ひと足先に選ぶ次世代のMVE

株式会社LoiLo杉山 竜太郎氏

近年、インターネットで動画を楽しむ人は増えているが、動画を手軽に編集できる環境が十分整っているとはいえないのが現状だ。そんな中、高速映像処理エンジンを採用し、従来のイメージを打ち破る画期的な動画編集ツールが発表された。LoiLoが2008年8月にリリースした『LoiLoScope』だ。

株式会社バンク・オブ・イノベーション樋口智裕氏

近年、『YouTube』や『ニコニコ動画』などの動画系Webサイトの隆盛が目覚ましい。サイト上にアップロードされた動画の中には、話題が話題を呼び、グローバルに驚異的なアクセス数を叩き出すものも少なくない。そんな中、Web上の動画コンテンツを一括検索できる検索サイトを開発し、注目されているエンジニアがいる。動画検索サイト『Fooooo』の開発者、バンク・オブ・イノベーション代表取締役CIOの樋口智裕だ。

株式会社ワディット和田裕介氏

AO入試(自己推薦入試)を経て慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)へ入学するまで、和田はごく一般的なPC ユーザーの1人だった。画期的なソフトウエア開発者やアーキテクトのように、子どものころからプログラミングを手掛けていたわけではない。プログラミングのスキルは大学へ入ってから身に付けた。

ゼロベース株式会社石橋秀仁氏

インターネットの話題がビジネス界を席巻していた2000年。ビットバレーの熱気に胸を膨らませ、1人の高専学生が福岡から東京に向けて旅立った。青年の名は、石橋秀仁。現在、ゼロベース代表取締役社長を務める若手起業家である。高専中退後、Webサイト運営会社勤務、フリーランスエンジニアを経て、2004年にゼロベースを設立。ユーザー・インターフェースに定評のあるWebサービス開発・コンサルティング会社として事業を拡大中だ。

ディレクター兼プログラマー斉藤のり子さん

つい最近まで、1976年前後に生まれたWeb系起業家やエンジニアが「76世代」としてもてはやされたが、最近では「81世代」が注目されているという。インターネットのヘビーユーザーとして育ち、仲間と腕を競いながら個人でWebサービスを開発、新たな市場を創り出してしまうのが「81世代」の特徴だ。1982年生まれのディレクター兼プログラマー・斉藤のり子も、その1人である。

株式会社フォティーンフォティ技術研究所鵜飼裕司氏

近年、ITセキュリティの重要性が叫ばれているが、この分野におけるトップクラスのエンジニアは世界でも100人に満たないと言われる。そんな中、MS Windowsなど著名なソフトウエアのセキュリティホールを100件以上発見し、「日本にこの人あり」と世界に名を轟かせた人物がいる。現在、フォティーンフォティ技術研究所で取締役副社長兼CTOを務める鵜飼裕司だ。

株式会社カヤック大塚雅和氏

大塚は1977年に香港で生まれ、アメリカ・ロサンゼルスで9歳までを過ごした経歴を持つ。大学時代から現在まで、まとまった休みを取っては世界中あちこちを訪ね歩くのが好きだという。

株式会社バンダイ曽根大地氏

小学校入学から現在までの20年、地元の静岡市で生まれ育った曽根がガンプラの魅力に引き込まれたのは入院中のことだった。当時、小児喘息を患っていた彼に、母親が退屈しのぎのために持ってきたガンプラ『BB戦士 武者百士貴』を組み立てているうちにハマったのが最初のきっかけだったと話す。

株式会社ローハイド工藤友資氏

人工無脳の開発は、工藤友資が高校生時代から取り組むライフワークである。きっかけは高校入学前に、PC98シリーズの『PC9001-DS2』を手に入れたこと。高校受験を控え、工藤は合格したらパソコンを買ってくれるよう父に頼んでいたのだ。

フューチャーアーキテクト株式会社篠原俊一氏

大学の学部で4年間、修士および博士課程で5年間。篠原は合計約9年にわたって素粒子物理学を追究してきた。周囲の多くが、より深い研究へのステップアップを望んだが、当の篠原はあっさりと就職という選択肢を選んだ。

ウノウ株式会社酒徳峰章氏

必要は発明の母。「なでしこ」の前身である「ひまわり」の開発は、自分の仕事を効率化したくて始めたのがきっかけだ。上海の大学を2000年に卒業した酒徳は、不動産会社に就職した。当時はまだアナログ全盛の業界で、紙の物件情報を一枚一枚めくって見ている状態。社内業務の情報化も進んでいなかった。

チームラボ株式会社猪子寿之氏

中学時代のある日、突然「日本を再生する」という強迫観念に近い使命感を抱いた理科系少年の猪子。高校生の頃には、日本再生の手段として政治ではなく、マーケットの道に進もうと決めていた。モノづくりで世界を席巻していた日本経済は、中高時代の6年間で天国と地獄を経験している。バブルとその崩壊だ。

Lunascape株式会社近藤 秀和氏

秋葉原の電気街に程近い御徒町で生まれ育った近藤 秀和にとって、電化製品は幼少期からもっとも身近な存在だった。なかでもコンピュータとの出会いは早く、小学生以前から父親から与えられたポケットコンピュータでプログラミングの真似事を始めていたという。こうした体験が近藤にとって、ITの世界に足を踏み入れる第一歩だったといえる。

ウタゴエ株式会社園田智也氏

今年32歳の園田は大学に進学した当時、自身の将来に大きな不安と恐れを抱いていたと話す。彼は学部在学中の4年間を早稲田大の「田無寮」で過ごしたが、毎週末になると近所のカフェに座って20代、30代、40代、50代、60代と人生の岐路となるであろう時期を書き出し、それぞれにおいて“起業”や“人脈拡大”、“経営基盤の確立”など具体的な展望とビジョンとを思い描いていたと話す。

Kom&Co.株式会社小牟田啓博氏

携帯キャリア間の顧客囲い込み競争が激しさを増す中、その趨勢を決める大きな要素となってきたのが「端末のデザイン性」。機能を重視した“定型”の時代を経て、携帯はデザインを楽しむ時代になったといっても過言ではない。そんな業界の流れに先鞭をつけたのが今回の MVEである小牟田啓博だ。

楽天株式会社仲宗根徹也氏

仲宗根がPCおよびプログラミングに興味を抱いたのは小学校1年生だった1982年。当時はわずか8ビットのPCだったが、仲宗根はその魅力に強く惹かれてプログラミングの基礎を学び始めた。

ソフトイーサ株式会社登大遊氏

07年4月に筑波大学大学院システム情報工学科へ進学した現役大学院生の登。ソフトイーサを設立して満4年が経ったが、経営をしながら博士課程への進学を経て大学の教員になることを目指している。

株式会社ライブドア池邉智洋氏

1976年生まれの池邉智洋がコンピュータに本格的に取り組んだのは、大学時代のことである。京都大学工学部に入学後、教養課程でFORTRANやC言語の手ほどきを受けたのをきっかけに、プログラミングのアルバイトに精を出すようになる。

株式会社ウィルコム堀田峰布子さん

ウィルコム『9(nine)』のコンセプトをひと言でいうと、「潔さ」だという。あれこれ機能を詰め込んだ携帯端末が多いなか、あえて機能を絞り込み、1枚の板を切り出したようなシンプルな形にした。そのデザインを担当した堀田峰布子は次のように説明する。

株式会社コネクティ服部恭之氏

「CPUやOS、ERPなどの業務アプリケーションや検索エンジンは、すべて欧米企業がデファクトスタンダードを握っています。日本のIT産業が世界を相手に戦うためには、どんな企業にも役に立つ標準的なソフトウエアを作る必要があります。それは製品でもいいし、 SaaSのような形でもいい。誰かが、それをやらなければいけないと思ったのです」

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