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有馬 隼人 |
ありま・はやと 1977年生まれの29歳。高校時代にアメリカンフットボールをはじめ、QBとして活躍。関西学院大学に進み、年間最優秀選手であるミルズ杯を獲得。その後TBSにアナウンサーとして入社するも、現役選手へ復帰。的確な判断力が持ち味 |
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努力によって作り上げた確固たる自信があれば
逆境さえも楽しめる
自身のキャリアを構築していく中で、ふと、自分が歩んでいる道の選択に疑問を感じたことはないだろうか。それまで考えもしなかった新たな可能性を見出してしまったら――。
そんな自己探究心をくすぐられ、安定した環境を振り切って、アメリカンフットボール選手に本格復帰した人物がいる。
元TBSアナウンサーで、現在はアメリカンフットボール・Xリーグ、アサヒビールシルバースター所属の有馬隼人である。
アメリカンフットボールをはじめたのは高校時代。攻撃の要となるポジション、クォーターバック(以下、QB)で主にプレーし、人と人とが激しくぶつかり合う半端ない格闘技的側面と、練りに練った緻密な作戦を要するアメリカンフットボールの魅力にのめりこんだ。その後進学した関西学院大学でもQBを務め、4年生時にはリーグ戦で全勝優勝を果たす。1999年度の年間最優秀選手にも選ばれ、存在感を見せていた。
しかし、当初から、卒業後に選手として活動するつもりはなかったと話す。
「アメリカンフットボールを学ぶ中で、海外と比べ、日本のスポーツを取り巻く環境が整っていないことを実感したんです。選手としてではなく、外からスポーツの活性化と選手の才能を伸ばす環境作りをしていきたいと思った」
現役を退き、2001年にアナウンサーとしてTBSに入社。情報を伝え、広めるという立場からスポーツとの関わりを深めていった。しかし仕事が充実する一方で、「ふつふつと湧き上がるアメリカンフットボールへの思いを抑え切れなくなった」と当時を振り返る。
「アナウンサーの仕事を通じて、厳しい環境下でも好きなスポーツに打ち込んでいるアマチュア選手の姿を目の当たりにし、心を動かされたんです。自分も、アメリカンフットボールでできるところまで挑戦したくなった。同時期に大学の後輩たちが、ライスボウルで社会人チームを倒したことも、復帰への後押しになりましたね。僕自身、学生日本一になった経験はありましたが、最後は社会人と対戦して負けて終わっていたんです。どこかにやり残した感があった。もう一度、頂点を目指したいと思ったんです」
再びアメリカンフットボールに全精力を注ぐ覚悟を決め、2004年3月にTBSを退社。その後は知人の協力を得て、人材派遣や旅行代理業務などを展開しているディーレンジで働きながら、アメリカンフットボールと正面から向き合う生活がはじまった。
安定した職を捨て、一見、リスクが高そうな環境に身を置くことに不安はなかったのか。
「もちろん不安はありましたよ。最初の1年は、収入面では3分の1に減りましたしね。選手としても、復帰した当初は相手の大きさを間近で感じるからか、恐さもあった。でも、自分の努力次第でどうにかなると、その状況を逆に楽しむことにしたんです」
しかし、選手としてのブランクもあってか、試合感覚が掴めず、出場の機会に恵まれない時期もあった。それでも、好きであることが原動力となり、アメリカンフットボールへの情熱は決して失われなかったという。どんなに仕事が忙しくても練習や試合には必ず参加し、個別の筋力トレーニングも毎日欠かさず行うことを自分に課した。その成果は、学生時代よりも上回った走力、筋力が物語っている。
人一倍の努力と精神力で、今、現役選手としてフィールドに立っている有馬は、次なるビジョンをこう明かす。
「後輩には、世界で通用する力を持っている選手がたくさんいる。だけど、今の環境では、どんな逸材であっても大学卒業とともに活躍する場を失ってしまいかねない。そんな状況を今度は内側から変えていきたいんです。彼らが実力を発揮できる環境を作ることができれば、日本のアメリカンフットボールはもっとおもしろくなる。そのためには認知度を高める必要があるんです。僕ができる第一歩として、元アナウンサーという異色のキャリアに着目し、取り上げてくれるメディアとタッグを組む。そこから一人でも多くの人に、アメリカンフットボールのおもしろさを伝え、ファンを作っていきたい」 |