約2年間の「現場離脱」は本当に役立つのか!?検証!!
MBA取得者たちの「仕事の変化」「キャリアの変化」 |
キャリアに大きな転機をもたらすMBA。しかし、取得者が飛躍的に増えた結果、一部では「MBAを持っているだけの人は使えない」という評価を受けているのも事実。そこで、現在第一線で活躍している若手MBAホルダーたちに、取得後の仕事ぶりがどう変わったのかを聞いた。 《2004年8月号より抜粋》 |
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MBA留学をやり遂げるプロセスそのものがキャリアの「付加価値」に | ||
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「MBA取得を目指すことは簡単です。しかし、それをやり遂げることは、誰にでもできるというわけではありません。採用担当者の目で見れば、この目標を達成したことこそが大きな評価対象。MBA自体が価値になるのではありません」 そう語るのは、ボストン大学でMBAを取得し、現在は三洋電機で中途採用業務に携わる金丸良樹氏だ。 金丸さんの職歴はかなりめまぐるしい。1995年、新卒で関西のガス会社に入社。ところが、そこで3カ月勤めた後、実家の家業を手伝うため郷里に呼び戻される。それが、紆余曲折の始まりだった。家業が落ちついた後は、大手損保会社で1年半、代理店営業を経験する。会社は好きだったが、知り合いのよしみで受注を獲得していく営業スタイルに、「このままでいいのか」と自問するように。勤務先の支社の閉鎖を機に、今度は外資系金融情報サービス会社に転職する。MBAを志したのは、その1年半後のことだ。 「社員の出入りが激しい外資系企業で、長期的なキャリアを築くことは考えにくい。かといって、転職回数が多い自分のキャリアを考えると、今後に不安が残る。そこで、何かバリューを付けることが必要だと感じ始めました」 その後はMBA留学に向け、猛然と勉強を始める。金曜日に会社を出てから週明けに出社するまで、誰とも口をきかず、部屋にこもって勉強する日々。 「留学のための勉強とは、いわばやらなくてもいいこと。それだけに、精神力がかなり試されます。1年目に通った留学予備校でも、結局出願した人はクラスの1割程度。最後までやり続ける意志を持ち続けられるかどうかの闘いでした」 受験勉強に熱中するあまり、当時の恋人とも別れてしまった。明け方まで勉強して風呂の中で寝入ってしまい、皮膚呼吸ができなくなって目覚めたこともある。こうした生活を2年半続けた末に、やっと手にした合格通知。「人生であれほどうれしかったことはない」と金丸氏は振り返る。 MBA取得後は日系メーカーに的を絞って転職活動 会社を退職した金丸氏は、01年8月、晴れてボストン大学ビジネススクールに自費留学。MSMBA(Master of Science in Information Systems)とMBAの2つの学位が取れるジョイント・プログラムを専攻し、勉強に打ち込んだ。もっとも印象に残ったのはアントレプレナーシップの授業だ。教授がベンチャーキャピタルの社長を兼ねており、彼や彼の知人の講義を聞く中で、リアルな経営を学んだ。また、そこでベンチャー企業が経済界をリードするという米国ならではの活力も痛感したという。 「日本には『出る杭は打たれる』風潮がある。でも、米国はたとえ失敗してもチャレンジすることに意味があるという国。ベンチャーに対する評価が日米の文化の違いを表していると学びました」 こうして様々なことを学び、03年5月に卒業。帰国後の会社選びにおいては、高額の年俸を目当てに投資銀行やコンサルティングを志向する学生が多い中、金丸氏の選択基準はある意味異色だった。 「@日系企業、Aメーカー、B経営マネジメントの仕事ができること。その3つを重視して会社を選びました。外資系企業のネガティブな面も知っていたし、米国で日本の製造業の強さを改めて知った。だから、卒業後は日本のメーカーで経営に携わりたい、と考えました」 10社以上から内定をもらい、最終的には上記の条件をすべて満たす三洋電機に入社を決めた。同社の「次世代経営者募集」に応募しての採用だった。 経営のあるべき姿を学べたことが最大のメリット 今はメーカー人事という未経験の仕事を始めたばかりで、「ビジネススクールでの経験を活かせるのはこれから」だと話す金丸氏。ただ、仕事に対する姿勢は大きく変わったと実感している。 「以前は、与えられた自分の責任範囲の中でしか仕事をしていなかった。でも今は、自分の責任をもっと広げて考えられるようになりました。MBA留学で多様なバックグラウンドを持つ人たちと交流するうちに、自分が当たり前だと思っていたことが当たり前ではないことに気づいたのです」 実際、三洋電機に入社後は、当初のミッションだった人事システムの構築から、自らの希望で採用業務にまで裁量を広げた。「自身の転職経験を、採用にも活かせる」と判断したからだ。 「仕事において重要なのは、経営の“あるべき姿”を知り、そこに近づく努力をすることです。あるべき姿が1+1=2だとしても、現場では1+1がマイナスにもなる。それを、現場の事情を理解した上で、1+1=2に限りなく近づける施策を模索することが大事なのです」 理論と実践を融合し、成果を最大化すること――そこに、MBAで理論を学ぶ意味がある、と金丸氏は断言した。 |
官庁時代には学べなかった「ビジネスの共通言語」をMBA留学で会得 | ||
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コンサルタントを目指す人にとって、MBA取得は強力なアピール材料になる。もちろん、MBAイコール怎Rンサルタントへの切符揩ニいうわけでは決してない。しかし、コンサルティングがMBAで学んだことを直接活かせる仕事であることもまた、事実である。 「経営者の悩みを疑似体験できるのがビジネススクール。コンサルティング・ファームで仕事をしたい人にとっては、MBAはよいパスになると思います」 現在、ボストン コンサルティング グループに勤務する高谷月子さんはこう語る。 大卒後は某官公庁に入省。業界の規制緩和の動きが活発化する一方で、事態が思い通りに進展しないジレンマを味わった。 「霞ヶ関の中にこもっていても何も変えられない。ビジネスサイドから経営を勉強したい」 そんな思いが募り、海外留学制度に応募。99年に、米国ダートマス大学のビジネススクールに留学し、経営全般を学んだ。 大学で経済学を専攻したこともあって、基本的な経済理論や知識は勉強済みだった。だが、ケーススタディ中心の授業は、“活きた知識”に満ちていた。「本を読むだけではわからない発想の部分で、学ぶことが多かった」と当時を振り返る。 「私にとってMBA留学の最大の価値とは、さまざまなビジネス経験を持つ教授や同級生たちと共に学ぶことで、理論をリアルビジネスでどう活かすかにまで昇華できたこと。現在の仕事にも、それが大いに活きています」 留学中は「未知との遭遇」続きキャリア意識も大きく変わった 留学前は転職など考えたこともなかったという高谷さん。だが、「入学の翌週から就職活動が始まる」というビジネススクールに身を置くうち、「もっと消費者に近い視点で構造改革を手掛けたい」とコンサルティングに興味を持ち始める。フィールドスタディではコンサルティングのプロジェクトに参加。その経験が後のキャリアへとつながっていく。 帰国して前の職場に復帰した後は、構造改革の一端を担う政策評価の仕事に就くことができた。行政の費用対効果を定量化するしくみを検討・導入するという、官庁としては画期的な仕事だ。だが、組織全体の意思決定が遅く、もどかしさを感じることもあったという。 「このままでは、構造改革を成し遂げる前に燃え尽きてしまう」 そう思い始めた高谷さんは、退職を決意。03年ボストン コンサルティング グループに入社し、コンサルタントとして企業の経営課題解決に取り組んでいる。 「もし留学していなかったとしたら、転職にチャレンジしたかどうかも疑問です。米国では、MBAはビジネスの世界で活躍していく上で最低限要求される前提条件。日本ではそこまでは至っていませんが、経営を語る上での共通言語として活用できることは事実です。その意味で、チャンスは相当広がると思います」 加えて、ビジネススクール時代に築いたグローバルな人脈が大きな財産であることはいうまでもない。今では「世界各国で活躍する同級生を社外リソースとして、コンサルティングに役立つ情報を得ることも可能」だと話す。 「また、自分から積極的にチームに貢献していけば、得られるものも大きい。異なる発想をぶつけ合って解を導くというやり方は、議論をする時の『ツール』として、今でも役立っています」 |
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