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NHN Japan株式会社
ゲームアライアンス事業部
事業部長
プロデューサー
瓜生 貴士 氏 (34歳)
大学中退後、1997年にベンチャーのゲーム制作会社へ企画職として入社。99年に大手ゲームメーカーへ転職。プロデューサーとして家庭用ゲーム機向けゲームソフトの企画・制作・販売やオンラインタイトルの立ち上げに携わる。同社を退職後、外資系のゲームメーカー、フリーランスを経て2005年9月にNHN Japanへ転職
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夢を形にするためにパートナーとして会社と組む
『ハンゲーム』などのサイト運営を通じ、多彩なオンラインゲームやコミュニティサービスを提供するNHN Japan。同社の瓜生貴士氏は、会社とのパートナーシップを築くことで、キャリアアップしてきたプロデューサー。同社の人気コンテンツである『プロ野球 ファミスタ オンライン』をプロデュースするなど、今まで培ってきたスキルを活かし、同社のキラーコンテンツの創出に携わり、自分と会社のwin-winの関係を体現している。
そんな同氏の職歴の中でも学ぶことが多かったのは、1999年から5年間の大手ゲームメーカー勤務時代であるという。ここで二人のカリスマ・プロデューサーに影響を受け、プロデューサーとして開眼した。
「『お前は凝り性で、一カ所に入り過ぎる。大局を見ろ』とよく言われました。作品に新たな価値を与え、作品を商品にすることがプロデューサーの役割なんだと学びました」
大手ゲームメーカー時代には、家庭用ゲーム機向けアクションゲームのヒット商品も生んだ瓜生氏だが、最大の転機は、オンラインコンテンツの立ち上げだったという。
「コミュニティで友人と会ったら名刺交換ができる機能など、今のコミュニティサイトにある機能をほぼ網羅しました。今から8年前のことです。各方面から高く評価と言われます。私の気持ちのなかでは、その時できなかった続きを今『ハンゲーム』でやっているんです」
その後瓜生氏がNHN Japanに転職したのは、大手ゲームメーカーを退職し、外資系ゲームメーカーを経てフリーランスだった時のこと。当時、オンライン・コミュニティが成長の兆しを見せていた。気ままなフリーランス生活を送るなかで、ある日突然、もう一度それに携わりたい思いに駆られたのだという。
「実は夢があるんです。私は子供の頃、いじめられっ子でした。当時の私にとって、歌やマンガ、テレビ番組などは、辛い現実を一瞬忘れさせてくれる、また勇気づけてくれる存在でした。私も今の子供たちに向けて、オンラインゲームでそのようなモノを作りたいんです。でも個人で億単位の資金を集めるのは無理。私のそんな思いに投資してくれる協力者が欲しくて、転職したようなものです。当社の社長は、私の思いを聞いて『わかる』と言ってくれたことで意気投合しました」
瓜生氏は、会社と自分の関係は「お互いに利用し合うのでなく、パートナーシップ」であるという。
「会社は人格を持った生き物だと思うんです。自分と会社の関係を人と人との関係と同じと考えると、いい関係が見えてきます。自分は会社に何がしてあげられるのか。いい会社であれば、自分は見返りを求めずに自然と何かしてあげられると思います。ただ、会社は自分に何をしてくれるのか。何もしてくれない冷たい会社は多いけれど、NHN Japanには温かい人格を感じています」 |