変化を捉える力に迫る!  

マーケットを切り拓く「創造力」

ビジネスを加速度的にドライブさせるために欠かせない「創造力」。マーケットを創り出してきた2人の先駆者たちの言葉から、創造力を養うための秘訣を探る。 《2007年1月号より抜粋》

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株式会社ユナイテッドアローズ
代表取締役社長
岩城哲哉


1977年武蔵大学経済学部卒業後、新光紙器(現ビームス)に入社。 同社取締役を経て退社し、89年ワールドとの共同出資によるユナイテッドアローズ設立に参画、 専務取締役に就任。2004年同社代表取締役社長に就任


「販売」とは最もクリエイティブな仕事

1989年創業以来、時代をリードするライフスタイル提案型小売業として成長を続けてきた、ユナイテッドアローズ。セレクトショップという業態の牽引役を果たしてきて、2003年3月に東証1部上場を果たし、06年3月期には売上高500億円を突破。さらなる成長と拡大を目指し、今まさに熱いチャレンジのさなかにある。

現在ユナイテッドアローズを率いるのが、04年8月に代表取締役社長に就任した岩城哲哉氏だ。岩城氏は創業者の代表取締役会長・重松理氏とともに、両輪で同社の経営に携わっている。

岩城氏は大学卒業直後から、店舗経営や企業経営の最前線で陣頭指揮を執ってきた。一大ファッション小売業グループの統帥となった今も、「苦労と感じたことは全くない」と言い切る。常に目の前の仕事に熱中し、あらん限りの創造力で取り組んできた岩城氏にとって、課題の解決はワクワクする経験ではあっても、苦しみとは無縁のものだったようだ。

「販売とは最もクリエイティブな仕事、というのが私の持論です。人が買い物をするとき、何を買うかはっきり決めていないことが多い。顧客は寂しさや不満、課題などを満たすために町に買い物に出かける。それを埋めるためには、商品だけでなく、人(接客)・モノ(品揃え)・器(店舗)の全てが十分な要素として揃っていなければならない。ショップとは単にサービスを提供する場ではなく、快適な時間と空間を経験するための場所≠ノ変わりつつあります。販売員とお客様が一緒になって新しいコミュニティを作り上げる――。その意味では非常に創造的な仕事だと思いますね」



何もかも受け入れた上で工夫することの大切さ

岩城氏がファッション産業と関わりを持ったのは、大学時代のアルバイトがきっかけである。当時、重松氏が店長兼バイヤーを務めていた『ビームス1号店』で販売を担当。その経験と意欲が買われ、バイヤー業務の中でも重要な「発注」業務の一部を任せられた。「できるなら任せてみる」主義の重松氏と出会ったことが、岩城氏の人生を大きく変えていくことになる。

77年大学卒業後、ビームス(当時は新光紙器・アパレル事業部ビームス)に入社。「週休2日、ボーナス年3回、2年目にニューヨーク駐在」という破格の待遇が約束されていた某中堅商社の内定を蹴ったのも、重松氏の誘いがきっかけだった。

「当時ビームスは成長拡大路線に乗り出した頃。ビームス1号店は実質的に重松さんと私の2名で動かしていたので、成功も失敗も全て自分たちに返ってくる。100%自己責任というのに魅力を感じたんです」

入社早々、2号店となる渋谷店の立ち上げを指揮し、2年目に『ビームスF』店長に就任。岩城氏は、多店舗化を図るビームスの先発隊として次々に新店オープンを手掛け、経営を軌道に乗せていく。

とはいうものの店舗経営は常に順調とは限らない。顧客を呼び込むためにビラ撒きをしたこともあれば、売れ残りの商品を捌くために表参道でワゴンセールをしたこともあった。

「正直、大学まで出た自分がなぜ、と思いましたね。でも重松さんが『自分が行く』というのでしかたなく……(笑)。こうした経験を通じて、物事からとことん学ぶことの大切さに気がついたんです」

一日に出合える出来事や情報の量にそれほど個人差はないはず。だが、同じ経験をしても「違いに気づき、そこから何を学べるか」で大きな差がつく、と岩城氏は指摘する。

「例えばDMの宛名シール貼りにしても、1000枚のシールを一番効率的に貼る方法を考えて工夫すれば、だんだん楽しくなってくる。どんな単純作業でも、『何もかもまずは受け入れて工夫』し、熱中してやるうちに知恵が出てくる。これは全てクリエイティビティにつながります。創造力というと『劇的に何かを変えるもの』と思われがちですが、僕はむしろ『連続的動作に工夫という変化を加えること』だと思うのです」

26歳のとき、ヨーロッパスタイルのセレクトショップの走りである『インターナショナルギャラリー ビームス』のディレクターに就任。イタリアに初めて一人で出張したのも、そんな頃のことである。

世界最大メンズファッション展示会『ピッティ・ウォモ』での買い付けのためフィレンツェを訪れた岩城氏だったが、交渉相手は生粋のイタリア職人。片言の英語さえ通じず、岩城氏は途方にくれた。だが、イタリアまで来て手ぶらで帰るわけにもいかない。サンプルを指差しながら身ぶり手ぶりで買い付け交渉を始めたものの、今度は「規定の最低発注金額に足りない」という問題が発覚。岩城氏は、偶然会場で出会ったライバルショップのバイヤーの知人と交渉し、2社分のオーダーを足すことで問題をクリア。無事大任を果たし帰国の途についた。

「貿易実務を勉強したのも日本に帰ってから。受注情報をメインバンクに持ち込んで輸入手続きを完了しました。このとき買い付けたのが、日本国内ライセンス契約を結ぶ前の『ジャンポール・ゴルチェ』。実は日本で初めてゴルチェのコレクションを仕入れたのは私です(笑)」

岩城氏が初の単独での海外買い付けという試練を乗り切れたのは、持てる創造力を全開にして臨機応変に状況に対応したからにほかならない。岩城氏の創造力は、thinkand action(走りながら考える)≠モットーとするビジネススタイルの中で培われたといえる。

「よくPlan‐Do‐Check‐Actionで『PDCAサイクルを回せ』といいますよね。でもPDCAをゆっくり回していては、皆に負けないまでも勝つことはできない。ビジネスに必要なのはスピードと、『球をいかにたくさん打つか』だと思うのです。事前にどんなに完璧に釣り道具や餌を揃えても、3、4回しか釣り竿を投げない人は100回投げた人に負けてしまう。大切なのは『数をこなすこと』です」

我々は会社員ではない創造的な商人である

33歳でビームスの取締役に就任。だが、ワールドとの共同出資により本格的な「総合生活産業」への進出をめざす重松氏とともに、89年8月に退社。2カ月後にユナイテッドアローズが設立され、岩城氏は専務取締役兼開発部長に就任した。以後ユナイテッドアローズは、新時代を牽引するトレンドセッターとして、市場やマスコミから注目を浴びる存在となっていく。

岩城氏は社長就任の挨拶の中で、こんな言葉を社員に贈った。「我々は会社員ではない、創造的な商人である」。では、創造的な商人とは何を意味するのか。岩城氏はこう語る。

「老舗は伝統を継承しながらも、時代に合わせて全く新しいものを生み出してきました。和菓子の『とらや』にしても、30年近くも前にパリにカフェを出店している。残すべきものは継承しながらも、今までやってきたことを1回ゼロにして再びやり直す、それが創造的商人の条件であり、その作業を続けてきた店や企業だけが長く存続することができる。創造とは、既存のものを壊して作り直すことの連続なのです」

だが、成長がいったん安定軌道に乗ると、惰性に陥りがちなのが人の常。創造的破壊と自己革新を繰り返すのは、口で言うほど容易ではない。多忙な日常の中で創造力をキープするためには、どのような工夫をすればいいのだろうか。

「あれこれ頭で考えるより、まずは声を出して体を動かすことです。体を動かしてみて、初めて違いに気づくことも多い。知恵とは違いを実感することから生まれます。『一見つまらないように見える中にも、何か違いがあるはずだ』という前提で考えたほうがいい。そして、採り入れるべきことは謙虚に採り入れる。それを習慣として続けられるかどうかで、かなりの差が出ると思います」

さらに、何気ない日常の中から微妙な違いをキャッチするためには、集中力も欠かせない。岩城氏が結婚式のスピーチで贈るメッセージに、『健康、基本に忠実、スピード』という言葉がある。いざというとき集中力を切らさないためにも、日頃からコンディション作りに心掛けておいたほうがよさそうだ。だが結局のところ、クリエイションを創出するエネルギーとは「情熱」をおいてほかにない、と岩城氏は断言する。

「情熱なしに新しいものを生み出すことはできない。情熱を持ち続けるためには、理想の姿を自ら考え、自分のアイデンティティに照らして価値ある目標を持つことが必要です。目標は人が決めたものでは意味がない。こうありたいと思う理想の自分と日常の自分とのギャップを埋めるためにチャレンジする。そのプロセスこそが、情熱を維持し、創造力を高めるポイントなのです」

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