30代著名ベンチャー社長に聞く  

私のビジネス人生を変えた『20代の転機』

チャンスはみなに平等に訪れている。 問題はそれを活かせるかだ。 ここでは、偶然の転機をチャンスに変えて成功を収めた成長企業の社長に偶然をモノにする技術について聞いた。 《2004年10月号より抜粋》

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会社を辞め事業を始める計画が頓挫
失意のどん底でホームレスとなったがウェブビジネスの金鉱を掘り当てた
 
株式会社オーケイウェブ 代表取締役社長
兼元 謙任氏
1966年生まれ。愛知県立芸術大卒。京都のデザイン会社、建設塗装会社などのデザイナーを経て上京。ホームレスをしながら仕事を請け負い、99年に同社設立。プロダクトデザインにおいて通産省グッドデザイン・中小企業庁長官特別賞など受賞歴多数。

 
 
 まさに”どん底“から這い上がった人だ。オーケイウェブの社長、兼元謙任氏は2年間ものホームレス生活を送った経験をもつ。

公園で寝泊りし、ビルのトイレなどでコンセントを探してはパソコンを立ち上げ、HP制作などの請負仕事をしていたという。路上生活に入った理由は、「心がクラッシュ」するほどの挫折と孤独を味わう出来事が30歳を目前に起きたからだった。

愛知県立芸術大学を出て、京都のデザイン会社と名古屋の建設関連会社で働いた。もともと「デザインで世の中を変えたい」という夢があった兼元氏は、福祉関連商品のデザインコンペなどに参加、数々の賞を受賞した。

しかし、いくら賞を取っても、会社は商品化の資金を出さなかった。兼元氏は会社を辞め、昔からのデザインサークルをバックにスポンサーを探した。ある東京の企業家から「アメリカにある工場で開発をやらせてあげる」という話が舞い込み、着々とその準備を進めていた。

ところが、最後の最後になって、「死んでも一緒にやりましょう」と言っていたデザインの仲間たちが突然降りてしまう。これで折角の計画は空中分解。落胆して、ひさしぶりに妻子の待つ名古屋の家に帰ってみると、「もう疲れました」という置手紙を残し、妻は子供を連れて実家に帰ってしまっていた。

「こんな仕打ちがあるのか。仲間も家族も、みんなが敵に思えた」

茫然自失。あてもなく、パソコンだけ買い、深夜バスに乗り込んで東京に出てきた。くだんの企業家に無理に頼み込み、HPの制作を請け負う仕事を紹介してもらった。報酬はあったが、「俺はもう死んでもいい」というやさぐれた感情から路上生活を選んだ。報酬は1万円を残し妻に送金。せめてもの償いだった。

デザインセンスは抜群のため、紹介で毎月10社程度から仕事が舞い込んだ。そんな生活が2年に及ぶころ、転機が訪れた。
仕事を依頼してくれたあるウェブ制作会社に、「毎月、固定報酬で継続して仕事をくれないか」と頼んだことがキッカケだった。
すると先方の担当者は、無理難題といえる難しいデザインを次々と要求してきた。

「この要望に必死になって対応したら、お客さんが思い切り喜んでくれた。以降、一桁大きい仕事を紹介してくれるようになり、仕事を請け負う面白さや、やりがいを感じられるようになった」

やさぐれた感情はなくなっていた。さらに、妻がホームレスの間に仕送りしたお金をすべて兼元氏のために貯めてくれていたと知った。そのお金を元手にオーケイウェブを立ち上げた。

その後は幸運の連続だ。試験的に立ち上げたユーザー同士が意見を交わすコミュニティサイトをNTT関連会社が自社のHPに採用し、その開発を受注。このサイトが評判となり、楽天の三木谷浩史社長も出資。瞬く間に大手100社以上が同社のナレッジソフトを導入。群雄割拠の業界で、思わぬ金鉱を掘り当てたのだ。

兼元氏は言う。「自分ならできる、と確たる自信を持てるようになったからホームレスを脱することができた。俺はダメだ、とめげているうちは何をやっても失敗してしまう」

そして思わぬ転機を幸運に変える秘訣をこう語る。
「石の上にも3年。これだと決めたら最低でも3年は食らいつく。そうしないと、転機があっても何もモノにできない人生になってしまう。また、正直であり、常に人に教えを請うことです。すると必ず協力者が現れます」


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