自らの理想を求めたエンジニア 転職を決めたそれぞれの理由

転職が多少のリスクを伴うのは確かだろう。そうしたリスクを取っても、自らが輝ける場所を求めて行動を起こす人もいる。技術者としてどう生きていくべきか。迷いを振り切って、新天地を求めたエンジニアたちを取材した。


セイコーエプソン株式会社
研究開発本部 VIEプロジェクト
内藤信宏氏(35歳)
大学を卒業後、電機機器メーカーに就職。大手電機メーカーに出向して光通信部品の品質管理業務、検査業務に従事したのち、光関連部品メーカーに転職。ここでも光通信用部品の製造装置開発に携わり、2005年2月にセイコーエプソンへ。現在は、垂直共振器面発光レーザ(VCSEL)モジュールの研究開発部隊に所属

「前職でも、自分の好きな光部品の開発はさせていただいていました。ただ、会社の方針から、在籍していた事業部がどんどん縮小されていきました。50人近くいた技術者も、別の事業部や営業部隊への配置転換が続き、最終的には4〜5人にまで減ってしまいました。また現状維持の技術応用が中心で、本当にいまのままでいいのかと疑問に感じていました」

こう振り返る内藤信宏氏だが、いざ転職活動を始めるまでは時間がかかった。前職でも好きな開発はできており、転職すること自体に迷いがあったからだ。その分、転職活動を始めたとき、内藤氏が転職先に求めるものは明確になっていた。

「これまでの経験を活かして、より一層技術を向上できる企業であることが大前提でした。セイコーエプソンでは『創造と挑戦』の経営理念に基づき、他社にはない技術開発を目指して新しいことに挑戦できるので、やりがいを感じて仕事ができています」

職場の士気も高い。セイコーエプソンでは、新しい技術を作り上げていく期待感が技術者のモチベーションを高めていると内藤氏はいう。

「データ容量とスピードをより求められるこれからの時代では、技術が電気から光に置き換えられていくはずです。デジタル家電などの先進分野でも自分の技術を活かしていきたいです」

新たなモチベーションを得た内藤氏。技術向上を目指し開発に打ち込む日々が続く。

東京エレクトロン AT株式会社
ESD開発技術部門
SDプロセス技術部 主事補
佐久間 隆氏(34歳)
1996年に半導体製造装置メーカーに就職し、半導体製造に用いられるせ成膜装置の開発を2年間担当。98年から営業部門に配属され、成膜装置を中心に半導体製造装置の販売を担当する。02年からはマーケティング部門を担当し、03年には韓国の営業担当となる。04年8月、東京エレクトロン ATに転職し、再びエンジニアとして成膜装置の開発に従事している

現在、東京エレクトロン AT(以下TEL AT)で半導体製造装置の1つである成膜装置のリーダーを務めている佐久間隆氏。技術者として長いブランクがあったが、2004年8月にTEL ATに転職したことで再びモノづくりの楽しさを謳歌している。前職では成膜装置の技術開発を行っていたが、8年前に突然の異動。営業部門に配属された。

「顧客企業の技術者と話す度、話に説得力がないなと感じていました。汗をかいて開発しながらもっと技術を磨きたい。そう思うようになっていったんです」

そんなとき、「TELで半導体製造の配線工程に関するプロジェクトが立ち上がる」という話を耳にした。当時32才。技術者として6年間のブランクは不安要素だったが、佐久間氏は技術職に返り咲くラストチャンスだと考え、勝負に出た。

「転職直後はブランクを痛感する日々が続きました。電子顕微鏡にしても対象とするパターンサイズはミクロンオーダーから数10ナノレベルまで進化している。計測方法もまったく違っていた」

しかし、のめり込める対象を取り戻した佐久間氏は、連日深夜まで会社に残って勉強を続け、約1年で成膜装置開発を引っ張る立場にまで成長した。

「TELには半導体の全工程をテストできるインフラがそろっている。不可能といわれている22ナノ世代への成膜技術適用を何としても実現したい」

佐久間氏のなかで止まっていた時計の針は、転職をきっかけに再び猛スピードで進み始めた。


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