経営トップが語る
「一流になれる人の条件」 |
IBMの凄腕営業マンとして名を馳せ、その後アスキー、セガ、アットネットホームとコンピューター・通信業界のトップを走り続けてきた廣瀬禎彦社長。一転して、音楽業界に飛び込んだ今も「現場主義・顧客本位の視点」を実践し続ける廣瀬社長に、次世代の若手ビジネスマンのキャリア形成についてメッセージをもらった。 《2006年2月号より抜粋》 |
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「日本IBMに入社したことが自分自身のキャリア形成のスタートになったことは間違いありませんが、かなり早い時期から、いずれは転職するだろうと考えていたのも事実なんですね。転職をするなら30代くらいじゃないか、と思い浮かべていました」 廣瀬氏が描いた30代の転職は、やがて修正されることになるが、キャリアプランは明確だった。 「大学でコンピュータを勉強しましたので、日本IBMに入って最先端のコンピュータ技術を身につけたかった。しっかりした技術があれば、外に出るとき“売り物”になるだろうといった感じで」 廣瀬氏にとってコンピュータ技術の習得は、自分自身の市場価値を高める手段でもあった。しかし、日本IBMでの廣瀬氏の“育ち方”は、同僚や先輩と比べて、かなり異色だった。通常、職種別採用になっている日本IBMでは、入社時に選択した職種のプロフェッショナルとしてキャリアを積む人が多いが、廣瀬氏は職種横断的な異動を繰り返しながら、例外的なキャリアコースを歩いていった。ソフトウエアの開発エンジニアとして入社後、自ら志願して営業部門のSEに転身したことでキャリアコースが変わった。営業担当への異動辞令が発令され、IBM本社の海外勤務を経て帰国。広報宣伝部門を経験したのち、地方営業の最前線に飛び出していったのである。 「技術屋が営業にでると、毎日がカルチャーショックの連続ですよ。技術者はシステムの仕様をきちんと説明できればOKですが、営業はそれじゃ仕事にならない。商品やシステムをご提案して、最後に必ず“ご購入ください”と言わなければ、商談が成立しません。その一言が、なかなか言えないで苦労しましたよ」 異なる専門性が要求されるタフな日々を、どのようにして乗り越えていったのか。 「技術者は技術を通じて会社に貢献しますが、営業は営業活動を通じて成果を上げなければならない。会社に貢献するという点で考えれば、技術も営業も同じなんです。大切なことは、いつどのようなときでも組織における自分の立場を客観的に理解し、自分の果たすべき役割を実践すること」 そして、こう加えた。 「組織は組織の論理で人を動かしますが、まずは自分から組織に合わせる努力をすべきです。意に沿わない異動などは、どうしても否定的に受け止めがちですが、そうしたときこそ、自分の新たな可能性を試すチャンスと捉えて、肯定的にキャリアを積み上げていくことが大事なんです」 廣瀬氏は若い頃から、自分自身の置かれた立場を客観的に認識しようと、心がけてきたのだ。 「自分が自己採点した主観的な自己認識と周りが客観的に評価する自分にはギャップが存在し、そのギャップを克服しようと努力するところに成長があるからです。また、自分を客観視すれば仕事におけるコミュニケーションの仕方が見えてきますので、良好な人間関係が構築できるようになる」 駆け足でビジネス人生を突っ走ってきた廣瀬氏は、やがて大きな転機を迎える。43歳のときだった。 「米国のIBM本社で仕事をしていたとき、自分の人生を主体的に自己決定するアメリカ人を見て、衝撃を受けました。一緒に仕事をしていた幹部社員が、ある日会社を退職して、プロサーファーになってしまった。いくら1回きりの人生といっても、会社人間になりきっていた自分には、到底考えられない人生設計に思えました。それを契機に、自分も主体的に人生を決める生き方をしたいと考えるようになったのです」 |
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