渡邉美樹氏は学生時代に世界を回る旅の途中で、外食産業への参入を決意する。そして、22歳の2月の終わりには、「24歳の4月1日に外食産業で起業する」と、自分の夢に日付を入れた。
大学卒業後の半年間は経理会社に勤めて財務を学び、そして独立資金を得るために、運送会社のドライバーとして1年間働いた。
渡邉氏にとってこの佐川時代が「20代でもっとも辛く大変な時期だった」という。開業資金の300万円を貯めるという明確な目的があり、「やり抜く」と強い決意で臨んだ仕事だったが、「心の奥底では納得せずに働いていた」のも確か。毎日、辞表を持って出社していたが、最後まで辞表を出すことはなかった。
「途中で辞める理由はいくらでも見つかる。でも、逃げたいという気持ちが1%でもあって辞めるのなら、どんな理由があろうと自分の負け。20代は逃げグセがつかないよう、理不尽なこともやり抜くことが重要だ」
そして渡邉氏は、もう二度と心底納得できない仕事はしないと誓った。この経験が、お金のためでなく「地球上で一番たくさんのありがとうを集める」ワタミグループの経営理念に結実している。
第2の創業期を迎え2人の30代COOが誕生
ワタミフードサービスは今年4月1日、ワタミへ社名変更した。「外食の会社」から文字通り「外食もやっている企業グループ」に変貌。今まさに第2の創業期を迎えている。渡邉氏はワタミのCEOに就任し、「外食」、「環境」、「農業」、「介護」、「教育」のグループ事業全体を率いる。各事業の執行責任は、計8人のCOOが負う。
うち2人のCOOは、アルバイトから社員になった35歳と36歳の若手。両者とも約15年、渡邉氏の下で学び、外食経験を積み重ねてきた。20歳の頃の彼らは「ただの小僧だった」と語る。が、明るさと素直さは人一倍。それはつまり、人から好かれ、新しい環境やビジネススキルを吸収できる資質があったということだ。
「年配者を敬うことは大事だが、人間の大きさは年齢とは関係ない。年齢×経験・感動・知識で決まる。80歳×1と20歳×20なら80対400で、20歳のほうが大きい。リーダーは若いうちから今日変わらなければ、明日も変わらないと考えるもの」
渡邉氏自身が20代で起業しているワタミグループでは、年齢が下の社員が上の職位に就く逆転人事が珍しくない。30代より下の次期COO候補も大勢いるという。
母の死と父の事業失敗が重なり10歳で将来の夢を固める
外食産業での起業を決めたのは22歳だが、社長になる夢を固めたのは小学生のとき。当時10歳だった渡 少年は、母の死と父の事業の失敗という人生の一大事をわずか半年の間に経験している。
「自分は何のために生きるべきなのか」について深く考えるようになったのは、こんな経験からだ。渡邉氏の結論が「社長になる」ことだったのである。
絶対的な人生の目標(夢)が定まっている渡邉氏にとって、その実現に向けて計画的に行動するのは当然の行為である。しかし、現実には渡邉氏と違い、「やりたいことが見つからない」「将来の目標や夢が持てない」と悩む20代ビジネスマンが多い。何かはやりたいが、その何かがわからないから、次の一歩が踏み出せない状態なのだ。
「自分の人生観や死生観を確立するのが答え。ただ、難しく考える必要はない。本当は何が好きなのか、どんな人生を過ごしたいのかを自分の内面に問いかけること。お金や流行のキャリアではない夢や目標が見つかるはず。自発的にこれをやるんだと思えば、誰だって一歩を踏み出せます」
ワタミグループでは新卒、中途の区別なく、「世の中に貢献したい」などの思いや 「2020年には1兆円グループになる」という目標に自分を重ねられる人を中心に採用している。会社は同じ理念と使命を持つ個人の集合体であり、転職先も同じ価値観と使命感を持った会社を選ぶべきだと考えているからである。 |