〜キャリアを伸ばす秘訣に迫る〜  

ナレッジで展開する「オンリーワン戦略」

創造性に富んだ「自分だけ」にしかできないような仕事に携わりたい――。 オンリーワンの存在になることが、その唯一の方法といっても過言ではない。 独自手法で業界に君臨する経営者の言葉から、キャリアにおけるオンリーワン戦略を探る。 《2007年2月号より抜粋》

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株式会社ドリームインキュベータ
代表取締役社長
堀 紘一


読売新聞社を経て、三菱商事に入社。同社在職中にハーバード大学大学院でMBAを取得。その後、ボストン・コンサルティング・グループ(BCG)社長を11年務め、2000年6月、ドリームインキュベータ(DI)を設立


自己投資と努力が認められハーバードへMBA留学

経営コンサルタントの草分け的存在で、日本を代表するビジネスパーソンの一人でもある堀紘一氏。「日本を元気にしていく一助となりたい」という切なる想いから、ドリームインキュベータ(DI)を設立。「育てる」を使命として設立された同社は、2002年の東証マザーズ上場に続き、05年には東証1部上場を実現している。

商社マン、経営コンサルタント、経営者のすべてで成功した堀氏は、超一流のゼネラリストといえる。だが、堀氏自身は「20代から30代半ばまでは、一つのことを深掘りし、スペシャリティを追求すべき」だという。そして縦の深さがないまま、横に広げても意味がないとも。

ビジネスパーソンの円熟期は40代と50代の20年間というのが、堀氏の持論である。経験値と決断・瞬発力を兼ね備えた、この20年間に最高のパフォーマンスを発揮できるキャリアが理想的。「チームプレイが求められるビジネスでは、スペシャリティに加えて横の広がりを持つ“ゼネラリスト”でなければ大きな成果を出せない。その順番を間違えたり、横展開だけを目指さないことが重要だ」

そう若手にアドバイスする堀氏のキャリアを振り返ってみたい。

大学卒業後、読売新聞社に入社。上司の意向と違う事実や自分の意見を書けない不満もあり、20代後半で三菱商事に転職。経営と密に連携する全社広報室に配属された堀氏は、大企業での意思決定のメカニズムに強い関心を抱いた。

ただ、広報室の若手社員では、決定事項の戦略的背景を説明することはあっても、意思決定のプロセスには立ち会えない。堀氏は一計を案じた。経営幹部が集まって会社の重要事項を議論する場があり、通常は女性社員が弁当や飲み物を配る役目を務めていた。「その役目を代わってもらい、経営幹部が何を議論し、どう意思決定するのかを細かく観察した」

トップの意向や考えは、最終的には役員人事に表れる。そこで業務とは別に、毎年、独自の役員人事予想を敢行。当たると評判になり、社内の方々から予想を聞きに来る人が絶えなかった。

また三菱商事は、三菱グループの中核企業でもある。グループ全体の広報宣伝活動に関して、他社の広報部門と交渉・説得するのも堀氏らの仕事だった。「人が困っていると助けたくなる性分で、社員のよろず相談所みたいなこともしていた。同じ部署にいると仕事のやり方やモノの見方が一つになりがちだが、他部署、他社とつき合うことで、工夫が生まれ、違うモノの見方、意思決定の判断基準があることを学んだ」

入社5年目の堀氏は、上司に呼び出され、「ハーバードビジネススクールにMBA留学するよう」に言い渡された。この留学がコンサルタントへのキャリアを拓く転機となった。幅広い視点で広報の仕事に取り組んでいたこと、日々の自己投資が認められた結果だった。

30歳くらいのとき、「自己投資して一流のビジネスパーソンにならなければ、40代以降で勝負できないことに気づいた」と言う。堀氏が定義する一流のビジネスパーソンとは、何をしているかに関係なく、意思決定ができ、その決定を実践する意義・重要性を他人に伝えられる、他人の心に働きかけ、この人が言うならやってみようと思わせる信用がある、という3条件が揃っていること。つまり、一流のゼネラリストである。

幅広い知識・教養を身につける。そのための自己投資は惜しまなかった。丸の内の本社に通いながら、上智大学の夜学に通い、古今東西の文学・哲学書を読み、映画を観る。堀氏は日々の努力を重ね、33歳でハーバードに旅立ったのだ。35歳でMBAを取得して帰国。しかし、当時の三菱商事は部長就任が50代で、最年少役員が60歳弱。堀氏が意思決定できるポジションに就けるまで、少なくともあと20年は必要だった。しかも、運良くなれたとして、円熟期の終盤戦。帰国の翌年、BCG(ボストン・コンサルティング・グループ)に転職したのは、ある意味、当然の選択だったのだ。


経営コンサルタントとして横展開したBCG時代

「大組織の意思決定メカニズムを追求してきたことが、コンサルタントの仕事に役立った。いい提案をしても顧客の意思決定が遅れることはあるが、キーパーソンを見極め、トレードオフの関係の問題を整理し、解決課題の優先順位を把握することで、そうした事態を少なくできる」横展開を始めた堀氏が一流のビジネスパーソンの入口に立ったと思えたのは、40歳を過ぎた頃。BCGのコンサルタントとして5年の実務経験が必要だった。納得できる仕事ができ、顧客も満足してくれる状態。堀氏は副社長に抜擢された。

1989年には代表取締役社長に就任。その後、11年にわたって社長を務め、ビジネス拡大を実現。コンサルタントの地位を高め、コンサルティングファームの認知度向上にも大きく貢献した。だが、円熟期の終盤戦を迎えた00年、堀氏は新たなチャレンジを決断。オンリーワンのキャリアを歩きはじめたのである。「日本の組織の最大の問題は、全ての組織が特殊法人化し、今の地位とそれに付随した権限と利権を守るのに必死になっていること。このままでは日本の再生はなく、このシステムを自分一人からでも変えなくてはいけないと心底思っていた。ある日、『オレも下手すると特殊法人の理事長みたいになってしまう』と気づき、BCGの社長を辞めなくてはと思った」

むろん、ほとんどの経営者はそうは考えない。それどころか、なぜ自社の役員や部課長は辞めず、会社は少しも変わらないのかと思っている。社員も同様で、自分は辞める必要も変わる必要もなく、周りの人が辞めるか変わればいいと考えているものだ。会社が変わらない理由はここにあった。


やりたい仕事に就けるオンリーワン人材の強み

DIは、新進気鋭のベンチャーからエクセレントカンパニーと呼ばれる大企業までを一気通貫で支援するコンサルティングファームである。同社では多様なバックグラウンドを持つプロ人材を社内で融合。ビジネスプロデューサーとしての実践的な企業支援が他社にない特長だ。「ベンチャーと大企業が互いの良い面を学び合いながら切磋琢磨していくことで、日本の産業界に活力と新しい息吹を吹き込みたい」また事業パートナーという立場で、ベンチャー企業の事業成長の加速を目的とした自己資本投資も行う。顧客とリスク・リターンを共有し、広範な大企業ネットワークを活かした「優良株主作り」などで、成長や上場を後押ししている。

DIには、大手戦略ファームからのオファーを断って入社した人材が少なくない。あえて設立間もない同社を選んだ。堀紘一というオンリーワン人材の下で学ぶことが、自分が一流になる最善の方法だと確信しているからだ。「これはと期待する人の失敗を指摘するときには、失敗の本質を直視してもらいたいので、他に責任転嫁できないよう事前に証拠集めをして臨んでいる」堀氏が社長の地位と権限を自ら捨てることによって、BCGは堀氏抜きで新たなステージへ進めるファームに変わった。環境を一新した堀氏も内面的に若返り、「未来のホンダやソニーを100社創出する」というやりたい仕事に就けた。オンリーワンのゼネラリストは、どんなキャリアも実現可能なのだ。

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