経営トップが語る
「一流になれる人の条件」 |
苦境といわれた時期に米国アップルコンピュータに就任。その後、経営のトップとして手腕を発揮し、日本マクドナルドCEOへ異業種への転身が話題となった原田泳幸社長。若き日に「現場主義」とプロフェッショナリズムを徹底的に身につけた経験を持つ原田社長に次世代に求められるリーダーの資質についてお話を伺った。 《2006年2月号より抜粋》 |
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「コンピュータに関係する開発をやりたくて日本NCRに入社したんですが、いま振り返っても私のビジネスの基礎はすべてこの時代に叩き込まれ、いまの自分を支えていると思います」 学生時代、ジャズのバンド活動とアルバイトに明け暮れた原田泳幸氏は、外資系コンピュータメーカーの日本NCRに入社後、いきなり強烈なカルチャーショックを受けることになる。その先制パンチは、入社式当日にいきなりやってきた。 「私は入社式に30分も遅刻しましてね、大慌てで会場に駆け付けて入口の扉を開いたら、ちょうど会長が2000人の新入社員を前にスピーチしているところだったんです」 式が終了後、人事部主催の新入社員オリエンテーションが開かれたとき、名前を呼ばれた。 「会社はあなたに仕事の対価として給料をお支払いします。その第1日目から遅刻をするとは、いったい何ごとですか」 これから始まる6カ月間の新人研修を前にして、原田氏が2000人の新入社員を代表して叱られた格好となった。 英語で毎日レポートを書かされ、来る日も来る日も徹底したSEの適性検査が繰り返される厳しい研修期間を終えて正式配属になると、150人くらいの開発部隊が机を並べていたプレハブ倉庫に放り込まれた。開発設計に要求される厳しい仕様、納期、コストに直面した原田氏は、全体朝礼のときに勇気を出して直言した。 「どうしてこんな理不尽な納期やコストで仕事をさせるんですか。技術屋の満足と誇りは最高の仕事をやり遂げることです。満足のいかない状況で大量の仕事を押しつけられても、仕事のモチベーションは上がりません」 すると、一喝された。 「君は何を言っているんですか。我々がやっているのは研究ではなく、開発というビジネスですよ。お客様の要望にお応えして、期待される価値をご提供することでビジネスは成立するんです」 この直言騒動を機に、原田氏はマクドナルドなど顧客のビジネス現場に派遣され、ビジネスの本質を徹底的に叩き込まれることになる。 ある時マクドナルドの店舗カウンターで接客していると、キーボードにコーラをこぼしてしまうスタッフがいた。こうしたケアレスミスが続くと、コーラの糖分がキーボードの操作を悪くして、仕事が円滑に進まなくなった。この現場体験をもとに、原田氏は耐水性の強いフラットタイプのキーボードを開発し、顧客満足を高めることに成功した。 「私はこの現場体験から、仕事の真実はつねに現場にあることを知ったのです。顧客の現場には、技術屋が設計図面に描くことができない現実があった」 この原体験が、原田氏に「現場主義」を植え付けた。 ある日、自分が設計したシステムが故障するクレームを受けて現場に入り、入念に調べると、すぐに原因は判明。夜間の改装工事中に工事スタッフが誤って通信ケーブルを切断してしまったことが、トラブルの原因だとわかった。 自分の設計ミスではないことを確認した原田氏が、現場の設備担当者に「ケーブルを切断しないでほしい」と申し込むと、こう言われた。 「何を言っているんですか。うちはあなたのシステムに合わせて仕事しているんじゃない。うちの商売に合わせるのが、あなたの仕事でしょ」 原田氏は間もなく、切断トラブルに見舞われても自動的に回復するシステムを開発。現場が原田氏に仕事を教え、鍛えた。 NCRの本社があるアメリカでは、プロフェッショナリズムの厳しさに度肝を抜かれた。日本でパワーサプライの電源装置を開発した原田氏がアメリカ工場に呼ばれ、アメリカ人技術者が設計したパワーサプライとのプレゼンが開催されたのである。 「本社のトップにプレゼンするために、1週間くらいかけて侃々諤々の技術論を展開するのですが、日本人もアメリカ人もお互い技術屋同士なので仕事を離れても気心が通じ、すぐに仲良くなれました。だがプレゼンで私の設計が正式採用された途端、そのアメリカ人技術者は会社を去ってしまったのです。日本人の私は、“もし自分の設計が採用されなかったらまた次の機会に頑張ろう”くらいの気持ちでしたので、自分の職を賭して仕事に立ち向かうアメリカ人のプロフェッショナリズムに触れて、プロの厳しさを思い知らされました」 |
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