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フリーアナウンサー 山中秀樹氏
早稲田大学第一文学部卒業後、1981年にフジテレビ入社。報道番組のキャスターからバラエティ番組まで幅広く活躍。2006年末に退社後はフリーアナウンサーとしてTBSラジオ月曜日20:00?22:00「こちら山中デスクです」、NTV月曜日22:00?22:54「オジサンズ11」などに出演中 |
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「部下は自分の子どものようなもの。
かわいがるだけでは育たない」
テレビのアナウンサーは特殊な職業だ。テレビ局の会社員でありながら、視聴者や制作現場からはタレント的な資質も要求される。当然、個性の強い面々が集まるし、マネジメントする側にも個々の良さを伸ばすスキルが求められる。
現在、フリーのアナウンサーとして活躍する山中秀樹氏は、フジテレビのアナウンス室において最終的には専任部長のポストを務めたキャリアを持つ。40代に入ってから管理職としてのデスク業務を担うようになり、部下であるアナウンサーのスケジュール管理や給与査定に携わるようになった。
「番組改編の時期に新番組のキャスティングを決めるのはトップの室長です。その下にいる部長職は、日々の勤務ローテーションを組むのが役目。制作現場から特番やミニ番組にアナウンサーを使いたいと依頼が来たときに、誰を出すか決めるのも我々の仕事でした」
もう一つ、管理職に課せられる重要な責務が人材育成だ。毎年GW明けから6週間にわたって行われる新人研修や、系列局のアナウンサーを対象とした研修では、自ら講師として指導にも当たる。だが、そこにはテレビ局ならではの難しさがあったという。
「男性アナウンサーは、時間をかけて育てる余裕がある。でも女性アナウンサーの場合は、制作側がどうしても新人アナウンサーを使いたいと言ってきますから、早く現場に出さなくてはいけない。我々としては『何も話せないような人間を現場には出せない』と思っても、現場からは『話す技術がなくてもかわいいなら』なんて言われる。そういうジレンマはあったし、管理職になった当初に悩んだ点でもありますね」
だが、そうした現実がある以上は、現場で学習してもらうしかない。「アナウンサーは育てる≠フではなく、育つ≠烽フだと考えるようにした」と山中氏は話す。
「新人研修でも『最初の1年はどんどん失敗しろ』と言っていましたね。現場で失敗して、そこから自分で学んでいくしかない。我々もいったん現場に出したら、こちらからは何も言わない。伸び伸びやらせるのがフジテレビの伝統でしたし、それぞれの個性を伸ばすコツでもあると思いますね」
たとえ転んだとしてもすぐに手を差し伸べない
フジテレビの新人研修は非常に厳しいことで有名だ。アナウンサーは現場に出ればちやほやされることも多い。専門職としてのプライドと企業人としての自覚を持たせるためにも、厳しさは必要だ。しかし、研修が終了した後は余計な口出しをせず、自主性に任せるのが基本だったという。
「新人なんて、よちよち歩きの赤ん坊と一緒。でも我々は、赤ん坊が転んで泣いたとしても、すぐに駆け寄って抱き起こしたりしない。ただし、転んだところはちゃんと見ています。自分で起き上がるなら見守るし、どうしても起き上がれずに手を伸ばせば助けを出す。彼らの方から『出演番組をチェックしてください』と言われれば、喜んでやりますよ。でもこちらから 『この前の生放送のVTRを持って来い』とは決して言いません」
部下のしかり方も、この職業ならではの配慮が必要だった。一般企業なら仕事を評価するのは上司に限られるが、アナウンサーの場合、ミスをすれば全国からクレームが寄せられる。上司がしかるまでもなく、本人が反省するだけの材料はそろっているのだ。
「そうは言っても、取り返しのつかない失言などは注意しなくてはいけない。ただし本人は充分落ち込んでいるので、あえて失言の内容には触れず、『生放送の怖さを思い知ったか?』とだけ言っておく。人前に出て話す立場にいることの自覚を再度促すのが、上司の役割だと思いますから」
新人研修では厳しく熱血的な指導をすることで知られた山中氏だが、「別にしょっちゅう怒っているわけじゃないんですよ」と笑う。むしろ当時は、無理な要求をしてくる制作現場の人間と激しくやり合うことの方が多かったという。
「いわゆる売れっ子には、どうしても仕事が集中する。だからといって、何週間も休みなしに働かせるわけにはいかない。『部下を休ませるのも自分の仕事だから』ときっぱり断ったこともある。制作現場がAというアナウンサーを指名したら、なかなか仕事が回ってこないBやCを薦めることもある。そうやって制作サイドと闘う姿を見て、若い連中が僕を信頼してくれた部分もあったでしょう」
フリーになって1年以上経ち、「会社を辞めて初めて、部下は自分にとって子どものようなものだったのだと気付いた」と山中氏。
「孫はかわいがるだけでいいけど、子どもは親がしつけなくてはいけない。以前の部下が出演する番組を見ると、いまだに話し方が気になるんです。他局のアナウンサーは孫のように見守れるのに(笑)。それだけ彼らには『きちんと育ってほしい』と願っていたのだと気付いて、自分でも驚いているんですよ」 |