壁を乗り越えたあの瞬間 スポーツキャリアの転機

第一線で活躍するビジネスパーソンは、自ら転機を作り、自立したキャリアを歩んでいる。さらに過酷なスポーツ界で勝ち残る選手は、どうやって壁を乗り越え、キャリアを積んできたのか。厳しい世界で生きる彼らから、そのタフさを学ぶ。
第9回 格闘家 船木 誠勝 Masakatsu Funaki
船木 誠勝
ふなき・まさかつ 1969年生まれ、38歳。中学校卒業後、新日本プロレスに入団。その後、総合格闘技団体であるパンクラスを設立するも、2000年に引退。俳優業などで活躍していたが、2007年の大晦日に復帰

大晦日の試合は おそらく人生で2度目の転機となる


2000年、一度は一線を退いた。それでも、頭の奥底にある「現役復帰」の文字がふとした時に蘇る。2007年、ついに12月31日の大晦日に復帰することを決意した船木誠勝、38歳。 プロレスラーとして、1990年代のプロレス界で長きにわたって活躍し、真剣勝負を求めて自身でも格闘技団体・パンクラスを設立。常に時代の先端に立ち、おくすることなく突き進む格闘家だ。

「自分の転機は、やはり15歳でプロレスの世界に入ったこと。中学校卒業後は働こうと考えていたら、同級生が入団テストの広告を持ってきてくれたんです。体力には自信があったし、これしかないと思った」

プロレス界の門をたたいた船木を待っていたのは過酷な巡業生活。試合は年間200試合を越え、移動しながら洗濯など身の回りのことはすべて自分で行った。中でも2、3年経験を積んだレスラーの登竜門として送られる海外巡業は、船木に強烈なインパクトを与えた。 「海外では他人と自分の境界線がはっきりしているので、個性の打ち出し方を学びましたね。お客さんの反応もシビア。良くなければ試合に使ってもらえない。試合に出られなければお金がもらえない。好きなことを仕事にしたものの、それを突き詰めるというのは本当に難しいことだと実感しました。帰国した時には日本の風景がすごく変わって見えましたね」

日本に戻った船木は、新たなステージで自分の力を試してみたいと考え、所属団体から離れることを決意。

「いくつかの団体を渡り歩き、新しいものを追い求めていくうちに、最終的に自分が理想とする団体を創ってしまおうという考えに行きついたんです」

ショー的な要素が強いプロレス界に一石を投じるため、日本では革新的なノックアウト制を導入した肉体と魂のぶつかり合い、まさに真剣勝負を追求した格闘技団体・パンクラスを設立。「時代が求めている格闘技は、リアルファイトしかない。見に来てくれる人をどれだけワクワクさせられるかが成功のカギ」と考えた船木。その後も、格闘技のリアリティーを掲げて、さまざまな団体が派生していったが、船木は格闘技の神髄を追求した、時代の先駆者であることに間違いない。

「年末の試合は、おそらく人生で2度目の転機となるかもしれません。15歳でプロレス界に入ったのと同じくらい、刺激のある忘れられない瞬間になると思う」

7年ぶりの舞台。それは、船木に第二の人生を与えようとしている。現役引退後は、俳優業などで穏やかな生活を送っていた船木。しかし、昨年、後輩レスラーのセコンドを務めたことがきっかけで、ある感情に気が付いた。

「一緒にトレーニングをしていると、すごく『生きている』感じがした。その時ふと『俺はどこに向かっているんだろうか』と思ったんです。格闘技の世界に戻ることはある意味、楽なことだと思い、ほかにできることを探し続けていました。でも、同世代の選手たちが体を張って格闘技界を支えている中で、自分だけを大切にして生きていていいのか、それこそ息が詰まるくらい悩みましたよ」

考えに考え抜いた末、出した結論は“現役復帰”だった。

船木は強さと覚悟が入り混じった笑顔でこう締めくくる。

「再び格闘技のあり方を問われている今だからこそ、自分が参戦することで光の1本くらいは差し込むことができるかもしれない。だからこそ僕はまだ隠居できない」

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