伝説のプロダクトを生み出した“偉人”たちからのヒント


株式会社ニコン
映像カンパニー 開発統括部
第一開発部 ゼネラルマネジャー
芝崎清茂氏
大学で撮像デバイスを研究。大学卒業後、1982年ニコンに入社。14年間ビデオカメラの開発に従事したのち、デジタル一眼レフカメラの新規開発プロジェクトに参画。画像処理アルゴリズムと大型CCDの開発を担当し、99年、画期的な画質、速度、価格を実現した本格派モデル『ニコンD1』として結実させた。以来、画像処理分野において同社のデジタル一眼レフカメラ開発を率いている。最新機種『ニコンD200』は、欧州の「TIPA ベスト エキスパートデジタル一眼レフカメラ 2006」、カメラ記者クラブ主催の「カメラグランプリ2006」を受賞

電子カメラの黎明期から画像処理技術の第一人者。CCD開発を担当したデジタル一眼レフカメラ『D200』は、いま国内外で高い評価を得ている。「やりたいことをやれてきた」と笑う横顔に、エンジニアが自己実現に近づくヒントがある。

ニコンD1 
※現在は生産中止
自らを「変化がないと生きていけないタイプ」と称する。のちに、デジタル画像の常識を変えたといわれたデジタル一眼レフカメラ『ニコンD1』。そのプロジェクトが立ち上がったとき、迷わず手を上げた。38歳のときだった。

「未知の領域に足を踏み込むときのヒヤヒヤ感が好きなんですね。ステッパーの高性能化、ICの小型化など技術の流れを見ていて、いまなら面白いことができると思ったんです」

撮像デバイスの開発リーダーを務めた芝崎清茂氏だが、開発における大きな課題となったのが、前代未聞の超大型CCDの開発だった。面積が大きくなる分、感度が高くなり再現域も広がるわけだが、一部業務用でしか使われていなかったものを、民生用カメラに載せようという大胆な計画だった。「できるわけがない」「採算が取れない」などの周囲の声とは裏腹に、本人は「未成熟の技術分野で成果が出ていくのが楽しくてしょうがなかった」と笑う。

果たして『ニコン D1』はヒット。現在、国内外で高い評価を得る『ニコン D200』のレプリカにもなった。

そんな芝崎氏だが、実はもともと静止画とは畑違いの動画畑の出身。大学の研究室で撮像デバイスと出会い、ニコンに入社後は一貫してビデオカメラの開発に携わってきた。
「時代の追い風もありました。動画の撮像デバイスはまだまだ未成熟の技術分野で、高解像化・高SN化・高ダイナミック化など常に時代の先端技術に触れることができたんです」

入社当初は、カメラとデコーダが分離していたセパレート型から一体型への移行期だった民生用ビデオカメラの開発を担当。その後業務用に移り、ハイビジョンカメラの開発にも携わった。そこで、冒頭の転機が訪れる。

「『D1』の開発に関われたのも転機が訪れたというより、転機を創ったという感じです。受け身のままでは、やりたいことなんてできない。自分で選択して動き出さないとね」

ニコンD200

裏話がある。1999年、270万画素の『D1』発売当時。実は、すでに1080万画素のCCD開発が進んでいたのだという。ひとつの開発で完結するのではなく、一手二手先を考えながら、必ず次の変化を仕込んでおく。シナリオを作ることが重要だという。そのなかで、面白いものを求めて「変化を創る」。それが芝崎氏のスタイルだ。

「技術者のキャリアもそうでしょう。自分なりのシナリオを作らないと、『うまくいった』、『うまくいかなかった』で終わってしまう。私の場合、音と映像の世界でやりたいことがあって、それを実現するのはどこが最適なのか常に考えてきました。それが実現できないとなれば、転職などの変化を求めていた可能性もありますよ」

やりたいことがこの会社でできるのか、できていないのか。後者なら、若いエンジニアには自らリスクを取って変化を創りだしてほしいと語る。そのときのヒヤヒヤ感はチャレンジしている証拠でもある、と。


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