“企業の経営請負人”澤田貴司が伝授する  

「自立」で創るビジネスの醍醐味

会社の看板ではなく、どこに行っても通用する自分の強みを誰もが持ちたいと願う。そのためには、どんな仕事の仕方をして、どんなキャリアを歩むべきなのか。 自ら道を切り開いてきた、リヴァンプの澤田貴司氏がキャリアを振り返り、自分ブランドの育て方を伝授する。 《2007年8月号より抜粋》

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株式会社リヴァンプ
代表パートナー
澤田貴司 氏


1981年上智大学卒業後、伊藤忠商事に入社。イトーヨーカ堂とセブン-イレブン・ジャパンのプロジェクトに参画し、米国セブン-イレブンの買収に携わる。97年ファーストリテイリング入社。副社長に就任し、営業部署の責任者としてユニクロの急成長に貢献。2003年2月キアコンを設立し代表取締役に就任。2005年10月リヴァンプを設立
私にとって、苦楽をともにした仲間以上に大切なものはない。彼らの助けがあって、ここまでこられた
キャリアとは人によって作られるもの。大事なことは『どんな仲間と、何にチャレンジしたか』ということです。僕にとって仲間以上に大事なものはない。苦楽を共にした仲間は、一度離れてもブーメランみたいにまた戻ってくる。仕事に対しては絶対に妥協しないけれど、人に対しては愛情深く、仲間として接する。その姿勢が、今のキャリアを作り上げたんだと思う」

そう語るのはリヴァンプの代表パートナー・澤田貴司氏。いわゆるファンドとは一線を画し、支援先企業により深くコミットした文字通りの“企業の経営請負人”として、ビジネス界の注目を集めている。

クールな利益追求ではなく仲間とビジネスを創りたい


同社のビジネスモデルは、支援先企業に出資して自らリスクを取り、ケースによっては取締役などに就任し、企業の再生や成長のための施策を実行する。しかも支援先企業の株式は保有することを前提としている。支援先企業の株式売却で利益を上げるファンドとは違い、企業価値が本当に上がることで利益を上げる仕組みだ。

「ファンド・ビジネスは、クールでなければできないように思う。投資家のために、徹底的に利益を追求することが重要である。しかし僕はそんなふうに割り切れない。いい仲間と一緒に新しいことをはじめ、挑戦し、最後には社員と抱き合って涙したり笑ったりしていきたい。その思いが、リヴァンプ創業原点でもあるんです」

そんな澤田氏は大学卒業後、伊藤忠商事にてキャリアをスタートさせる。6年間事務職に従事した後、化学品の営業に異動。そこからメキメキと頭角を現し、トップクラスの営業成績を上げるまでになった。その要因を澤田氏は次のように語った。

「常に貪欲に仕事をしていましたね。与えられた仕事をただこなすのではなく、そこから自分なりに工夫することで、もっと何かできるはずだ、ということを常に考えていました。例えばある商品がマーケットで売れたと聞くと、売れた理由が知りたくて工場に出掛けていく。現場で話を聞いていると、興味が湧いてさらにのめりこんでいく。そんなことを繰り返すうちに、営業成績も右肩上がりで伸びていったんです」

その活躍ぶりが評価され、33歳の澤田氏に一世一代のチャンスが巡ってくる。倒産した米国セブン‐イレブンをイトーヨーカ堂と一緒に買収するプロジェクトチームの責任者に抜擢されたのだ。数百億円を投じたこのプロジェクトを見事成功に導き、期待に応えた澤田氏だったが、ここがキャリアのターニングポイントになったという。

 未知の領域だった流通業で自分の力を試したくなった


「このプロジェクトを通して、自分のキャリアの方向性に、迷いが生じはじめたんです。それまでやってきたのは、船一隻に化学品を積んで運び、売る人と買う人の間をつないで数億円の売上を上げるビジネス。伊藤忠の看板が頼りの仕事です。かたやセブン‐イレブンは、10円単位の商品を数千店舗でコツコツ売り、『良い商品を作って、24時間良いサービスを提供する』という仕組みで、数千億円の利益を上げている。世の中にはこんな商売があるんだ、この仕組みを作った人はすごい、と思ったんです。これまで考えもつかなかった世界を見せられたように、流通業に引き込まれていきました」

流通業が秘める膨大な可能性に注目した澤田氏は、流通ビジネスに進出する企業内起業プランを提案した。しかし経営会議では却下。その結果を受けて、伊藤忠商事を去ることを決断する。その後、エージェントの紹介で出会った柳井正氏と意気投合し、ファーストリテイリングに入社。ユニクロの大躍進がはじまる前の1997年、38歳の時のことだった。

ユニクロでは「店長候補」として、アルバイトやパートと一緒に働くことになった。しかし現場に出ると、柳井社長が語る夢と現場にズレを感じたのだ。澤田氏は持ち前の追究心で、そのギャップを分析。毎日レポートにまとめて柳井氏にファックスを送った。その熱意を買われ、入社2カ月後に経営企画室長に就任、半年後には役員、さらに半年後には営業を統括する副社長を任されることになった。まさにトントン拍子の昇進だが、特別ポストを意識して頑張ったわけではないと澤田氏はいう。



「私が仕事をする上でまず考えることは、この会社はどうしたら良くなるかということなんです。だから例え相手が上司や先輩であろうと、間違っていると思うことは、間違っていると主張してきました。議論もしたし喧嘩もしたけど、それが結果として、柳井さんのやりたかったことと一致していたのかもしれません」  

真正面から改革を進め、結果を出した澤田氏。当然「次期社長に」という声が挙がったが、それを固辞してユニクロを退職した。「『自分で起業したい』という想いがあったんです。だから今度は、自分の志に共感してくれる仲間と新しいビジネスを生み出したいと思った」と語る。

その後、2003年に企業再生ファンドのキアコンを設立。充電期間中に、アメリカで出会った企業再生ビジネスに魅了されたことがきっかけだった。 「流通業は日本の140兆円の消費を支える“どでかいマーケット”。その半面、近代化が遅れていました。これから必ず問題を抱える企業が多くなるだろうと見込んだんです。セブン-イレブンのプロジェクトやユニクロでの経験を活かして、そういった会社の再生を支援したいと思い、起業したんです」

しかし、じきに澤田氏は、自らがやりたいことと、「ファンド」という形態の間で限界を感じはじめることとなる。ファンドというビジネスモデルは、会社を安く買い、再生して株式価値を高める。そしてさらに高く売って利益を上げることが原則だ。 「例えば、もう少しで会社の経営が軌道に乗るという場合でも、『このまま会社を売れば儲かるから、早く売れ』と出資者から求められれば、多額の資金を預かった以上、無視するわけにはいかないんです。会社や人ととことん向き合えない仕事は自分にはできない」

そう思った時、澤田氏はキアコンを畳むことにしたという。


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