ビジネス・プロフェッショナル 岩瀬大輔氏の選択
「だから、ベンチャーが面白い。」 |
“ネット生保”という新業態で今春のサービス開始を目指すネットライフ企画。その副社長を務めるのが岩瀬大輔氏だ。ハーバード・ビジネススクールを卒業して帰国後、すぐにこのベンチャー企業立ち上げに参画。生保業界において独立系の新会社設立は実に戦後初であり、同社は今、業界内外から大きな注目を集めている。この大いなる挑戦に踏み切った岩瀬氏のキャリアを追ってみたい。 《2008年3月号より抜粋》 |
ネットライフ企画株式会社
取締役副社長
岩瀬大輔氏 (32歳)
取締役副社長
岩瀬大輔氏 (32歳)
生命保険分野のベンチャー企業、ネットライフ企画は今春のサービス提供開始を目指し、現在準備の最終段階に差し掛かっている。日本生命出身の出口治明社長らと共に、ネット生保≠ニいう新分野を立ち上げるべく奔走しているのが、副社長の岩瀬大輔氏だ。
「一度きりの人生、挑戦しないと損だと思う。リスクはあるかもしれないけど、その大半は見栄とか『人と同じじゃないと心配』とか、漠然とした不安に過ぎません。本当のリスクなんて実はそんなにないと気付けば、選択肢は一気に増える。今回の立ち上げも、自分にしかできないことを見つけて、それを極めてみたいという思いに素直に従った結果です」
岩瀬氏は1976年生まれの31歳。大学卒業後、ボストン・コンサルティング・グループ(BCG)の東京事務所などで働いた後、2004年夏にハーバード・ビジネススクール(HBS)に留学する。上位5%に入る優秀な成績で卒業し、帰国後は休む間もなくネット生保の実現に向けて動き出した。
「最初は出口と2人でスタートしましたが、今では社員も40人ほどに増え、ようやく開業間近のところまで来ました。会社と共に自分の成長を実感する毎日です」
岩瀬氏にとって、小規模な組織は心地良い環境だという。かつて勤めた投資会社のインターネット・キャピタル・グループ(ICG)やリップルウッド・ジャパンでも、東京オフィスのメンバーはせいぜい10人程度だった。
「小規模だからこそ、自分と会社の一体感がある。組織に対する個人の影響力も大きいし、自分にしかできない仕事が必ずあります。大企業ならではの良さもあるでしょうが、小さな組織でなければ味わえないことも多いものです」
「米国では、自分の運命を自分で決めることが何よりも尊いとされる。ですから、起業家は非常に尊敬されます。そんな中、HBS卒業生の起業家たちと数多く出会い、自然とベンチャー企業に共感するようになっていったんです」
HBSのあるボストンは、米国の起業家だけでなく、日本の経営者もしばしば訪れる。そうした日米の起業家との出会いは岩瀬氏にとって大きな刺激になった。中でも、岩瀬氏をベンチャー設立へと踏み切らせる大きなきっかけとなったのが、HBS在学中に出会った投資家、谷家衛氏だ。「君がやるなら僕が応援する」と谷家氏はサポートを約束し、後に社長となる出口氏と岩瀬氏を引き合わせた。出口氏のアイデアを岩瀬氏が膨らませる形で、次第にネット生保実現への道筋が浮かび上がってきた。
挑むは不払い問題に揺れる45兆円もの巨大市場。同社は新規参入のメリットを活かし、多様な消費者にアピールしようとしている。
「保険会社は、ビジネスの性質上、数十年前からの顧客も少なくありません。その膨大なデータを管理するシステムを再構築するとなれば、大変な労力と時間が必要です。でも私たちには何もない(笑)。システムもゼロから構築できます。だからこそ、より効率的で顧客に密着したサービスを新たに創出できると思ってます。資産を持たないことが逆に強みになるんですよ」
「スタートラインは、司法試験に受かったにも関わらず、弁護士にならなかったことでしょうか。そこから、すべてが始まっています」
東大在学中に司法試験に合格したが、司法修習期間が「もったいない」と感じてコンサルタントの道を志した。HBSへの留学の際は、迷った末に「長い人生の中で必ず役立つ」と思い立ち、ボストンに渡った。しかし、これまでのキャリアがすべて順風満帆だったわけではない。ICGではネットバブル崩壊の影響で、設立間もない東京事務所の閉鎖を経験したことも。その歩みに長期計画はない。
「人との出会いや偶然の出来事に左右されることって多いですよね。今までの人生で唯一確信できたことは、『将来は分からない』ということ(笑)。だから、何があっても反応できるように普段から感性を磨き、選択肢を広げておくことが大事だと思うんです」
目の前のチャンスに気付き、それをつかみ取る。そのためには、自ら仕事を楽しもうとする心が必要だと岩瀬氏は考えている。
「会社のブランドや規模、安定ではなく、チャレンジや面白いと思えることを常に優先してきました。それが自分らしいキャリアを築くことにつながったんだと思う。今はゼロから立ち上げた当社を大きく育てることが目標。まだまだやることがたくさんある。それが楽しみでならないんです」
「一度きりの人生、挑戦しないと損だと思う。リスクはあるかもしれないけど、その大半は見栄とか『人と同じじゃないと心配』とか、漠然とした不安に過ぎません。本当のリスクなんて実はそんなにないと気付けば、選択肢は一気に増える。今回の立ち上げも、自分にしかできないことを見つけて、それを極めてみたいという思いに素直に従った結果です」
岩瀬氏は1976年生まれの31歳。大学卒業後、ボストン・コンサルティング・グループ(BCG)の東京事務所などで働いた後、2004年夏にハーバード・ビジネススクール(HBS)に留学する。上位5%に入る優秀な成績で卒業し、帰国後は休む間もなくネット生保の実現に向けて動き出した。
「最初は出口と2人でスタートしましたが、今では社員も40人ほどに増え、ようやく開業間近のところまで来ました。会社と共に自分の成長を実感する毎日です」
岩瀬氏にとって、小規模な組織は心地良い環境だという。かつて勤めた投資会社のインターネット・キャピタル・グループ(ICG)やリップルウッド・ジャパンでも、東京オフィスのメンバーはせいぜい10人程度だった。
「小規模だからこそ、自分と会社の一体感がある。組織に対する個人の影響力も大きいし、自分にしかできない仕事が必ずあります。大企業ならではの良さもあるでしょうが、小さな組織でなければ味わえないことも多いものです」
“持たざる強み”で 巨大市場に挑む
岩瀬氏のチャレンジの背景には、HBSで学んだことや出会った人たちの影響もある。「米国では、自分の運命を自分で決めることが何よりも尊いとされる。ですから、起業家は非常に尊敬されます。そんな中、HBS卒業生の起業家たちと数多く出会い、自然とベンチャー企業に共感するようになっていったんです」
HBSのあるボストンは、米国の起業家だけでなく、日本の経営者もしばしば訪れる。そうした日米の起業家との出会いは岩瀬氏にとって大きな刺激になった。中でも、岩瀬氏をベンチャー設立へと踏み切らせる大きなきっかけとなったのが、HBS在学中に出会った投資家、谷家衛氏だ。「君がやるなら僕が応援する」と谷家氏はサポートを約束し、後に社長となる出口氏と岩瀬氏を引き合わせた。出口氏のアイデアを岩瀬氏が膨らませる形で、次第にネット生保実現への道筋が浮かび上がってきた。
挑むは不払い問題に揺れる45兆円もの巨大市場。同社は新規参入のメリットを活かし、多様な消費者にアピールしようとしている。
「保険会社は、ビジネスの性質上、数十年前からの顧客も少なくありません。その膨大なデータを管理するシステムを再構築するとなれば、大変な労力と時間が必要です。でも私たちには何もない(笑)。システムもゼロから構築できます。だからこそ、より効率的で顧客に密着したサービスを新たに創出できると思ってます。資産を持たないことが逆に強みになるんですよ」
安定よりもチャレンジを優先してキャリアを築く
これまで何度か立たされたキャリアの岐路において、岩瀬氏は常にアグレッシブな選択している。「スタートラインは、司法試験に受かったにも関わらず、弁護士にならなかったことでしょうか。そこから、すべてが始まっています」
東大在学中に司法試験に合格したが、司法修習期間が「もったいない」と感じてコンサルタントの道を志した。HBSへの留学の際は、迷った末に「長い人生の中で必ず役立つ」と思い立ち、ボストンに渡った。しかし、これまでのキャリアがすべて順風満帆だったわけではない。ICGではネットバブル崩壊の影響で、設立間もない東京事務所の閉鎖を経験したことも。その歩みに長期計画はない。
「人との出会いや偶然の出来事に左右されることって多いですよね。今までの人生で唯一確信できたことは、『将来は分からない』ということ(笑)。だから、何があっても反応できるように普段から感性を磨き、選択肢を広げておくことが大事だと思うんです」
目の前のチャンスに気付き、それをつかみ取る。そのためには、自ら仕事を楽しもうとする心が必要だと岩瀬氏は考えている。
「会社のブランドや規模、安定ではなく、チャレンジや面白いと思えることを常に優先してきました。それが自分らしいキャリアを築くことにつながったんだと思う。今はゼロから立ち上げた当社を大きく育てることが目標。まだまだやることがたくさんある。それが楽しみでならないんです」