国内系から外資系、外資系から国内系へ転職
先輩転職者に学ぶキャリアの選択基準 |
《2005年3月号より抜粋》 |
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■国内企業 → 外資系企業 |
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会社にすがる“安定”ではなく自らを“安定”させる仕事が欲しかった 日系企業から外資系企業への転職は可能だが、外資から日系には転職しにくい」。これが、村野弘太郎氏が海外の大学を卒業した当時の現実だった。ならば「日本人として一度は日系企業を経験すべき」と考え、はじめての会社は国内の大手通信会社を選んだ。 村野氏の配属は、商品企画部。しかし、「認可事業ということもあり、想像以上に企画という要素は少ない」という現実や、集団主義色が強い日本的な社風を目の当たりにし、転職を考え始めた。条件は、「顧客の顔が見える仕事で、自分の存在理由が実感できる規模の企業」ということ。マッキャンエリクソンのアカウント・マネージメント(営業職)に決めたのは、条件と合う上、自分の裁量で仕事ができる部分が多かったからだ。 前職での安定感を捨てるのはもったいないという声も周囲にあった。しかし、「5年後、10年後のポジションが予想できる安定≠ヘ、自分にとって”退屈”としか思えなかった」と、村野氏は振り返る。仕事が未経験であるリスクより、刺激があり「個」の力で勝負できるチャンスは魅力的だった。 「今も”サラリーマン”であることは以前と変わらない。でも、自分という「個」が確立されていれば、会社が用意する安定にすがる必要はないと思う。自分にとって「個」が安定する環境を選択することの方が重要」と、村野氏はいう。 |
■国内企業 → 外資系企業 |
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エキスパートを目指したとき、外資系に近道を見つけた 新卒のときは、伝統的な日本企業を選んだ。最初の数年間、地方支店で働くうちに、キャリアに対する焦燥感が生まれた。柴田佳代子さんは、「当時の日本企業は、長く勤めることを前提に、人を育てる。私は早く専門性を身に付けたかった」という。 だが、望んでいた仕事に携わる機会は意外と早く訪れた。異動して、海外企業のM&A案件に関わるようになったのだ。財務スキルを深めようと、必死で勉強し、MBA留学も実現した。 留学中に帰国後のキャリアを考えたとき、「MBAの知識を生かせるポストに就けるとは限らない」ことを容易に想像できた。「自分で自分をキャスティングできる場がほしい。そして、専門性を生かしたい」と思うようになっていたにもかかわらずである。熟慮の結果、このギャップを埋める答えを外資系企業に見つけた。 昨年7月、外資系投資銀行を経て、デュポンに入社。前職で投資銀行業務を幅広く経験し、現在は同社の資金管理、与信管理・年金運用など財務担当として働く。 柴田さんは外資系企業の良さを、「馴れ合いではない部分で、会社と社員がお互いを必要としていること」と表現する。会社は社員が求める場を提供し、社員は会社が求める専門性を提供する。この関係には厳しさが伴うが、「逆にそれが心地よい」と柴田さんは話す。 |
■国内企業 → 外資系企業 |
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自分の成長にスピードを求めあえてチャレンジングな環境へ 将来目指す経営職に先立つものは営業スキル」と考えていた衣笠輝政氏。新卒で入社したのは、大手国内IT系メーカーだ。 システム営業を担当したが、提案からシステム設計の段階に移ると、営業の役割は顧客フォローになる。接待やクレーム対応に追われる日々。また3?5年がかりという長期案件を担当せざるを得なかったことから、「キャリアの停滞を感じました。自分のコアになるものをしっかり作り、成長にスピードを求めたかった」と話す。 転職先に選んだのは、同業界のデル。同じ業界でも、体質やビジネスモデルは前の会社とかなり違う。デルを選んだ理由として挙げるのは、「任される仕事と責任が明確。成果を上げた分の対価が得られる」の2点。さらに、仕事の希望が通りやすいというメリットもあるという。彼自身、02年末の転職時からサーバーの営業を担当してきたが、実は先日、マーケティング部門へ自ら手を上げて、異動したばかりだ。 「前職は大企業でしたので、組織がしっかりしている安心感もありました。しかし、やりたい仕事があっても異動は叶えられず、自分の将来像が会社に握られている。キャリアの安定≠ヘ得られないと感じたのです」と衣笠氏。自分のキャリアを自ら舵取りするために、あえてチャレンジングな環境を選び、挑戦している。 |
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