうえで注意しなくちゃいけないのは、やりたいことをやる、好きなことに熱中するにしても、自己陶酔型のナルシストはダメだってこと。自己満足だけで達成できることには限界があって、その先の他者満足≠ワで考えないとうまくいかない。だからマーケティングが大事になるし、マーケティングを突きつめると、「人の気持ちを知る」っていう、きわめてアナログの世界に落ちつく。 <冨山> コンサルタントの仕事も同じ。どれだけ人間を理解しているかで、数百万か、数千万、数億円稼げるかの差が出てくる。もちろん、難しい数値分析はします。だけど、それはあくまで説得の材料であって、最後は「<冨山> 」という人間性の勝負。その意味でも、CDIという当時無名のコンサルティングファームで働けたのは良かった。自分の名前で稼ぎ、失敗すれば自分のせいだと強く実感できたから。 <くらた> リクルートの採用は面接が9割。創業当初からSPIなどの人を科学する研究をはじめて、外販する前には社内でテストを重ねる。それでも結局のところ、人間は数字ではわからない。 ビジネスの成功には算数力より国語力 <冨山> リクルートはどんな人を採用するの? <くらた> 本当に儲けたいと思うからこそ他人とコミュニケーションが取れる人。リクルートは、お金を取ろうとすればするほど取れないことを知っています。職場にやってくる生保の営業マンが疎ましがられるのは、顔に「契約がほしい」と書いてあるのがミエミエだからでしょ。相手の気持ちを考えた提案をして、目的が達成できるように手助けするのが先で、お金や数字はその結果にすぎない。 <冨山> 経営者の中にも、それを勘違いしている人は多い。ある小売業の現場に「ROA(総資本利益率)を上げよう」なんて書いてある。違うでしょ。販売員は、お客さんが喜んで商品を買ってくれる姿にやりがいを感じるわけ。「ROAを上げろ」って言われて、心に響く人がどれだけいるか(笑)。 <くらた> 顧客も従業員も不幸だね。僕の持論なんだけど、できるビジネスマンが持つべき仕事の要素は常に3つ。一つは国語力で、二つ目が算数力で、三つ目は業界業種ごとの専門能力。国語力のある人は算数力のある人を「売上や原価のことばかり言いやがって」とバカにし、算数力のある人は「根拠のない御託ばかり並べて」と国語力のある人をバカにしがち。3つが揃えば理想ですが、どれが上かと言えば、国語力だと思う。 <冨山> くらたさんの本を読むと、「やまとことば」を意識して書いているのがよくわかる。ROAの例は論外として、高学歴のインテリやエリートと言われる人ほど、意味のよくわからないカタカナ英語や外来語、漢語を使いたがる。漢語はもともと中国からきた外来語だしね。アメリカ型の「コーポレーション」を目指す最近の経営者は、算数力の強い人が多い。 <くらた> いまおつきあいのある経営者が、ユビキタスがどうのこうのと言うと、「日本語にしてください」と注意しますよ。逆に、数字の裏づけのない経営者には、その根拠を数字で説明してくれるよう指摘します。冨山さんだったら、業績不振に陥った小売業の現場で働く人たちにはどう説明します? カイシャ幕藩体制が崩れ、一人称で仕事をする人が勝つ <冨山> 例えば、年配の人たちには、「皆さんに一人息子、一人娘がいるとします。その大事な息子、娘さんが将来は小売業をやりたいので、今はこの会社で勉強したいと言っています。皆さんは息子、娘さんが目を輝かせて働ける会社だと本心から勧められますか。胸を張って勧められる会社にしたいですよね。だったらそのように会社を再建しましょう」、と語りかけますね。 <くらた> なるほど。頭だけで考えて出てくる言葉じゃないね。冨山さんの言う「やまとことば」、僕は言葉がひらがなに落ちれば落ちるほど、俗人的になっていくと思っている。吉野家で牛丼復活したとする。一口食べて「うめえ?!」。この思わず出た「うめえ」こそ、その人の本音の感想。本音を引き出せるからこそ牛丼は商売になるんだと思う。 <冨山> みんな素直に「うめえ」と言えばいいのに、ビジネスの場では、意味不明のカタカナ英語や小難しい漢語を好んで使う。それは自分の好き嫌いではなくて抽象概念だから。「自分はこう思う」と一人称で意見や感想を述べると、その責任を取らないといけない。 <くらた> 役所の文書は作成した個人の名前を書かない。下手すると部署の名前すらないもんね。 <冨山> 役人に限らず、企業名や学歴に頼って仕事をしているビジネスマンも同じじゃないかな。でも、今やカイシャ幕藩体制の制度疲労は明らかで、「個」が立つロックな生き方が認められる時代。一人称で言った以上、責任は伴うけど、「プロ野球に参入したい」という夢物語だって実現する。失敗したってまたやり直せばいい。CDIも92年に経営危機に陥り、大リストラした挙句、立ち直ることができた。この経験がなかったら、今の自分はないと断言できる。結局は一人称でガチンコ勝負するヤツが勝つんです。 |
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