何もかも受け入れた上で工夫することの大切さ
岩城氏がファッション産業と関わりを持ったのは、大学時代のアルバイトがきっかけである。当時、重松氏が店長兼バイヤーを務めていた『ビームス1号店』で販売を担当。その経験と意欲が買われ、バイヤー業務の中でも重要な「発注」業務の一部を任せられた。「できるなら任せてみる」主義の重松氏と出会ったことが、岩城氏の人生を大きく変えていくことになる。
77年大学卒業後、ビームス(当時は新光紙器・アパレル事業部ビームス)に入社。「週休2日、ボーナス年3回、2年目にニューヨーク駐在」という破格の待遇が約束されていた某中堅商社の内定を蹴ったのも、重松氏の誘いがきっかけだった。
「当時ビームスは成長拡大路線に乗り出した頃。ビームス1号店は実質的に重松さんと私の2名で動かしていたので、成功も失敗も全て自分たちに返ってくる。100%自己責任というのに魅力を感じたんです」
入社早々、2号店となる渋谷店の立ち上げを指揮し、2年目に『ビームスF』店長に就任。岩城氏は、多店舗化を図るビームスの先発隊として次々に新店オープンを手掛け、経営を軌道に乗せていく。
とはいうものの店舗経営は常に順調とは限らない。顧客を呼び込むためにビラ撒きをしたこともあれば、売れ残りの商品を捌くために表参道でワゴンセールをしたこともあった。
「正直、大学まで出た自分がなぜ、と思いましたね。でも重松さんが『自分が行く』というのでしかたなく……(笑)。こうした経験を通じて、物事からとことん学ぶことの大切さに気がついたんです」
一日に出合える出来事や情報の量にそれほど個人差はないはず。だが、同じ経験をしても「違いに気づき、そこから何を学べるか」で大きな差がつく、と岩城氏は指摘する。
「例えばDMの宛名シール貼りにしても、1000枚のシールを一番効率的に貼る方法を考えて工夫すれば、だんだん楽しくなってくる。どんな単純作業でも、『何もかもまずは受け入れて工夫』し、熱中してやるうちに知恵が出てくる。これは全てクリエイティビティにつながります。創造力というと『劇的に何かを変えるもの』と思われがちですが、僕はむしろ『連続的動作に工夫という変化を加えること』だと思うのです」
26歳のとき、ヨーロッパスタイルのセレクトショップの走りである『インターナショナルギャラリー ビームス』のディレクターに就任。イタリアに初めて一人で出張したのも、そんな頃のことである。
世界最大メンズファッション展示会『ピッティ・ウォモ』での買い付けのためフィレンツェを訪れた岩城氏だったが、交渉相手は生粋のイタリア職人。片言の英語さえ通じず、岩城氏は途方にくれた。だが、イタリアまで来て手ぶらで帰るわけにもいかない。サンプルを指差しながら身ぶり手ぶりで買い付け交渉を始めたものの、今度は「規定の最低発注金額に足りない」という問題が発覚。岩城氏は、偶然会場で出会ったライバルショップのバイヤーの知人と交渉し、2社分のオーダーを足すことで問題をクリア。無事大任を果たし帰国の途についた。
「貿易実務を勉強したのも日本に帰ってから。受注情報をメインバンクに持ち込んで輸入手続きを完了しました。このとき買い付けたのが、日本国内ライセンス契約を結ぶ前の『ジャンポール・ゴルチェ』。実は日本で初めてゴルチェのコレクションを仕入れたのは私です(笑)」
岩城氏が初の単独での海外買い付けという試練を乗り切れたのは、持てる創造力を全開にして臨機応変に状況に対応したからにほかならない。岩城氏の創造力は、thinkand action(走りながら考える)≠モットーとするビジネススタイルの中で培われたといえる。
「よくPlan‐Do‐Check‐Actionで『PDCAサイクルを回せ』といいますよね。でもPDCAをゆっくり回していては、皆に負けないまでも勝つことはできない。ビジネスに必要なのはスピードと、『球をいかにたくさん打つか』だと思うのです。事前にどんなに完璧に釣り道具や餌を揃えても、3、4回しか釣り竿を投げない人は100回投げた人に負けてしまう。大切なのは『数をこなすこと』です」