次世代リーダー候補者たちへ  

《type特別企画》トップマネジメントが語る20代のキャリア

一通りの仕事を覚え、自分の得意分野を見い出す20代後半。 この時期からの10年間いかに濃密な仕事をするかでその後のビジネス人生は決まるといっていいだろう。 ここでは、ビジネス界をリードする先駆者3人に 20代後半からの仕事について振り返って頂いた。 彼らのエピソードから、ビジネス人生を充実させるヒントを見つけて欲しい。 《2004年8月号より抜粋》

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競争は人間の本能。チャレンジ精神を忘れてはならない
 
エイチ・エス証券株式会社 代表取締役社長
澤田秀雄氏
1951年大阪府生まれ。大阪の高校を卒業後、旧西ドイツのマインツ大学に留学。留学中は世界50カ国以上を旅行。大学を中退して帰国後、80年にHISの前身であるインターナショナルツアーズを設立。自由旅行の分野で業界トップに躍り出る。96年にスカイマークエアラインズ設立。99年にHIS協立証券(現エイチ・エス証券)の社長に就任し、現在に至る
 
 
 ベンチャー企業のための証券会社でありたいと、ビービーネットの公開で主幹事を務めたのを皮切りに、矢継ぎ早に11社(平成16年6月30日現在)のIPOを実現したエイチ・エス証券。主幹事を国内大手証券が寡占する状況に風穴を開けている。代表取締役を務める澤田秀雄氏は、こう語る。

「最近、日本にもITバブルを乗り切った20代〜30代の非常にいい経営者が育ちつつある。将来、彼らがトップを務めるベンチャーの中から、次世代のグローバルカンパニーが出てくるでしょう。株式公開の主幹事を事業の柱のひとつとする当社にとって、実に面白い状況が訪れているのです」

旅行業界の風雲児として、HISを率いてきた澤田氏。実はその創業資金は、澤田氏が旧西ドイツ留学時代に株で手に入れたものだという。そんなことから、現在の立場について「株は嫌いじゃなかったし、何か因果があったのでしょうね」と笑う。ベンチャー経営の裏も表も知り尽くした人物のこれまでの歩みを振り返ってみよう。

格安航空券の提供で旅行業界に革命起こす

旧西ドイツの大学に留学中、休暇を利用して世界各地を放浪した。踏破した国は世界50カ国に及ぶ。そんな経験の中で、日本の航空料金が世界的基準からみて割高であることを知り、格安航空券の提供による自由旅行の支援という事業が浮かんだ。

「当初の構想は毛皮の輸入貿易業。ところがワシントン条約に阻まれて実現できないことがわかった。そこで、旅行業へと方向転換したんですよ」と語る。

HISの前身であるインターナショナルツアーズは、1階にある焼鳥屋の煙が立ちこめる雑居ビルの一室で産声を上げた。創業当初こそ客足が集まらず苦戦したものの、自由旅行を志願する学生たちの口コミによって事業に火がついた。格安航空券=HISという図式がバックパッカーの間で定着するまでに、さほど長い時間を要しなかった。

ジャンボジェットの就航開始や空前の海外旅行ブームといった時代状況にも後押しされ、HISは踊り場知らずで成功の階段をかけ上っていった。2003年上期の業績では、最大手のJTBに迫るポジションにいる。

「格安航空券を扱う後続のベンチャーも数多く出現しましたが、生き残っている会社は数少ない。HISの一人勝ちともいえる状況を築くことができたのは、競争の原理原則を踏まえていたからです。大手を相手にただ闇雲に戦っても勝ち目はありません。HISはパッケージツアーなどには手を出さず、個人旅行と航空券でナンバーワンを目指して戦ってきたことが功を奏したのだと思います」

役員の反対を押し切り、証券事業に進出

自らを「チャレンジ精神の固まり」という澤田氏にとって守りの経営は、資質にはそぐわない。HISの成長とともに、日本で4番目の航空会社としてスカイマークエアラインを設立し、航空業に進出。さらに破綻した山一証券の子会社だった協立証券(エイチ・エス証券の前身)を買収し、金融業に進出したのは、99年のことだった。

協立証券の買収は、あるM&A会社の要請を受けて成立したものだった。金融の世界での経験がない同氏は、当初、その要請を固辞した。

「HISとスカイマークをやっていただけに、あれもこれもやるのは賢くないとお断りしました。しかし3ヵ月後にまたその営業の方がいらして『是非とも』という姿勢を崩さない。その強い申し出に、心が動き、役員会に諮ってみたんですね。しかしナンボ旅行でちょっと上手くいったからといって、経験値のない金融へいくなんて絶対ダメだと全員が反対。当たり前ですよね」

こうして澤田氏は2度目の断りを入れた。しかし数ヵ月後、その営業マンが再び登場する。

「3度お願いされると僕は弱いんですね(笑)。私自身も無謀だと思いましたよ。ただ、当時の証券業界は手数料の自由化を目前に控え、ネット取引がまさにスタートしようとしていたのです。航空事業の時もそうでしたが、規制の多い業界の変革期には、必ずビジネスチャンスが生まれます。そのことをかんがみて、HISグループではなく私個人の事業として協立証券を引き受けようと思ったのです。でもそこから無茶苦茶、苦労が始まるんですね(笑)」

最初に力を注いだのは、ネット取引だった。コンピュータシステムを構築し、黎明期のオンライントレードに打って出た。大手証券に先駆けて参入したことが功を奏し、過去7年間赤字続きだった協立証券は一気に10億円近い利益が出て、黒字転換した。「金融の世界など甘いと思った」と笑う。

だが、好事魔多し。好調な滑り出しに冷や水をかけるような事故が起きた。ネット取引を支えるコンピュータにシステムトラブルが発生。投資家に多大な迷惑を及ぼした結果、同社の信用は失墜し、最終的には行政処分を受ける羽目に。業績は再び赤字に転落した。

「トップの松井証券を抜くか、という頃の思いもかけぬ事故。しかし反省しなければならないのは、私の改革の速度が従来の協立証券の文化の中では速すぎたということ。体制ができていないのに走り過ぎてしまった。その後の事故処理と内部体制づくりで社内はぐちゃぐちゃ。2年間赤字が続きました」

HISの役員全員が反対したときに止めておけば良かった、と反省したという澤田氏だが、一度引き受けた会社を潰すわけにはいかない。建て直しに向け、若くて優秀な人材を外部から招聘し、社内のカルチャーを変えていった。株の売買だけでなく、ディーリング室をつくり、ベンチャーの公開支援を行う主幹事獲得に向け準備を行い、ファンドも設立。投資銀行や海外の銀行を買収し傘下に収めていった。

「人集めの苦労ですか? 肝心なのは、会社の将来に対する明確な構想を語ることです。夢≠与えなければ、優秀な人材は入社してくれません。そして一つひとつ実現することです」

総合証券会社として、次の成長戦略を描く

同社の巻き返しが始まったのは一昨年来のことだ。それを象徴するのが澤田氏のいうスタメン(人材)が揃ってきたこと。そして、先に述べた新規株式公開の主幹事獲得だ。折から、ベンチャーの間で大手証券から国内中堅証券や外国証券に主幹事を乗り換える動きがあることも、力強い追い風だった。

「私は証券業界では異端者ですから、イジメられることも多いんです(笑) 最初に主幹事を務めたビービーネットの事例でも、上場の直前になって幹事団がほとんど降りてしまうという仕打ちを受けました。しかし、たとえ1社になってもやろう、もし売れなかったら全部私がひきとってもいいという気持ちで思い切ってIPOを強行したら成功した。それに続く事例もすべて成功に導くことができ、今年は倍以上の主幹事を獲得していく予定です」

同時に、システムのリニューアルを終えたネット取引も好調。商品ラインをみても株式個別銘柄から投資信託、FX(外国為替証拠金取引)さらにはREIT(不動産投資信託)までを取り揃えている。総合証券会社としての地歩を固めつつあるといえるだろう。澤田氏は証券会社の近未来像について、自己責任時代の資産運用のサポート役を担うのは証券会社をおいて他にないという。だからこそ従来の手数料ビジネスから脱却し、真摯に顧客本位を貫かなければならないと、強調する。

「近未来のことをいえば、旅行業と金融業がリンクする局面も必ず訪れると思います。トーマス・クックはイギリス全盛時代に世界一の旅行会社になり、トラベラーズチェックを開発して金融業に進出した。次にトップに立ったアメックスはクレジットカードをつくり、今は金融事業のほうが大きくなっている。これからはアジアの時代。HISは世界1、2位の旅行会社を目指している。その時が来たら、両社のコラボレーションが確実に実現するはずです」

旅行業と金融業のシナジー効果。その熱っぽい口調から、「チャレンジ精神の固まり」を自称する澤田氏の真骨頂が伝わってきた。



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