第二新卒世代「期待の星が登場」!  

不況しか知らないボクら世代が時代を創る!

京都大学の学生ベンチャーからブログサービスのトップランナーになったドリコムの26歳社長、裸一貫でベンチャーを起こし、売上179億円企業に育てたエスグラントの28歳社長。「第二新卒世代」の大者たちが、同世代に向けてメッセージを送る。 《2005年12月号より抜粋》

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(写真左から)
安藤正樹
さん
株式会社ドリコム  取締役

内藤裕紀さん
株式会社ドリコム  代表取締役

広瀬敏正さん
株式会社ドリコム  取締役
25、26歳で可能性を限定させちゃうのはソン!
まずは「動く」ことから始めよう。


“第二新卒”世代の代表として、同世代のビジネスマンをどう見ていますか。

広瀬 僕は採用担当で同世代の人たちをよく面接しますが、もっと多くの企業を回った方がいいと思う。なんというか、自分で自分の可能性を限定しちゃっている人が多 いというか……。就職活動や転職活動でも、自分から業種や職種を限定しちゃって、 せいぜい5?6社しか応募してないっていう人が多いよね。

安藤 やりたいことがわからないなら、まず「動く」ってことが大事。ドリコムも内藤のチラシ配りから始まってるしね(笑)。

起業のキッカケを詳しく教えてください。

内藤 僕はもともと「発明家」になりたいと考えてて、最初から会社員になる気はなかった。で、大学に入学してから起業に失敗したりいろいろもがいているときにビジネスプランコンテストで賞金を獲得できた。

安藤 その賞金を元手に、本格的に事業を始めようと大学でチラシを配りまくって仲間を募ったんだよね。

内藤 チラシは死ぬほど配りましたね。サークルみたいなものだったけど、「新しいことをやりたい」って思いだけは強かった。

広瀬 最初は大学の試験に関する情報をWebで公開して話題になった。確か4日間で3000人の会員を集めることができた。

内藤 この経験で、ポータルサイトは「集客力」があるっていうのはつかんだけど、それを具体的にどんなサービスに結びつけていくかまでは結構、試行錯誤したね。

安藤 大手広告代理店からの受託でIT事業の企画書作りなどを手がけた時期もあった。

広瀬 2002年3月に3万9000円だった売上が、受託の仕事を始めて、03年3月には7900万円まで伸びた。そういう受託を続けていくか、何かオンリーワンの 事業を立ち上げていくかでは3人の間でもけっこう議論があったよね。

内藤 でも、需要ありきという考えではなくて、「まったく新しい市場を創る」という気持ちは変わらなかった。何のために起業したのって聞かれたら、「新しいものを生み出すため」って答えたかったから(笑)。

広瀬 アメリカで「ブログ」っていうのが流行っているという話を聞いたのが、転機だったよね。

安藤 それで資金を集めるためにベンチャーキャピタルを回ったり、ブログをビジネスにしそうなポータルサイトやISP事業者に対して営業した。でも、本当にどこも冷た かった。ビジネス経験もない若造がシステムも作らず、企画書だけで営業しているん だから当然といえば、当然なんだけど。

内藤 ドリコムがブログサービスでうまくいったのは皆と同じ方向に向かわなかったことが大きいと思う。ブログの話を聞いたときに、個人向けのサービスはすぐに普及 すると思った。でも、そうなればサービスを提供する側の企業は体力勝負になる。それだと僕らは勝てない。だから、「法人向けはどうだろう?」って法人向けにブログシステムを販売する方向に考えていったんです。

やはり、「新しいことを作りたい」という気持ちを行動に移すことが大切だと。

内藤 そう、今をベースに考えても、局面を変えるのは難しい。人に会うでもいいし、本を読むでもいい、とにかく動かないと。あとは、身近な「誰か」を目標にして 「あの人のようになりたい」って思うことも1つの方法じゃないかな。20代は、仕事に責任があるか、ないかで身に付く能力が本当に変わってくる。だから、早く仕事を 任される環境に飛び込むことが大事だと思う。


26歳で年商179億円
ビジネスに若すぎるということはありません!


杉本宏之
株式会社
エスグラントコーポレーション
代表取締役


川崎市立川崎総合科学高卒。マンションの販売会社の営業マンを経て、2001年12月エスグラントコーポレーションを13人の仲間で設立し、社長に就任。躍進を続ける業界の風雲児
人に、どうやったら“年商179億円社長”になれるんですか?なんて聞かれます。でも、僕が成功できたのは「男は仕事を生活の中心にしなければいけない」と気付くのが早かっただけ。とにかく、働きまくってきただけです。

僕は、まさに八方ふさがりの環境からスタートしました。不動産業を営んでいた父は、会 社を潰して失踪。母はその心労で逝去。借金取りが自宅に押し寄せるような環境で、 高校生にもなるとすっかり荒れていました。

ところが、高3のときに転機はやってきました。不良同士のスゴイ喧嘩をやらかし たのですが、そのとき補導された警察官に「お前は、こんなことをしている奴じゃない。目をみれば分かる」と言われたんです。ちょうどその頃、友達が喧嘩で死んだりし て、鬱々としていたころだったので、警察官の言葉にハッとしました。

「よし!やってやろう」と、一念発起して、受験勉強を始め、大学に合格。でも、学費も心もとないし、大学の4年間は長すぎると諦め、就職することにしました。選ん だのは、不動産業界です。父の影響で、不動産だけはイヤだと思っていたのですが、なぜか「父ができなかった夢を達成してやる」と思ってしまったんです。

それからは、会社の寮に入ってひたすら営業に精を出す日が続きました。1年目 は、頑張ったのに泣かず飛ばずで辛かったですが、2年目には全社で4位の成績に。 これに発奮し、休みも取らずガムシャラに働いた結果、3年目にはついにトップに。 それからは3年連続トップの座を死守して、22歳にして管理職に昇進しました。

6人の部下は年上ばかりでしたが、寝食をともにして結束を固め、今度はチームで 最高売上を達成。年収も2000万円に達し、社長にも可愛がられ文句はありません でした。

でも、会社が上場を目指していないこと、デザイナーズマンションの建設に乗り気 じゃないことが、心にひっかかっていました。

単身者向けデザイナーズマンションは絶対にイケる―。そう確信した僕は、起業 を決断しました。父が不動産業であれだけ痛い目に遭っているのに、「やはり自分の手でイチからやってみたい」という思いが勝ってしまったんです。資金は知人からの借金と、貯金。社員は、前の会社のメンバーが13人ついてきてくれました。

ところが……。当たり前の話ですが、マンションには相当な資金が必要です。だから、最初は販売代行手 数料などで地道に稼ぐなど、生活維持のための仕事をしなくちゃいけない。これが、どうにも辛かった。悶々とした日を送っていたら、半年後には会社を潰しかけていました。仕方なく、資本金を貸してくれた知人に土下座して、また借金。ヤケクソになって社員にボーナスを払うと、社員が「社長、返します」と言ってきた……。このときばかりは、自分が情けないやら、社員の気持ちが嬉しいやらでワンワン泣きました。

これで目が覚めた僕は、「よし!またやってやる!手数料稼ぎだろうがなんだろう が、売って売って売りまくってやる」と覚悟を決めたのです。

それからの3ヵ月は業績が急伸。4ヵ月後には稼いだ資金をもとに、自社ブランドマンションの販売に漕ぎ着け、たった2週間で完売するという偉業を達成することができました。それからは、2003年に売上22
億、2004年に57億、2005 年に179億と会社は躍進を続けています。

このように、高3のとき警察官から言われた一言で得た「気づき」、挫折したとき に社員の励ましで得た「気づき」こそが、僕を成長に導いてくれたのです。ですか ら、転職やキャリアに迷う同世代の皆さんも、一日でも早く「自分がやるしかない」と気付いてほしい。人生が変わってくると思います。

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